蛟の子

「蛟さま! 蛟さま! お願いでございます。この子を助けて下さい!」


 お鈴は沼に向かい、叫び祈った。水面が激しく泡立ち、沼底の奥深くから声が届く。


「ここは、人の来る所ではない。村の掟を知っておろう。すぐに立ち去れ!」

「嫌です! この沼の水を飲ませて下さい。そして、この沼の魚をこの子に食べさせてください」

「この沼の魚とな?」

「はい。この沼の水を飲むと元気になり、魚を食べると病が治ると聞いたことがあります」

「病を治す魚など、この沼にはいない。お主が言っているのは、我が子・幼蛇ようだのことであろう。蛟の子を食すと、蛟の力を手に入れることができるからのう」


 お鈴は愕然とした。病を治してくれるのは沼の魚だと思っていたのに、まさか蛟さまの御子だったとは……。 神の御子を食す。そんなことは許されることではない。

 頭ではわかっている。わかっているが――


「蛟さま。あなたさまの子を、我が息子に食べさせてください」

 お鈴はそう言って、深々と頭を下げた。


「愚か者め! 大切な我が子を、お主にやれるか!」

 

 雷鳴とともに、蛟の声が響く。普通の人間ならば、雷鳴と神の声に恐れおののき、さっさと逃げ帰るに違いない。しかし、お鈴は違った。カッと目を見開き、沼の底にいる蛟に向かい落ち着いた声で話す。


「蛟さま。私の子は、今にも命が尽きようとしております。大切な子を守りたい親の気持ち、あなた様もおわかりでしょう」


「なっ!」

 言葉に詰まる蛟。

 一瞬の間を置いて、蛟が声高らかに笑う。


「なんという女子おなごじゃ。わしが子を想う気持ちも、お主が子を想う気持ちも同じであるなら、わしの子を食わせろと……。お主は、わしにそう言うのじゃな。では、神の子を食うたときにどんな災いが起きるか、お主は知っておるか?」

「——いいえ、存じませぬ」

幼蛇ようだを食えば、お主の子の命は助かる。しかし村には七つの月、雨が降らず日照りが続き、作物は枯れ、川は干上がり多くの死者が出るであろう。それでも、幼蛇ようだを食すか?」


 お鈴の瞳が左右に揺れた。しかし迷ったのは、ほんの一瞬だけだった。


「この子のためなら、私は鬼になりましょう」

「よかろう。指を一本沼の中に入れるが良い。餌と間違えて幼蛇ようだが食らいつく。まぁ、指が一本食われて無くなるぐらい、お主にとっては大したことなかろう。家に帰ったら、沼の水で幼蛇ようだを煮て、その子に食わせるがよい。しかし、お鈴忘れるな。これより七つの月、村に雨が降ることはないのだぞ。そして、多くの死人が出る。お前のせいでな」


「……はい。蛟さま、お力添えありがとうございます」


 お鈴は、まず腰に下げていたヒョウタンに沼の水を汲んだ。それから沼の中に指を入れようとしたが、一瞬躊躇った。怖いからではない。胸の奥が、チクチクと痛んだような気がしたのだ。


 本当に、これでいいのだろうか?


 自分の心に問いかけた。その時、背中の子の苦しそうな息遣いを感じる。

 そうだ、村医者はこの子を診ようともしなかった……

 その怒りが、腹の底から沸き上がり胸を痛みを消し去った。お鈴は、ゆっくりと右手の人差し指を入れた。


「痛っ!」


 直ぐに、鋭い痛みが走った。水面が赤く染まる。指を上げると、そこには親指ほどの小さな金色の蛇が食いついていた。お鈴は幼蛇ようだを素早く先程のヒョウタンに入れる。もう痛みは感じない。


 沼の水のおかげだろうか? 人差し指の第二関節までを失っているというのに、もう痛みもなく、血も止まっている。


 お鈴は持っていた手ぬぐいを裂き、人差し指に巻いた。その後の記憶ははっきりしない。いつの間にか雨は止み、お鈴は家へと戻っていたのだ。

 

 



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