【3.1.2】 神とは。―――とは。

「郷土史」といういことは、この辺りの歴史ということだろうか。倫太郎にとってそれは、図書室などで見かけたことはある気がするが、まともに手に取って見たことなど一度も無いものだった。



「懐かしいですね。」と言って、菅原が手を伸ばせば、ギンはすんなりとそれを渡した。

 菅原は、積まれたファイルの上にそれを乗せて、ページを開く。最初のページは、この周辺の地層と化石について書かれているようだ。



「この辺でも化石は出るんですか?」

「この学校を作る時にも、出たと言われているけどね。堆積岩が表出している場所なら、比較的見つけやすいらしいから。僕は日本史が専門だから、あまり詳しくは無いんだけど。」



 倫太郎の質問に答えながら、菅原がゆっくりとそのページを捲る。古い本特有の香りが鼻をつく。

 クロは全く興味が無いとでもいうように、倫太郎の肩で寝っ転がった。ただ耳だけはピクピクと動いて倫太郎の首筋をくすぐるので、寝ているわけではないようだ。

 神田も近寄ってきて、一緒になってその手元を覗き込んだ。



「この辺りの、昔の地図だね。」



 そう言って菅原が広げて見せたのは、この周辺の昔の地図と思われるページだった。一面に描かれた地図には、道や川の位置はもちろん、神社仏閣や、祠、庚申塔といったものの場所が記されていて、この地域の各所にそれらが点在していることがわかる。



「バイパスが書かれていないから、なんだかこの辺じゃないみたいですね。」

「ほんとだ。線路も無いし。」



 倫太郎が生まれた時にはもう既にあった太い幹線道路が、この地図には描かれていなかった。倫太郎と一緒になってあれやこれや言いながら、幹線道路の走っている辺りを神田が指でなぞった。



「これは、神様を祀っている場所ってこと?」と神田が聞くと、「まあ簡単に言えば、そういうことだろう。」と、地図から視線を逸らすことなく菅原が答えた。



「そうか。人間にとっては、精霊も神も仏も、全部一緒だったのか。」



 いつの間にか机の上に座っていたギンが、呆れたように言った。目は驚いたように見開いているが、口元は好奇心からか少し口角が上がっているように見える。



「形の無いものは、きっと全部同じなんだな。精霊と魂が同じものとされていたように、それが消滅した人間だろうと、精霊だろうと、───だろうと、それらを皆合わせて人間は神と呼び、妖怪と呼び、魔と言い、そして崇拝し、恐れる。」



 完全に納得したとでも言わんばかりに、うんうんとギンが頷く。


 消滅した人間とは、死んだ人間のことだろうか。確かに、人間は死ぬと仏になると言われたり、神の御許に行くと言われたりする。



「神様は、いるの?」

「まだそこか。」



 ギンが、机の上に胡座をかいた。銀色の瞳が倫太郎を捉えている。その少しがっかりしたような雰囲気に、倫太郎はテストで悪い点数を取った時の気分を思い出した。

 悪い点数を取っても、倫太郎の母親が起こることは一度も無かった。だからこそ、そんな時は自分にがっかりするのだ。



「お前の言う神とは、何だ。キリストか?仏か?精霊か?」



 神とは、一体何だろうか。日本の八百万の神とは、森羅万象に神が宿るという考え方だ。山にも、川にも神がいて、台所にも、トイレにさえも神がいるとされている。

 結婚式にはキリストに祈り、正月には神社で祈る。悟りを開いたものを仏と言い、死んだ人間は仏様になるのだと教わる。


 その節操の無さは、この自然の脅威の前に真っ裸で放り出されているような状況をもってすれば、自分達の命を守るための、術の一つだったのだろう。

 何かを信じ、何かのせいにしなければ、やりきれないほどの、苦難。自然に生き、死んで行くからこそ、その理由を欲し、すがり、神のお陰と感謝をし、神の怒りだとその状況を受け入れるのだ。

 

 自分にとっての神とは、一体何なのだろうか。世界を造ったものを神と言うのなら、宇宙そのものが神とでも言うのだろうか。



「見てみるか。―――という存在が、生まれる前の世界を。」



 グワリと景色が歪む。思わず何かを掴もうとするが、目の前の机も歪み、焦ったようにただ手をぐっと握った。

 せっかちなそれに少し慣れてきた気もするが、やはりもう少し心の準備はさせてほしいと思う。



 一瞬にして変わった風景の中、倫太郎が立っていたのは、ただ一面に広がった野原のような場所だった。見渡す限り続く平野。疎らに生えた木だけが見える、それは紛れも無い「何も無い場所」だ。どこまでも広がる空から照り付ける太陽を遮るものも無く、影らしきものが無いただそこにある場所。

 足元に触れる草だけが、倫太郎という存在を肯定してくれるかのようだった。


 正面に立つ菅原と、横に立っている神田の顔が、夢でも見ているかのように、一様に口が開いている。状況を飲み込むまで、どれくらいの時間がかかるだろうか。

 そう思えば、岸間春の順応力は異常だったとしか思えない。



「ここも、気の溜まり場みたいなところ?」

「ここは、違う。僕の、記憶の世界だ。ここももちろん、もう過去のものだ。」



 太陽にその銀色の髪を輝かせながら、ギンは言った。小さな影を作り、辺りを見回しながら、草の生えそろっていない地面を踏みしめて歩いて行く。

 どこに向かっているのかも、わからなくなってしまいそうな場所だった。


 所々に、ほわほわと浮くものが見える。意思も持たず、ただそこにいる精霊たちだろうか。その存在はひどく頼りなげで、クロと同じものとは到底思えない。



「きしっ、木嶋!こ、ここ、ここ。」



 神田が、倫太郎の袖を引っ張る。まあ、普通はそういう反応になるなよな。———と、倫太郎が苦笑すれば、神田は目を見開いて固まった。

 菅原は、まだ呆然としたまま、辺りを見回しているだけだ。



「今回は、この身体のままなんだね。」

「あっちの世界とは違って、ここは夢を見ているようなものだ。倫太郎の意思で、どうにでもなるぞ。」



 倫太郎の方を振り返り、いたずらっぽく笑ったギンは、「手始めに、時間を動かしてみろ。」と言った。






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