別れの夜に…おじいちゃんの思い出

さんぱち はじめ

第1話

 おじいちゃんが、死んだ。


 今朝、お母さんから連絡を受けた私は、旅行バッグに喪服と必需品を入れて出勤し、昼には羽田から飛行機に乗り、九州の実家に帰省した。

 そして、空港に迎えに来てくれたおじさんの車で、直接、おじいちゃんの家に向かった。




 久しぶりのじいちゃんは、いつもよりひっそりとしていた。

 そっと襖を開ける。

 おばさんといとこの姉弟、おばあちゃんとお母さんがいた。仕事でまだ帰っていないお父さん以外、みんな揃っている。


陽奈姉ひなねえ、久しぶり!」

「お帰り、早かったね」

「お帰り」

「お帰んなさい」

「陽奈ちゃん、久しぶり」


 親しみのある顔が一斉に私を見て、声が掛けられる。一瞬にして、心と身体の強張りがほぐれた。


「ただいま」


「手、合わせるね?」とお母さんが言う。

「うん」


 開け放たれた二間続きの大広間の奥に、おじいちゃんは眠っていた。私が布団の前に座ると、お母さんが、おじいちゃんの顔にかけられた純白の布をめくった。


「おじいちゃん、ただいま……」


 そう言って、手を合わせる。


「休みはいつまで取れたとね?」


 布を戻しながら、お母さんが訊いてくる。


「葬式の翌日まで」

「そうね」


「ごめんね、陽奈ちゃん。仕事もあるとに大変やったろ?」


 二人で話していると、おばあちゃんもそう訊いた。


「全然よ。こっちのほうが大切やもん」


 あ、方言出ちゃった。と笑いながら、私は思った。


「疲れたやろ? お茶あるけん、ゆっくりしんしゃい」


 ポットから急須にお湯を注ぎながら、おばさんが言った。大きなテーブルには、人数分の湯飲みと空になったお菓子の袋がたくさん乗っていた。


「ありがとう、おばさん」


 座るなり、いとこの亜香里あかりが横に来る。


「元気してた、陽奈姉?」

「うん。そっちは?」

「うん、私も元気。しゅん! ほら、陽奈姉」


 亜香里が弟にそう呼びかける。


「うん」


 クールな俊一しゅんいちは、短くそう言って頷いた。姉の亜香里は大学生、弟の俊一は高校生だ。


「あれっ!? 俊、もしかして、ま~た背、伸びた?」


 私はびっくりして俊一を見上げた。


「ん? どうかな」

「何センチよ、今」

「184、くらい?」

「くっそー」と私は、なんだか悔しくてため息を漏らす。「あ~ぁ、少し前までは、私の膝に乗るくらい小さかったのに……」

「いや、いつの話ソレ」


 俊一がそう言うと、みんなが笑った。


「今日、学校休んだんだよね? 二人ともお疲れやったね」


 私は、姉弟を見て言った。


「いや、別に」

「うん。病院と施設に物を取りに行ったくらいだしね」


 夕方におばさんと三人で、おじいちゃんがお世話になっていた病院と介護施設に私物を引き取りに行っていたらしい。


 お母さんから聞いていた。ここ数日、おじいちゃんの意識が戻らずに危険な状態が続いていたのだ。うちの両親やおばさんたちでつきっきりで病院に通っていたらしい。


 私は、運転中にあくびをしていたおじさんの横顔を思い出した。


 おじさんが病院にいた朝方、おじいちゃんの容態が悪化した。親戚一同が集まって、みんなに見守られながら、おじいちゃんは息を引き取った。




「あ、そうだ、お母さん」と俊一がおばさんを見る。

「さっき言ってた今日の夜のことだけど、俺、ずっとここで見てるから」

「あ! 私も」

「ホントに? 無理せんでよかとよ?」


「今日の夜って何? 何かあるの?」


 私は訊いた。枕経まくらぎょうは既に終わり、お通夜も明日の夕方からなので、今日は特に何もないと聞いていたから。


「朝、葬儀屋さんが来た時に言ってたんだけどね」とおばさんが言う。


 葬儀屋さんによると、本来の風習では、火葬の日までずっと蝋燭と線香の火を絶やしてはいけないらしい。ただ、そこまでする家庭は今では少ないようだ。それに今は、長持ちする蝋燭と線香もある。

 多分、それが今も供物台の上にあるアロマみたいな蝋燭と蚊取り線香を糸で吊るしたみたいなものだと思う。


 おばさんも、供物台を見やった。


「あれなら、朝まで十分に持つけど、寝るのなら構わずに消してくださいってさ。これで火事になったら本当に大変ですからって」


 お母さんもその言葉に頷く。


「寝ずの番って言ってね、極楽浄土への道しるべに、昼夜問わず火と線香を絶やさないようにするとさ、本当はね」

「へぇ」


「お母さんたちは疲れてるやろ。俺が見てるから」

「だから、姉ちゃんもいるって」


 俊一と亜香里が言う。


「二人だけじゃ心配よ。無理せんでよかよ」


 おばあちゃんがそう言った。俊一はまだ高校生だし、亜香里は二十歳だけどまだ学生だ。心配なんだと思う。


「私も来ようかな」


 そう、私は言った。


「陽奈ちゃんが?」

「うん。全然平気だし、みんなは休んでよ」

「無理しなくてもよかとよ? 葬儀屋さんも言っていたけど、昔の風習だから」

「ううん、やりたいんだ」


 だって今日は、おじいちゃんがこの家にいられる最後の夜だ。おじいちゃんを一人にしたくなかった。一緒に過ごしたかった。多分、俊一も亜香里も同じ気持ちなのだと思う。




 私は、お風呂と夕食を済ませて、夜に再びじいちゃん家を訪れた。大広間に入ると、ジャージ姿の二人がいた。


「どうせ寝ずの番するなら、もう一つ仕事ば頼もうかな!」


 おじさんが、たくさんのアルバムを抱えて現れる。私も見たことがない古いアルバムもあった。


「何するの?」

「写真をいくつか選んで欲しかっさ。一枚は遺影に使う。残りは、通夜と葬式でスライドショーにして流すらしか。今の葬式は洒落とっばい! 明日の午前中には葬儀屋さんに渡さんばいかんけん、三人でいいのを選んで」


 てなわけで、私たちはアルバムを広げた。そこには、おじいちゃんと私たちの思い出が詰まっていた。


 私の両親は共働きで、両親の帰りが遅い時は、じいちゃん家で夜まで過ごした。夏休みなんかも毎日のようにここに来ていたのだ。

 お泊りしたことも数えきれない。いとこの二人と、夜遅くまではしゃぎ回っていた。


「ねぇ、なんか腹減らん?」と俊一。

「お菓子あるけど?」と亜香里。

「お菓子か……、う~ん」


「そうだ、じいちゃんが隠してたカップ麺ってまだあるかな?」


 私がそう言うと、二人は笑顔になって頷いた。

 押し入れに、おじいちゃんはいつもカップ麺を隠していたのだ。今も変わっていないらしい。

 物音を立てないように静かに移動する。


 押し入れを開けると、段ボールの中にカップ麵がたくさん入っていた。


「お~、あったあった」と亜香里が嬉しそうに言う。

「勝手に食べてよかかな? じいちゃんのだし」と俊一。

「よかさ! ここにいつまでも置いてても仕方なかし。あんたは緑のたぬきやろ? ホラ」

「サンキュー」

「陽奈姉は赤いきつねだよね?」

「うん」




「そう言えば、じいちゃんも赤いきつね派、てかうどん派やったね」


 ポットのお湯を注ぎながら私は言った。


「そうそう。けど、みんなのために緑のたぬきも買ってたよね。ばあちゃんが蕎麦好きだもんね」


 この三人では、私と亜香里が赤いきつね派、俊一が緑のたぬき派だ。


「いただきます」


 スープを一口すする。甘いお出汁の味が口いっぱいに広がる。


「あ~コレコレ!」


 次に、出汁がよく染み込んだお揚げをかじった。


「美味しい。懐かしの味だ~」

「向こうじゃあんまり食べないの?」


 私の様子に、亜香里がくすりと笑った。


「時々。でも知ってる? 西と東で味も違うんだよ。向こうじゃ普通には買えんとさ」

「えっ? そうなの」

「知らんやった。どう違うと?」


 二人が驚く。


「西のが甘い。向こうのは向こうのでおいしいけどね」

「へ~、食ってみたいな」

「そう言えば昔、夜にじいちゃんと一緒に食べたことがあったよね」と亜香里。

「あったね! 夜食事件!」


 それは、 私が小学生の時のこと。じいちゃん家にお泊りに来ていた私は、子ども三人で大広間で寝ていた。


「おーい、もう寝とるね?」


 じいちゃんがやって来て、静かに私たちを起こした。


「お腹空いてないね? 夜食ば作ってやろうか?」


 じいちゃんはイタズラ小僧のように笑った。

 当時の私にとって、夜食という言葉は魔力の宿る響きだった。なんだか大人な感じだし、ちょっと悪いことしているようなドキドキする気分にもなったのだ。


「結局、おばあちゃんに見つかってメッチャ怒られたっけ」と亜香里が懐かしむように笑う。

「あ~、なんか思い出したかも」と俊一も頷いた。

「今考えるとさ、じいちゃんに共犯にされたんだよね、私ら」


 私の言葉に二人とも笑った。


「そうよ! 本当は誰よりもじいちゃんがお腹空いてたとよ」

「だよね? ばあちゃんの怒りを分散させるために一杯食わされたとよね、きっと。ま、言葉通りに一杯食ったんだけどさ」

「そう言うとこあるもんな、じいちゃん」


 食べながら、私たちはアルバムを一枚また一枚めくっていく。


 あるページに、おじいちゃんに肩車されている私が写っていた。


 これって、確か、年末に大掃除の手伝いに来た時のだ。おじいちゃんに肩車されて欄間をはたきで掃除したんだ……。


 私は、首を巡らせた。

 今も変わらない欄間の奥で、おじいちゃんが眠っている……。

 急に、目が熱くなってきた。


「ぐ……」


 くぐもった声がした。俊一が涙をぼろぼろ零しながら、麺をすすっていた。


「俊……」

「ヤバ、なんだこれ?」


 俊一……。


「ゴフッ!」と、俊一が噴き出す。

「ちょっとぉ!?」

「もぅ! 汁飛んだじゃん!」


 そう言って笑う私も亜香里も、気づけば涙を流していた。


 アルバムをめくるたびに、じいちゃんとの思い出が蘇る。

 その夜に食べたカップ麺は、いつもよりしょっぱかった。けど、きっと一生忘れない味だろう。




「あ! これよくね?」


 あるページをめくり、俊一が声を上げる。


「それ、陽奈姉の成人式のやつじゃん」

「えっ?」


 見ると、振り袖姿の私とおじいちゃんおばあちゃんが映っていた。四年前のおじいちゃんが、私の横でどこか誇らしげに笑っている。


「いいね! これいい笑顔やん。じいちゃんの遺影にピッタリって感じ」

「うん、俺もそう思う」

「…………」


 じいちゃん、今までありがとう。

 最後まで、しっかりお見送りするからね。

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