渋谷の一番星
約3年ぶりの再会。「久しぶり」「会いたかった」「元気してた?」なんて言葉を押しのけて、「何、その髪の色」って。ずいぶん嫌な女だ、私。
それでもマユリはけらけらと笑って
「ラベンダーアッシュ。必殺技みたいでいいでしょ。ラベンダー、アッシュ!」
と、くるりと回ってその薄いナスビ色の髪で私を叩いた。同時に、甘ったるい香りが鼻につく。
「東京は今こういうのがトレンドなんだよ」
「……その香水も?」
「お、さっすがよく気づいたね。これはね、えっと、今日はどれだったかな――」
私の前を軽やかに跳ねゆく黒いポニーテールも、蒸し暑い更衣室で隣から漂うエイトフォーの香りも、3年前の夏にすべて置いてきてしまったのだろう。この灼けるような渋谷の夏に、それはなかった。
マユリは自分の香りを確かめながら迷いなく歩き始めた。ふんふんと鼻を鳴らしながら進むその姿はさながら盲導犬のようだ。東京に不慣れな私は、一人だったら人の波に飲まれて歩けなかっただろう。もう夕方だというのに、私の視界は人に覆われている。いやむしろ夕方だからこそこの量なのだろうか? 私はうしろの忠犬像に別れを告げると、新たな忠犬の後を追った。
マユリはいつだって私の前にいた。走っても走っても、跳んでも、投げても、マユリには追いつかない。陸上部のエース。県大会なんか簡単に通過して、全国を舞台に闘えるほどの実力者。
そんなマユリが高校3年生の夏、急に陸上部をやめた。理由は「私、東京で美容師になる」とのこと。陸上部は他の部活と違って3年生でも比較的長く続けるものだったが、マユリだけは夏の大会を最後に、すっかり部活に顔を出さなくなった。放課後はずっと勉強して、私達の誰よりも受験生だった。そう考えると、きちんと二人で話すのは4年ぶりくらいにもなるのだろうか。
「そういえば、面接どうだった?」
不意にマユリが聞いてきた。
「わかんない。ちゃんと答えられたとは思うけど」
「ハナなら大丈夫だよ! 早く結果来るといいね」
「そういうマユリは、どうなの?」
「おかげさまで」
両手をチョキチョキと動かしマユリははにかんだ。
「上京が決まったら、まず私のとこきてね。立派なシティーガールに仕上げてあげるから」
「いいけど、染めたりはしないからね」
「なんでぇ明るいのも似合いそうなのに」
「……働き始めるし」
今だって、当時よりは少し明るくなってる。私がマユリに憧れて黒染めしてたこと、マユリは知らない。気づいていない。
「それもそっか。じゃあカットだけで我慢しよう……」
そうこう話しているうちに目的の高層ビルに到着した。全面ガラス張りの壁面に、下の方には歪な形をした巨大モニターがついている。たしかここは――
「ここが例の渋谷スクランブルスクエア!」
そう、それだ。
「もうここの屋上展望台が本当に良くってさぁ。渋谷スカイっていう展望台。渋谷に来たばかりの頃はよくそこで黄昏てたよ」
「マユリが?」
高層ビルの屋上で黄昏れるマユリを想像して、思わず吹き出した。
「似合わなー」
「えーなんで?!」
「合宿のときとかもさ、みんな疲れて夕日見て休んでたのに、マユリだけずっと走ってたじゃん」
「あー、懐かしいね」
「かと思えば急に夕日に向かって叫びだすし、ふふっ、黄昏とは程遠いよ」
「私も大人になったんだよ! もう前までの私じゃないのさ」
心臓がきゅっと縮こまるように痛んだ。
マユリは変わってしまった。自分でもそう感じていた上に、本人からそう言われると、本当にマユリじゃなくなってしまったような気持ちになる。
「……どうした? もしかして、高いところ苦手だった?」
「ううん、大丈夫。いこ」
マユリを追い越して一足早くビルに入ろうとするが、人の流れに遮られて滞る。
そんな私の手を引いて、マユリは颯爽とビルの中へと進んでいった。
エスカレーターに乗って、展望台の受付フロアまで上がる。もうこの時点で地元のどこよりも高い場所のような気がする。二人分のチケットを購入したあと、今度はエレベーターを使って展望フロアへと向かった。
エレベーターの上昇に伴って耳の奥がくっと締まる。飛行機じゃなくてもそうなるのか。
「耳、変なるよね」
「ビルでもこうなるんだね」
「上はもう別世界って感じだからなあ。ほんとすごいよ? 絶対感動する」
到着し、外に出ると――目に映る景色はマユリの上げたハードルを簡単に飛び越えた。
「すごい……!」
眼下に広がる灰色の街が、西の方だけオレンジ色に燃え上がっている。視界の殆どは空が占め、その空は夕暮れ色と夜色がグラデーションをつくっていた。天地こそ逆さまではあれど、まばらに浮かんだ薄い雲がなければ凪いだ海と見分けがつかない。
「ささ、こっちこっち」
マユリがさらに上へと誘導する。エスカレーターをあがるとそこには芝生の屋上が広がっており、大勢の人たちで賑わっていた。
都心のものとは思えない、爽やかな風が西日で火照る顔を冷ました。
「気持ちいい」
「でしょ」
マユリは私が作りましたと言わんばかりに胸を張った。「渋谷に来るならぜひ連れていきたいところがある!」と息巻いていたマユリの気持ちが少しわかった。
私たちはガラス際に向かい、街を見下ろした。
煌々と照らされるスクランブル交差点を人々が行き交う。まるでひとつの生命体、アメーバのようにその人群はくっついたり離れたり蠢いている。
「私一人で上京してきたとき、すごく怖かったんだ」
柄にもなく、マユリがぽつりと語りだした。
「あんなに大勢の人がいて、もみくちゃにされて、私この街で本当にやっていけるのかなって。なんとか息継ぎしようと上を見上げても、昔みんなで見たみたいな星は一つもなくて、真っ暗な都会の夜空が怖かった」
「マユリ……」
「空なんて一つしかないんだからさ、同じだと思うじゃん? 地元も東京も。でも全然違くて、それが怖くて、なんとなく、ここに来てみたの」
マユリが上を見上げる。つられて私も上を見る。
「それがやっぱり星なんて何もない! 怖くない? 向こうじゃあんなにキレイに見えてたのに」
空一面、紫色が広がっている。
「星ってなんか目標? 的なさ、目指すもの、みたいな感じじゃん。それが見えなくなっちゃったような……。でも、気づいたの」
今度は街の方を見下ろす。
「ここはその分街が輝いてる。今まで届かなかった光が、ここだと届く位置にあるんだ」
街頭モニターの動きに合わせ、マユリの顔にもチラチラと光が揺れる。その目には、光る街が映っていた。
「あは、なんて……ちょっとクサかったかな」
照れくさそうにマユリは頬をぽりぽりとかいた。
「ううん。そのとおりだと思う。マユリは夢を叶えたんだもんね」
「だから次はハナの番」
「私?」
突然話を振られて思わずたじろぐ。
「私が東京の専門行くって言ったとき、あんなに地元の方がいいよ~なんて訴えてたじゃん?」
「それは……」
「なのにわざわざこっちで就活してるって、何かやりたい仕事があったんでしょ?」
「……」
ついマユリから目を逸す。ガラスには私の顔が――今にも消えてしまいそうに、薄くぼんやりと映り込んでいた。そのまま視線を下に向ける。相変わらず巨大なアメーバが蠢いている。
「みんな、そうなのかな」
「大丈夫だよ。ハナなら大丈夫」
マユリはそう言うとガラスから離れて芝生の上に飛び乗った。
「二人で頑張ろう! この街で」
風がマユリの髪を撫で上げた。空色の髪が淡く広がる。
「うん……」
マユリは気づいていない。この渋谷の空にも、一番星だけは依然変わらず、輝いている。マユリのうしろで、キラキラと私を見下ろしている。
「でもやっぱ、遠いよ……」
手を伸ばそうとして、やめた。
短編・ショートショート保管庫 四二一 @yoniichi421
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