【3.1.3】 変わりゆく景色。

「倫太郎になら、できるだろう?」



 風が、吹き抜けていく。ゆらゆらと揺れる草と戯れるように、精霊がふわふわと揺れる。

 ギンがいとも簡単そうに告げた言葉が、倫太郎を揺さぶる。



「え、でも、どうやって。」



 ギンの口角があがる。その見た目のせいで、忘れてしまいそうになる恐怖心が蘇る。風が吹き抜けたのか、それとも目に見えないものが動いたのか、倫太郎の足元を、何かが通り過ぎていく。



 ――――考えれば良い。—————



 ギンの言葉が、頭の中に響く。その口は、口角を上げたまま、動いているのか動いていないのか、それすらわからない。倫太郎は、自分を見失うまいとズボンをぎゅっと握った。カシャンという音がした、気がした。



 ————人間が生まれ、増やし、集まり、そして、社会を作り、上に立つ者が生まれ、世界に君臨していく様を。———



 カシャン、カシャンと景色が動く。足元の頼りなげな雑草が、さわさわと音を立てる。不安が、より一層の不安を呼ぶ。



 ————神をし、生きることに対してだけだったはずの欲が、膨らみ、溢れ、奪い合い、————



 ————そして、無気物にその答えを求め始めた人間の姿を―――

 


 ――――そうぞうしろ。



 身体中に反響するギンの声。その口が動いたかどうかさえ確認できないまま、景色がカシャカシャカシャカシャと、フィルムの映像を切り取ってコマ送りにしたように切り替わっていく。時々、ふわりと漂う精霊が、そこに現れては、消える。目がチカチカして、これは、酔いそうだ。


「下手くそ!」と耳元でクロが怒っている。

「あははははは!」と、ギンが腹を抱えて笑っている。


 だからと言って、倫太郎にはどうしようもできない。ただただ切り替わっていく景色を、必死で目で追っているだけだ。

 菅原と神田は大丈夫だろうか。一瞬、そんなことも心を過ったが、視線を景色から離すことができない。目の前にいるギンの髪が、キラキラと光を反射して、もう一つの太陽の様に輝いている。それなのに、その距離感が掴めない。



 その時だ。

 


 倫太郎の目線の先、ギンの向こう側。殻を持つものが、生まれたのが分かった。

 人間以外の、倫太郎が見たことの無い、所謂「下等動物」が生まれる。そしてそれはあっという間に、それこそ一瞬で地に伏せる。倫太郎が、瞬きをしている間に生まれ、倫太郎の視界に映らないまま逝ったものもいるだろう。

 そして、また向こうで生まれ、そして、逝く。ただその繰り返し。


 生まれ、逝く。生まれ、逝く。生まれ、そしてまた逝く。


 それなのに、自然以外何も無い世界に、溢れていく殻を持った者たち。死んでいくのに増えていく、そんな気持ち悪さ。

 そこにいよいよ、殻を伴った人間達が、人間らしからぬその風貌をもって誕生した。


「歴史の資料集で見たな。」なんて、バカな感想を抱いたことも、すぐに忘れてしまいそうなほどに、時が流れていく。 

 彼らは、集い、助け合い、時には争い、その社会を、世界を、広げていく。母が、子が、成長し、産み、死んでいく。その向こう側で文化が生まれ、商業が生まれ、戦いが起き、自然の驚異にさらされながら、無気物を怒濤の勢いで増殖させていく。


 下等動物の中でも、助け合わなければ生きていけない、人間という存在。


 なぜだかわからないが、倫太郎は自分の瞳がぐっと重くなってしまったことに気がついて、その溢れそうになる何かを堪える。今起こっていることへの恐怖か。何も無い世界に放り出された、そのちっぽけな人間の強かさに対する感動か。


 生に食らいつくその姿は、今の人間たちが失った姿だ。


 形あるものを食べなければ、この殻を維持できない。殻を維持できなければ消滅するしかない。だから、生きていくために、必死で形あるものを得て、食らう。

 形あるものを得るために、人間は協力し、生産する術を獲得していく。便利さを追及し、道具を作り、お金を作り、商業が発達する。

 お金が中心の世の中になり、空腹が満たされれば、新たな欲が生まれ、食うために働き、欲のためにも働く。

 時にはその欲のために戦い、たくさんの命が失われる。それなのにまた、どこかで戦いが始まる。


「歴史は繰り返す。」


 先人たちが何かの度に好んで吐き出すような言葉が、倫太郎の頭に浮かぶ。少しずつ形を変えながら、その理由もわからずに、ただただ目の前で繰り返される戦いは、ひどく無駄なものに見える。たくさんの命が、消えていく。


 倫太郎の頬を、あたたかい何かが伝う。これも、殻の一部でしか無いのだろうかと、倫太郎はその溢れた何かを袖で拭った。制服の袖を濡らしたそれは、思い込みでも殻でもない何かであってほしいと、そんなことを願う。



 そして、───が生まれた。



 いや、もしかしたら、もうとっくに生まれていたのかもしれない。それをそうぞうした人物たちでさえも、神とされてしまったがために、人間たちが見失ってしまったもの。

 その圧倒的な存在感。地球全体を包み込むような、そんな存在。それこそ、自然、地球、宇宙の理。目に見えないものでありながら、そこにいることがわかる。絶対的存在、————。


 それなのに。


 人間にとっては、見えないが故に、それは誰の目にも触れないまま見失ない、そして忘れられたのだ。



「…え?これって、ギンのこと?」

「僕は、───では無い。───は、お前たち人間が作り出したものだ。」



 言葉にならないそれが、そのまま倫太郎の頭に流れ込んでくる。何と言っているのかわからないのに、意味がわかる。

 人間が受け取っているのに、それに気づけない何かだ。



「────は、原初の人間がと呼んでいたものだ。お前たちの言う神が、その神自身がと呼んだもの。」



 ギンの向こう側で、人間達が祈り始める。その圧倒的存在である―――を無視して、人間が祈るそれは、精霊であったり、魂であったり、自然であったり、精霊を象ったただの張りぼてだったりする。

 人間達は、キリストや、アラーや釈迦が口を揃えて「神」だと言った何かを無視して、彼らそのものを神として崇め奉った。人間そのものですら死んでしまえば、神のような存在にしてしまうのだ。



「人間達は、見失ったそれを精霊に見出し、魂に見出し、死んだ人間に見出した。形あるものしか認識できない人間達は―――ですら形あるものにしようと偶像化し、偶像化されたものを神と言うようになり、そして本来の神である———はその姿を消した。」



 人間達が祈り始めると、ふわふわと漂うだけだった精霊は、人間が気を込めた場所、もしくは人間そのものに、自分たちの生きる場所を見つけたようだった。


 気を糧として命を繋ぐそれは、助け合わなくても生きていける高等動物。


 人間にとっての「神」の一つとして、尊ばれ、あがめられ、たたえられ、その存在感を増し、知ある精霊としてその形をそうぞうされていく。

 人間達が、時には死んだ人間をも神として祀るせいで、そこら中に神をかたどった何かが溢れていく。それと共に、神の一つである精霊もその力を増していった。



「お前たちは何に手を合わせ、祈っているのか、考えたことがあるか。」



 ギンがニヤリと笑ったその瞬間、映像が止まり、太陽が消え、景色が歪み———倫太郎の目に映ったそこは、何も変わらない薄暗い場所。


 計ったかのように鳴り響く、聞きなれたチャイムの音。そこは、社会科準備室だった。






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