大巫女

 お鈴が、蛟の沼に行ってから二ヵほど経過した。桜も終わり、つつじが綺麗に咲き誇っている。幼蛇ようだを食した息子は、直ぐに熱が下がり元気になった。今では、よちよちと歩き回り、お鈴は一時も目が離せない。

 村人たちは、そろそろ雨が欲しい頃だと言うが、まだ差し迫った様子はなくのんびりしている。しかし、まる三ヵ月雨が降らず食料が無くなり、弱っていたお年寄りが亡くなり始めた。

 困った村人たちは、神社で『雨乞い』をすることにした。


 若い巫女が、雨乞いの儀式をしたものの雨は一向に降らない。代替わりしたばかりの若い巫女では力不足なのだろうと、村人たちは話し合った。そこで、村長むらおさが大巫女さまの元へ相談に行く。


「大巫女さま、あの若い巫女では雨が降りません。大巫女さまに雨乞いをしてもらえないだろうか? なんとか、お願い致します」

「お願いされても、今のわしは老いぼれで、とても雨乞いの舞を踊ることができん。お鈴に頼むしかあるまい」

「えっ? お鈴ですか……?」


 村長むらおさの顔が曇る。


「あぁ、お前さん方がお鈴を村八分にしていることは知っておる。だから、『雨乞い』を頼みにくいこともわかる。しかしこのまま雨が降らなければ、もっと死人がでるぞ。みなで、お鈴に謝って『雨乞い』をしてもらうことじゃ」


 村長むらおさは、返事ができずにいる。

「わしから、お鈴に頼んでみよう。お鈴を、ここに呼びなさい」


 こうして、お鈴は神社の側に建つ大巫女さまの屋敷に呼ばれた。かつては、自分も暮らしていた屋敷だ。

 お鈴は、欠けた人差し指を隠すように左手を右手の上に乗せ、正座した膝の上に置いた。不自然な感じはない。


「久しぶりだな、お鈴。太郎は元気か?」

「お陰様で元気にしております。大巫女さまもお達者で何よりでございます。して、今日のご要件は?」

「ふむ。お主も分かっていると思うが、お梅の『雨乞い』が上手くいかなくてな、お主に『雨乞い』の儀式を頼みたい」

「……私は、今は巫女ではありませぬ」

「知っておる。じゃが、巫女の力は健在じゃ。いや、子を産み、以前よりも力が増したようにも視える。わしの目は誤魔化せんぞ」


 お鈴は息を飲み、深々と頭を下げた。


「大巫女さまの御頼みといえど、『雨乞い』はできませぬ」

「……村の衆がお主に酷く当たったことを恨んでいるのか?」

「はい。私にも非があったとはいえ、村人の仕打ちを許せるはずはありません」

「巫女でありながら旅の男に恋をし、子を身ごもってしまったお主を村八分にしたのじゃ。それを許せというのは、難しい話であろう。わかっておる。だがな、このままでは、多くの村人が死んでしまうかもしれん。お主の大切な太郎だって、生き残れんかもしれんぞ。女一人で、子を育てながら生き抜くのは無理じゃ」

「——なんと言われても、私には『雨乞い』の力などないのです。他の巫女にお頼みください」


 お鈴は、ついうっかり、膝の前に両手を付き深々と頭を下げた。

 大巫女は、お鈴の右手の人差し指が欠けていることに気づき、青ざめた。


「お鈴、その指は!! まさか、蛟さまの⁉」

 お鈴は慌てて、右手の人差し指を隠した。

「いいえ、これは慣れない農作業をしていて、鉈で切ってしまったのです。本当です。失礼します」

 お鈴は、逃げるように屋敷を後にした。

 

「まさか……? あのお鈴が、村の掟を? いいや、本当に鉈で切ったのかもしれん。しかし、雨乞いが効かないのはもしかしたら……?」

 大巫女の胸に広がる不安。打ち消しても、打ち消しても、お鈴に対する疑念が波のように押し寄せてくる。


 このままでは、この村は終いじゃ……

 雨乞いは効かず、日照りは続き、さらに多くの死人が出る……


 大巫女はそう呟き、うなだれるしかなかった。



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