【1.1.0】 郷に入っては、郷に従え。

「これはまた、ありがちなだな。」



 目の前で、仁王立ちで腕を組んだギンが言った。体育座りをしている倫太郎は、見たことの無い風景に唖然としている。


 先ほどの荒野とは全く違った世界。倫太郎の目の前には、視界に収まりきらないほど大きな城がそびえ立ち、倫太郎とその間を馬車が走り抜けていく。倫太郎の脇を行く人が、座っている倫太郎にちらりと視線を向けて、そしていらただし気にハンカチを口に当てて去って行った。

 自分が、人の通り道に座っているのだと気が付いた倫太郎は、慌てて立ち上がる。カチャッと音がして今の自分を見下ろせば、先ほどまでのスウェットは影も形も無く、妙に立派な服を着ていて、腰には剣が下がっていた。

 騎士らしいその格好に似つかわしくない黒猫が、肩の上で面倒だと言わんばかりに溜息をついた。



「あまり、気分の良い場所ではないな。どこにいるかわかるか?」

「まあ、おそらくはあそこだろう。」



 ゆらっと動いた黒い尻尾が差したその先を見れば、目の前に立ちはだかる城しかない。あの中に、何がいるというのか。話の流れからして、クロの仲間ということだけはなんとなくわかっているけれど。



「また、ずいぶんと面倒くさそうなところだな。」

「しかし、あそこが一番旨そうな匂いがする。」



 そう言って、クロが鼻をひくひくとさせる。その姿は、本当にただの猫だ。倫太郎がそう思った瞬間に、尻尾で顔を叩かれた。どうやらまた、心を読まれていたらしい。


 その時だ。



「おい、倫太郎。何をしているんだ。行くぞ。」



 突然、後ろから声をかけられて、倫太郎の肩がびくりと跳ねる。振り返れば、倫太郎の今の格好と同じような格好をした人間が立っていた。腰には、こちらも同じように剣が下がっている。



「返事は!」

「は、はい!」



 勢いに押され、思わず返事をしてしまった。おそらく騎士と思われるその人が、きびすを返し城の方へ向かう。倫太郎が何か言い返せるはずもなく、慌ててその騎士の後を追った。




 石畳の地面を、どれくらい走っただろうか。前を行く騎士は歩いているはずなのに、その速さについて行くために倫太郎はほとんど走っているような感じだった。運動不足の身体がきしむかと思ったが、この身体はびくともしていないようだ。

「中身だけ飛ばす。」とギンが言っていたことを思い出す。きっとこの身体もそうなのだろうと考えたところで、そういえば二人(一人と一匹)はどうしただろうかと自らの右肩をちらりと覗いた。肩にクロの姿は無い。どこかではぐれたのだろうか。


 気が付けば、城の中に入ってしまったようだ。赤い絨毯じゅうたんの引かれた長い廊下を歩いた後、ある扉の前で騎士がビシッときをつけをすると、「第三騎士団所属ルドルフ・ミュラー、及び木嶋倫太郎、入室致します。」と言った。

 慌ててそれにならい、倫太郎もきをつけをする。名前を呼ばれた気がするが、もう何もかもどうでも良いほどにいっぱいいっぱいだ。



「入れ。」



 扉の向こうから声がして、ルドルフと名乗った騎士がドアを開ける。その部屋の中に足を運べば、そこは思ったよりも広い部屋だった。応接室のような立派なソファーセットの向こう、たくさんの勲章を付けたお偉いさんのような人が、大量の書類を載せた立派な机を前にして座っていた。



「第三騎士団所属、ルドルフ・ミュラーです。」



 一緒に部屋に入った騎士が、手を胸に当てて言った。そしてちらりと倫太郎の方を見る。

 倫太郎も慌てて手を胸にやり、「第三騎士団所属、木嶋倫太郎です。」と言った。ルドルフと名乗った騎士がさっと手を下ろす。どうやら倫太郎がしたことは、間違っていなかったらしい。



「よく来てくれた。宰相補佐のダニー・ヒルだ。」



 お偉いさんが手に持ったペンを片付けながらそう言って、椅子から立ち上がる。

 倫太郎は自分がしたことが合っていたらしいことにホッとして、思わず吐きかけた息を急いで止めた。



「君たちには、これからある人物の護衛をしてもらう。馬は扱えると言ったな。」

「は。私が扱えます。」



 え?無理。と言いそうになった倫太郎より早く、ルドルフが答えた。危ない危ないと、倫太郎は心の中で汗を拭う。



「では明日、九時にフィッシャー商会に二頭立ての馬車で向かえ。商人の格好で、だ。そこで、魔術研究室研究員のアルベルト・フィッシャー殿と合流し、その指示に従うこと。」



 なんとなく聞いたことのある名前に、倫太郎が首を傾げていると「かしこまりました!」とルドルフが言った。慌てて倫太郎も「畏まりました!」と続ける。


「畏まりました。」なんて、今までの人生で言ったことがあっただろうか。そんな現実逃避も空しく、その後にお偉いさんが言った言葉に倫太郎は腰が抜けそうになった。



「最終的にはギュッターベルグまで行ってもらう。長旅になるだろうが、頼んだぞ。」

「はっ!」



 唖然とする倫太郎をよそに、ルドルフがビシッビシッと踵を返す。倫太郎も慌ててそれを真似て、後について部屋を出た。



(今、ギュッターベルグと言わなかったか?)



 宰相補佐、ダニー・ヒル。

 魔術研究室研究員、アルベルト・フィッシャー。

 そして、ギュッターベルグ伯。



 それらは、倫太郎が最近スマホで読んでいる小説の登場人物達だ。しかも、全く有名ではないどころか、どこかの素人しろうとが小説の投稿サイトに上げた、ありがちな異世界ファンタジー。



(ここは?小説の中?)



 異世界転生や異世界転移は、倫太郎の中ではもう常識だ。倫太郎の生きている世界では、今やそんな話で溢れている。だからと言って、まさか自分がまきこまれることになるとは誰が想像しただろうか。

 倫太郎はそこまで考えて、そういえばさっきもそんなことを思っていたなと思い出す。突然戦場にとばされた、先ほどのあれだ。



「後で、備品担当から商人の服一式を届けるように言っておく。まずは自らの準備をするように。」



 ルドルフはそう言うと、さっさと歩いて行ってしまった。あれやこれやと流されるままにしている内に、気が付けば空はオレンジ色を通り越して、間もなく夜になる、そんな時間になっていたようだ。

 城の建物と建物を繋ぐ渡り廊下のようなところで置いてけぼりにされた倫太郎が、ただ呆然と立ち尽くしていると、夜のとばりが下りる城の上の方で、キラリと何かが光った。








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