昼は消えつつものをこそ思へ
学校で困ったことになった。実は、クラスのアイドル的存在であるところの少女に僕が告白されたのだが、それを「好きな人がいるから」と振ってしまったところ、なんか彼女の仲間の女子グループや、彼女のことが好きだった男子たちからの怒りと憎しみを買い、まあ学校に居づらくなるような出来事が頻繁に起こったのである。厳密には違うかもしれないが、いじめ、と言えばいじめと言えなくもない迫害であった。心底災難な話だ。
ある日ある朝、とうとう耐えきれなくなった僕は学校に行かないで、つまり家から出た後学校のある方向とは真逆の方向に向かい、公園でブランコに揺られていた。何十分、あるいは何時間くらいそうしていたか分からないが、そうしていたら雨が降ってきた。かなり強い雨だった。傘など持っていない。だが家に帰るわけにいかないし、学校に向かう気にはもっとならない。僕はそのまま、もうしばらくブランコに揺られていた。すると、ふと僕に声をかける者があった。
「こんなところでサボりかね、少年。道理で今朝は見かけないと思ったら」
あのお姉さんだった。傘をさしていた。まさか僕を探しに来たわけもあるまいとは思ったが、近所の激安な酒ディスカウントショップのレジ袋を片手に下げて、表情は呑気そうにしていた。
「サボりです。ほっといてください」
声をかけてもらって、実は飛び上がるほどの心持ちだが、僕は強がってしまった。
「そういうわけにはいかないよ。袖すり合うも他生の縁とか何とか言うだろ。……サボってる手前で、家には帰りづらいんだな? じゃあ、うちに来なさい。そんなところでそんな恰好でそんな真似をしていて、風邪でも引いたら大変だから」
「い……いいんですか?」
「いいよ。散らかってるし汚いけど。というか来い」
傘は一本しかないので、僕はレジ袋を代わりに持ち、お姉さんの傘に入れてもらった。相合傘というやつである。正直、心底嬉しい。
「お、おじゃま……します」
「うむ。おじゃまされる。それはそうと少年。まず脱ぎなさい。あたしは風呂に湯を張ってくるから」
そう言って、バスタオルを一枚、こっちに向かって投げてきた。明らかにかなりの期間ちゃんと洗って干してはいない感じで、
「浴槽に湯が貯まるまでにはまだちょっとかかるけど。シャワーは浴びられるから、とりあえず入って。ちゃんと湯船で芯まで身体を温めるんだよ。でないと風邪を引くからね」
お姉さんは優しかった。誰にでも優しいのだろうとは思うが、それでも僕に優しくしてくれていることに変わりはなかった。正直に言うと、僕はガッチガチに勃起してしまっている。
「着替えは持ってるかい?」
と、ドア越しに訊かれる。
「体操服があるんで、とりあえずそれを着ます」
「そうか。それは結構」
それはいいんだけど。このアパート、何しろワンルームだから、風呂場はドア一枚の先なんだよね。どうやって出ればいいの? とりあえず、中でバスタオルで身体を拭いて、腰にそのタオルを巻いて、僕は部屋に出た。
「あの。服着ます。あっち向いててください」
「ああうん。ちゃちゃっと済ませたまえよ」
いますごくなんていうか、好奇の目で見られたような気がする。
「少年。腹は減っているかね」
「減ってます」
「じゃあご飯を作ってやろう、と言いたいところだが。酒の肴以外だと、赤いきつねか緑のたぬきしかない。どっちがいい?」
「どっちがいい、って……いつもそんな食事ばかりしているんですか?」
「いや。酒の肴以外のものは滅多に口にしないよ。赤いきつねと緑のたぬきは緊急用の非常食だ」
「ここまで一方的にお世話になっておいて失礼千万であることは承知の上で言いますが、もうちょっとマシな昼ごはんにしませんか? 身体を壊しますよ?」
と言うと、お姉さんはニヒルに笑った。
「身体ならとっくに壊れてる。……それと、金がない」
「昼ごはん代くらい僕が出しますから。出前取りましょう。近所にデリバリーやっているファミリーレストランがありますから、そこに注文しますね。僕が僕のスマホで」
で、そうした。サラダを二人前から始まって、ブランチと言うには立派にすぎる、ちゃんとした食事を持ってきてもらった。
「おおー! こんな人間らしい食事を摂るのはいつぶりだろう。少年、感謝するよ」
「いえ……お礼を言うのは僕の方です。けど」
僕らは食事を摂り、そのあとは話をした。
「あんな雨の中であんな風に黄昏ていた理由。あたしからは聞かないけど、話したければ話してもいいよ」
「なんていうか……学校に居場所がなくて」
僕は事情をかいつまんで話した。
「そうか。好きな人がいて、自分を好きな人を振るのは当然のことなのに、それで面倒な事態になるんじゃあかなわないねえ。災難だな、少年」
「……で、ですね。ここまで話したら、全部聞いてもらいたいんですが。僕の……好きな人なんですけど」
「ああ。学校の先輩だっけ」
「違います。いま、僕の目の前にいます」
そう言うとお姉さんは万年床の上に腰かけたままぽかーんとした。
「あたしはいま二十九歳で、来月には三十路だよ? 少年より、十四歳も年上だよ?」
「このあいだ十六歳になりました。だから十三歳差です。ぎりぎり、セーフだと思いませんか?」
「思わない。人としてアウト」
「そうですか……」
「でも」
「でも?」
「あたしは最初から人としてアウトな女だから、セーフでなくても別に気にしない。少年。……いや。
「涼やかな名前ですね。とっても」
「ありがとう。……少年。あたしが欲しいか?」
「欲しいです。あなたが全て欲しい」
「まあ……すべてはあげられないけど。教えてあげられることなら、いくつかある、かな。だから、おいで」
僕は言葉の通りにした。いろいろ教えてもらった。いろいろしてもらった。
「少年。最後まで、したいかい?」
「したいです。あ、でも、コンドームがないですけど」
「ああ、それなら大丈夫。あたしには、その必要がないから。生でいいし、中で出していいよ」
「お、お姉さん」
辛抱たまらないとはこのことだ。僕はお姉さんの言葉の通りにした。
「達樹……いっぱい出てるのが分かるよ……あたしの中に、君がいっぱいだ……」
「白亜……! 白亜……っ!」
僕は最後の一滴まで、お姉さんの中に注ぎ込んだ。
それから。
「あの……いろいろと、あれではありますけど。でも、僕、ちゃんとお姉さんの恋人に立候補したいです」
「……ごめん」
「ごめん、なんですか?」
「いや、恋人になるのは構わないんだけどね……今までの話から薄々は分かっていたかもしれないけどさ、あたしは、もう命が長くはないから。医者には匙を投げられてて、長くても、もう年は越せないのはほとんど間違いないんだ」
お姉さんの声は少しだけ寂しそうではあったが、それ以上に諦観の方が強かった。
「……そう、ですか。じゃあ、これから。できる限り、一緒に居ましょう。最後の日まで。居させてください」
そして、それから四ヶ月後の、ある日の明るい昼間。お姉さんは、救急搬送された病院の集中治療室で、息を引き取った。
お姉さんは天涯孤独だったらしく、遺骨は僕が引き取ることになった。また春が来た。お姉さんと僕が知り合った季節だ。僕は、彼女がいつもいたあのベランダを見上げて、毎朝静かに、物思いに耽る。
夜は燃え、昼は消えつつ。 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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