綱の手引き坂

大地 慧

綱の手引き坂

 大学卒業を前日に控えた男三人が、田町の2LDKへ集まった。他でもない、明日を無事迎えられることへの祝宴である。政界財界に多数の人材を輩出する日本有数の大学を明日卒業する彼らの将来は、明るいものであるに違いない。

 宴会は開始して未だ一時間というところであるのに、三人の顔は真っ赤である。明らかに飲み過ぎである。調子を良くした彼らは非常に饒舌であり、その話題は彼らの彼女や、身辺の出来事に対する不満から始まった。現在は日本社会の課題について口論を交わしているところである。流石に酔いの回った頭で案ずるには難い問題であったようだ。話は今一つ盛り上がりに欠けた。三人はそれぞれの姿勢でエンタメ番組を眺めている。

 特に加納は酒に強くなかった。眠たそうにあたまをこっくりこっくりしながら、何とか耐えている次第である。二人に比べ一回り体の大きい男、大垣がスターオブボンベイをコリンズグラスへ注ぎながら口を開いた。

 「今日は祝いだってのに、こんなことを話したって仕方ない。こんなことは数ヶ月後の俺たちが頭を抱えて悩んでいることだろうさ。現に坂田、おまえは警視総監の親父に憧れて入庁するんだろう。日本の課題なんて、その時に考えればいいことさ。それより、今だから話せる暴露話でもしようじゃあないか。どうせ明日よりみな別れる。話したって損はなかろう」

 トニックウォーターを入れ軽くステアし、大垣は一気に飲み干した。坂田、加納は何を話すべきか案じている様子である。

 坂田の親父は先に大垣が述べた通り、警視総監の職についている。が、坂田自身はその親父の名声、権力に甘んじることなく真面目に生きてきた。もちろん家庭に金銭的な余裕があったことは疑うべくもないが、この名門に入学できたのは彼の努力あってこそである。

 加納はごく普通の地方中産階級の家出身である。当然親のコネなど存在しないため真面目に勉強し、努力する必要があった。それが奏功し、大手出版社へ今春より入社予定である。

 という事情によって、坂田、加納の二人にはこれといった暴露話はない様子であった。進むのは大垣の酒と時間のみである。

 「わかったわかった。なら、俺がしてやろう。とっておきのものがある」

 やけに自身ありげな様子である。二人は興味津々にして、赤らめた顔を上げ、聞く姿勢に入った。

 「俺らが二年の時、失踪事件があったろう。ほら、お前らのサークルの一年が行方不明となり、未だに見つかっていないという。あれは実は俺の仕業だ」

 2LDKの空気が張り詰めた。テレビの笑い声が響く。想定せぬ本格的な犯罪の匂いのする暴露話に興奮したのか、坂田の手は震えている。加納は酔いが醒めたかの如く驚いた顔をしている。

 「さあ、話すぞ。発端は夏休み前、試験勉強のために図書館へ行こうと構内を歩いていた時だ。ある女が俺の目にとまった。明らかに地方より上京してきた女の出立ちだ。が、可憐な顔をしていた。そうさ、お前たちも知っている通り、当時から俺には彼女がいた。今も続いているあいつな。が、あいつは真面目なんだな。試験期間はきっかり勉強しやがる。会って飯を食うことすら敬遠するんだな。普段はそうでもないんだが。だからまあ、俺も色々溜まってたわけだ。女なら誰だって良かったさ」

 遅れて酔いが回ってきたのか、坂田は話が始まって以来ずっと俯いている。一方で加納は興味津々の様子を崩さずにいる。

 「で、話を戻すとだな。溜まってた俺は迷わずその女に声をかけた。学校の近くにお勧めの居酒屋があるから行こうってな。女は渋った。未成年だからな。都会に住んでいたら、高校生から飲酒するなどそう珍しくない、が、地方は違うんだろう。お堅いよな。別に酒を飲もうって訳じゃない、君と話したくなったから誘ったのだ、と言った。ほら、俺は割と悪くない顔をしているだろう。その顔面から放たれる甘い言葉は田舎者の女ごとき、易々と懐柔してしまうんだな。それなら、って頬を赤らめながらついてきたさ」

 大垣は確かに悪くない顔立ちをしている。財務大臣を務めた祖父も美形であるとして人気を集めた人物である。父親はなんと、国民的アイドルグループの一員というわけだから、大垣家は美形揃いである。

 「その女は本当に酒を飲んだことが無かったようだ。オレンジジュースの一種だと言ってファジーネーブルを注文した。疑いもせず飲んださ。普通のより甘くて美味しい、なんて言ってたかな。もう一杯、もう一杯と次々飲みやがった。もうその頃には飲んでいるそれが酒だということに気が付いてもよさそうなものだが、経験がないとそれが『酔い』だとわからないのかもしれないな。で、当然会話は弾んださ。そこでやっと、お前らのサークルの一年だってことが判明したのだ。お前らの名前も知っていたな」

 大垣以外の二人は軽音楽系のサークルに所属していた。「た」というのは彼らが四年生で引退済みだからというわけではなく、両者とも大垣の話している事件直後にやめてしまったからである。

 「あとは簡単さ。こいつは十分酔っていてまともに思考できないだろうと見極めた俺は店から出て、道中、ホテルへ誘った。自分で言うのも憚られるが、この段階まで来たら百発百中だった。このことより前にもこういうことをしたことはあるが、ここまできて断られたことは一度もない。だのに、途端に酔いが醒めやがったのか首をぶんまわして『嫌です』と言って逃げようとした。ふざけんなと思ったね。ここまできたらやることは一つだろ?」

 エンタメ番組はニュースへ変わっていた。アナウンサーが今日の出来事を淡々と読み上げている。明日は桜が満開となるらしい。

 「俺もまあ酔ってはいたから、怒りそのままに女の腕をつかんだ。『嫌ですっておまえ、今更それはないんじゃねぇか』って。それでも手を振りほどいて逃げようとしやがるから、もう力でねじ伏せるしかないと思った。年齢差と性差があるから、女一人手を引いて連れていくことなんざ訳ないことだ。そのまま近くのホテルへ行ったさ。で、このことを後から喋られたら困るから、事後に首を絞めて殺した」

 とてつもない犯罪の暴露話の割には、聞き手二人の反応は薄い。坂田は相変わらず俯いており、加納は顔を上げてはいるものの、瞼は閉じている。恐らく寝ている。

 「こりゃ犯罪だろ?で、俺は焦った。こんなことが世間に知れたら俺の一家は終わりだ。じいさんは政治の第一線は退いたとはいえ、今でも政界に十分すぎるほど顔が利く。元アイドルのイケメンパパ、として芸能界でいまだに人気の親父。この二人のおかげでうちの一家の権力と名声が成り立っているのだ。俺のこの失態がマスコミに漏れたらそれら全部が無くなる。それどころじゃない、俺はムショ行きだし、家族は底辺へ突き落されることになるな、きっと。」

 大垣の犯罪の事実がもし世間に広まってしまえば、いくら大物政治家の祖父をもってしても、また、いくら人気の元アイドルパパをもってしてもカバーしきれないのは明白である。

 「困ったさんな俺がまず連絡したのはじいさんだった。なんとかしてくれると思ったからだ。じいさんは電話口でもわかるくらいカンカンだったな。が、警察に自首することを求められることはなかった。『俺がどうにかしてやるからホテルの場所と部屋番を教えろ』と。今から向かうと言われ電話を切られた。本来ならそこで己の罪悪と向き合い、ひどく反省するものなのだろうが、当時の俺はそうならなかった。暇を感じてしまったんだな、何故か。で、ホテルに手ごろな紙があったから、今の出来事を整理して書いてみることにした。自分の脳を落ち着けるためでもあったかもしれない」

 やけに閑静な夜である。それはこの2LDKが二重窓を基本仕様としており、外音を遮断する設計だから、というわけではなさそうである。

 「混乱した頭の割には、よい文章ができたと思った。その時、じいさんが忙しく部屋に入ってきて、一番に俺を殴った。地面に倒れた俺が立ち上がろうとじいさんを見上げると、ドアの前に制服を着た人間が二人いることに気付いた。そのうちの一人が、坂田、お前の親父だ。じいさんがその、警視庁の二人に事件の隠蔽を注文したことはすぐわかった。」

 俯いている坂田の肩がぴくりとしたように見える。

 「それからは覚えてないね。とにかく現場を離れろとじいさんに言われ、きっと自力で家に帰ったんだろう。起きるとそこのベッドにいた。で、ポケットに例の紙が入っているのに気付いた。普通なら捨てるものなんだろうな。世間的には抹消された事件の顛末を書いた文章なんて、俺にとって何の得にもならない。むしろマイナスだ。が、この生々しさは経験していないと書けないんじゃないかと、眺めているうちに思ってしまった。俺はきちんとした文章に起こしてみることにした。さながら小説さ。これは半日で完成した。」

 時刻は深夜となっている。遂にはニュースも終わり、下品な深夜番組が画面には流れている。

 「創作物の持つ魔力とは不思議なもので、良くできたと思ったものは誰かに見せたくなるのだ。勿論、これが俺にとっては危険なことだということは理解していたが、それを上回る魔力を持つものが創作物だ。で、俺はネットの小説投稿サイトに自分の書いた文章をアップした。匿名だし、まさかこれが本当に起こった事件だとはだれも思わない。その詳細な描写がウケたのか、どれだけの人が俺の作品を読んだのかわかる数字、これをpvと言うのだが、それがどんどん伸びていって、週間ランキングの一位に一瞬で登っていった。これは正直快感だったね。小説投稿サイトって言ったらニッチに聞こえるかもしれないが、意外にも毎日多くの人が閲覧しているんだ。そんなサイトのランキングの頂点に自分の作品があるなんて、快感以外の何でもないさ」

 大垣はそこまで述べて、棚から一冊のノートを取り出した。

 「それ以来俺は物を書いて誰かに読まれるということにすっかり虜になっちまった。ここに思いついた物語のプロットを書き溜めているんだ。恥ずかしいから誰にも言うなよ。今春からじいさんの秘書見習いとして一応働くわけだが、傍らでこのプロットをもとに何本か書いてみようと思っている。って悪い、俺が小説を書き始めたきっかけ、みたいな話になっちまったな。俺の暴露話はここで終わりだ」

 大垣はノートを棚へ戻した。

 「あーあと、この際だから言っておくと、坂田。俺は学生生活でお前の世話になったし、お前の親父にも世話になった。ありがとうな。で、加納は......、もう寝てるからいいか」

 俯いていた坂田はそこで目を覚ましたのか、うんと小さく頷いた。加納は顔を上げて寝ているままである。奇妙な光景である。

 よし、お開き、と言って、大垣は予備の布団を敷き、加納を抱えて寝かせた。坂田は自力で加納の隣に横たわった。大垣は隣の部屋のベッドへ向かった。深夜二時前のことである。

 明け方のことである。突如坂田が起き上がり、台所に掛けてあった包丁を手に取り、隣の部屋で寝ている大垣の喉へ一突きした。大垣は声を出す暇もなく、ほとんど即死であった。加納はきっと、気付かずにまだ寝ている

 坂田は数分、動くことままならなかった。殺人による興奮作用と取り返しのつかない事件を起こした自分の将来の身を案じると、そうなるのも当然である。が、数分後、何かの衝動に駆られたように坂田はそこにあった机に座り、適当な雑紙に何かを書き始めた。ものすごい形相である。

 数刻後、加納はやっと目覚めた。まるで誰もいないかの如く、やけに静かな2LDKである。不審に思い隣の部屋を覗いた加納の衝撃は言うまでもない。血の匂いに吐き気を催し、急いでベランダに出て、外の空気を吸った。眼下には芝浦公園の満開の桜が見えた。常識人である加納はそこでふと、警察へ連絡せねばと思い、鼻をつまみながら部屋へ戻り、ぶるぶると震える手で電話をかけた。警察はすぐ向かうと彼に告げた。

 電話をする際につまんだ手を放してしまったが、鼻はとっくに匂いに慣れていた。この目で見たことが本当か否かを確認するために、加納はもう一度、隣の部屋を覗いた。当然、起きていることは現実である。その折、机の傍らに散乱する紙に気づいてしまった加納は、それに何が書かれているのか気になって仕方なくなった。そう、彼は極度の緊張状態にあったとはいえ、警察が来るまで暇であった。何かしておかないと心が落ち着かなかったのである。

 恐る恐る隣の部屋へ踏み入れ、できるだけ死体は見ないようにし、散らばる紙の数枚を持って寝室より脱出した。そのうち一枚には、物語のおおよそのプロットと思われるものがあったので、以下に書いておく。

 「祝いの宴ということでABCの三人で集まり、Bが過去に強姦殺人を犯した話を始めた。彼は一家の権力を用い事件を隠蔽しており、世間には失踪事件として伝えられた。一方で、その被害者は過去、Aが好意を抱いていた女性であり、所謂『失踪』まで何度か一緒に出掛けるほど仲が良かった。Bの強姦殺人隠蔽に警視庁長官であるAの父が関わっていることを知り、Aは深く絶望するものの、結局、何もかも悪いのはBだという結論に至る。して、Bが寝た隙に女性の敵討ちに成功する。が、そこでAは、このことを文章にして残したい衝動に駆られた。このような経験は日本中のほとんどの人間が体験したことがないはずであるから、唯一無二性を持つはずだからというのが理由である。一通り書き終えたAは明け方、紙を残して部屋より逃亡する」

 このプロットの右下の隅には小さくこのように書かれている。

 「この物語はCである君の手によって、世間に広められるべきである。本来はAがその役をしたいものだが、罪を背負ってしまった身にはそれができない」

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