第4話 ゾンビの力
「あいつ大丈夫かな……」
遅刻ギリギリで学校についた俺は、自分の席に座りながら授業が始まるのをボーっと待っていた。家に一人にしたミクトのことが少しだけ気がかりだったが、子どもじゃないだろうから大丈夫だろう。
「……ん?」
視界の隅で黒い物体が動いた気がして、俺は廊下の方を振り向く。
すると、全長190センチはありそうな人間の形を模したラナウェイが辺りを見渡しながら廊下を歩いていた。
「学校にいるのは珍しいな」
今までも学校で出くわしたことはあるが、それはトイレの中やあまり使わない階段の隅など人気のない場所ばかりだ。こうして多くの生徒が通る廊下にいるのは珍しい。
当然、俺以外の人にはラナウェイは見えていない。その証拠に堂々とラナウェイの横を通ったり、前を通過したりしている。もし視えているのなら、あんな得体の知れない謎の物体なんか近づこうとすらしないだろう。
「……」
特に何もしてこないと判断し、視線を再び黒板に向けようとした瞬間、真紅の瞳がこちらを向く。その刹那、背中が凍り付くような緊張感が襲う。
「――」
「……。ふぅー」
しかし、ラナウェイは暫く俺の方を見ていただけでそれ以上は特に何もしてはこなかった。そして、何事もなかったかのように徘徊を続けた。
視界からラナウェイが消えた瞬間、緊張の糸がほどけたような開放感を感じて大きく息を吐いた。
安心に浸っていると先生が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まる。
(ああ……。眠いな)
ラナウェイのせいで俺の睡眠時間は5時間ほど。遅刻はしなかったが、目がさえているわけではなかった。瞼が以上に重く感じ、先生の声が子守歌のように聞こえる。
「……」
そして俺は注意されるのを覚悟して、そのまま机に伏せるようにし眠りについた。
◆◆◆
――目が覚めた時、既に昼休みになっていた。
教室の時計が12時30分を示しており、昼休みが始まって30分が経過している。
「マジか」
午前中の授業全て寝て過ごしたということになるが、起こしてくれる先生もクラスメイトもいなかったということか。自分のコミュニケーション能力の低さに落胆しながら、重たい足取りで教室を出る。
特に行きたい場所があるわけでもないが、何となくあの賑やかな教室の雰囲気は性に合わない。だから俺は今朝見かけたラナウェイのように廊下を徘徊することにした。
「進路相談室か」
歩いていたところである教室の看板が目に止まる。この学校は授業で使う時以外でも空き教室の鍵が開いている。特にこの進路相談室は殆ど使われることがないので、いつも人がいない。
「丁度いいか」
昼休みが終わるまでここで時間をつぶそうと、教室の引き戸を開けた。その瞬間、吐きそうなくらい強烈な血の匂いが鼻を突き抜ける。
「な、なんだよこれ……」
恐る恐る足を進めてみると、足元でぴちゃっと水を踏んだような音が響いた。ゆっくりと視線を落としてみると、そこにはどす黒い色をした血の水たまりができていた。それをみた瞬間、自分がラナウェイに襲われた時の記憶が蘇る。
その時、教室の奥の方の机がいきなり倒れた。ガシャン!という大きな音は、俺の意識を集中させるには十分すぎるほどの音だった。
「……」
視線を向けた先には、今朝見かけたのと同じだと思われるラナウェイが立っていた。人間のような形をしたラナウェイは、俺のことを見た途端嬉しそうな表情を見せる。
そして、次の瞬間。
「きしゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
鼓膜が破れてしまいそうなほどの声量で奇声を上げる。足に力を入れ、身体が吹き飛ばされそうなのをジッと耐えていると、気づけば遠くにいたはずのラナウェイが目の前に立っていた。
逃げようとしても身体が動かない。全身の震えが止まらないのにも関わらず、目の前のラナウェイから目を離すことができなかった。
「あ……え……」
声も出すことすらできなかった。今すぐにでも叫んで助けを呼びたいのに、喉が封鎖されているように声が上手く出てこない。
助けを呼ぶことさえできなくなってしまうほど、恐怖の感情に支配されていたのだ。
「がっ……!」
丸腰で動けない獲物をラナウェイが見逃すわけがない。急に頭を鷲掴みされ、そのまま放り投げるようにして吹き飛ばされる。衝撃で机が何とか倒れ、背中に鈍痛が残る。
昨日のようにいきなり足を食われることは無かったが、トンカチで殴られたような痛みに思わず声があがる。
――『ラナウェイが人を襲うのは新しい器を手に入れるためです』
不意にミクトに話されたことが頭の中に響く。
そう。ラナウェイは、人間の負の感情が原因で誕生した魂の化物。
人間を襲う理由は新しい器を手にするため。その身体を乗っ取るため。
つまりこいつは、俺のことを殺して新しい器にしようとしているということだ。
「……」
全身に響くような背中の痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がって目の前のラナウェイに瞳を向ける。
極上の獲物を見つけたような顔をしているラナウェイは、右手を真横に伸ばすと指先の形状を変化させる。バキバキと、骨が折れるような音を立てながら自身の右腕を巨大な刃物のようなものに変化させた。
「おいおい。そんなの見たことねえぞ」
自分の身体の形を変えるラナウェイなんて見たことがない。外見そのものに違いがあることは知っているが、自ら変えられることができるのは知らなかった。しかし、関心ばかりしていられるわけでもない。むしろ状況は悪化していると言っていいだろう。
ただでさえ身体能力に大きな差があるというのに、それに加えて全身を武器に変化させることができるなんてチートにもほどがある。
「きしゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
再び奇声を上げたラナウェイが、教室が揺れるほど力強く床を踏み込む。
そして、ジェット機のような速さで俺の方に飛んで来た。その勢いに気圧され、思わず尻餅をつく。
( うわ……。これ終わった)
そう確信した、その時。
ガシャン!と音を立てながら窓ガラスを割り、大鎌を持った銀髪の死神が教室に乗り込んできた。
俺を庇うようにして前に立ち、刃物と化したラナウェイの右手を大鎌ではじく。黒板を爪で引っ掻いたような音が響き、擦れあったところからは火花が散る。
「……」
まるで映画のワンシーンを見ているような気分で、俺は口を開けたまま唖然としていた。
すると、振り向いたミクトが俺と目線を合わせるように屈んで手を出してきた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ…。背中が痛い以外は特に」
差し出してきた手を掴んで立ち上がり、まだ痛む背中をさすりながら質問に答える。説明すると、ミクトは心配そうに俺の背中に触れるが、ラナウェイの存在が視界に入ると表情が変わった・
「治療に関しては後にしましょう。それよりも先にあれを何とかしないと」
「よろしく頼む」
女の子に任せるのは男としてどうかと思ったけど、俺はゾンビである以外はどこでにでもいる普通の男子高校生だ。あんな化物と戦う力があるわけがない。
そう思い、邪魔にならないよう教室の隅にでも隠れていようと背中を向けると、ミクトが服を引っ張り、俺の足を止める。
「丁度いいです。鷺沢さんが倒してみてください」
「はっ?」
唐突な提案に、思わず呆けたような声をあげてしまった。
「いやいやいや。俺に倒せるわけないだろ。実際、マジで死を覚悟したから」
首を激しく振りながら断ろうとすると、ミクトが俺の左胸を人差し指で優しく突く。
「大丈夫です。鷺沢さんはもう普通の人間じゃない――ゾンビなんですから」
「――!」
ミクトの言葉に俺の中で妙な好奇心が芽生える。
そう、俺はいまゾンビだ。
でも、それを証明したことはない。自分自身が本当にゾンビになったのか、そしてゾンビとは何なのかというも。
「……」
何もない手のひらを見て、俺は覚悟を決めた。
「分かった。やるよ」
「やる気になってくれて嬉しいです。初陣、期待していますよ」
「何かアドバイスとかないのか?」
覚悟を決めたとはいえ、理解も何もしていない状態で戦えるほど自信があるわけではない。
するとミクトは、表情一つ変えずあまりに自然過ぎるほど淡々と説明した。
「思いっきり殴って、蹴ってください。結晶になれば討伐完了です」
「えっ?」
「取り合えずアドバイスはここまでです。物は試しという言葉もあるので、頑張ってみてください」
「……」
どこか釈然としない内容で、首を傾げながら再びラナウェイに視点を合わせる。ご親切に俺の覚悟が固まるまで待ってくれたラナウェイは、右腕だけでなく左腕の形状もドリルのように変えていた。
「もはや人間の面影が無くなってきたな」
ここまで外見を変えられると、最初に見かけた頃の姿とはかけ離れ過ぎていた。
「きしゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
大きな奇声を上げるが、三回目となれば大分慣れてくる。俺は全くひるむことなく、むしろチャンスだっと思い近くあったい椅子を持ってラナウェイにぶん投げる。
「!!」
しかし、ラナウェイの右腕によって真っ二つにされてしまい惜しくも攻撃にはならなかった。
「もう一発!」
それでも俺は何度も椅子や机を投げ続け、その度に真っ二つにされたりドリルで破壊されたりが続いた。
「きしゃああぁぁ!」
さすがに鬱陶しくなったのか、怒りを込めた叫び声をあげたラナウェイがいつもより力を込めて投げつけた椅子をドリルで破壊する。
「……」
必要以上の力を出したせいだろう。大量の煙があがり、視界が一気に悪くなった。
俺はこの好機を逃さず、一気にラナウェイとの距離を詰める。
ラナウェイは煙のせいで俺を見失い、さらに怒りに震えて右腕を激しく振り回す。
「うおおお!!」
そして、丁度ラナウェイの死角になるところに現れ思い切り拳を振るう。
腹部に一発、だがまだ威力は死んでいない。
ラナウェイはそのまま壁まで吹っ飛ばされ、思い切りめり込んだ。
その数秒後、紫色の粒子となって消えていき結晶だけを残していった。
「えっ?」
まさかの出来事に言葉が出てこなかった。
確かに全力で殴ったとはいえ、まさか一撃で倒せるとは思ってなかった。
「もしかしてラナウェイって強さ自体はそうでもないのか?」
当然ながら今までラナウェイと戦ったことはないので、今回がどれくらい強いのか分からない。けど、俺が一撃で倒せるレベルだということは大したことはないのかもしれない。
「おめでとうございます。正直、ここまでできるとは思ってませんでした」
言葉通り、驚いた表情をしながらミクトがやってきた。
「ああ……。でも正直、こんな簡単に倒せるもんなのか?」
するとミクトは、俺の前を素通りして魂の結晶を拾ってから再び口を開いた。
「普通の人間にはまず無理でしょうね」
「はあ?」
どこか含みのある言い方に思わず首を傾げる。
「私がこの世界にやってきた理由はラナウェイを討伐するためです。もし普通の人間にも倒すことが出来るのなら、私の来る意味が無くなります」
「まあ、そりゃあそうだけど……。そうじゃなくて、何で俺がこんなにも簡単に―」
「さっきも言ったじゃないですか」
俺の言葉を途中で遮り、いつもより圧を感じる言い方に思わず引き下がる。そして再び、ミクトが口を開いた。
「鷺沢さんは人間ではなく、ゾンビなんです。そしてゾンビというのは不死身であるだけではないんです」
「どういうことだ?」
「本来人間には無意識に自分の身体を守っています。簡単に言うと、自分自身が持っている力を100%出すことができない。けど、もう死んでいるゾンビには関係ない話です。だって身体を守る必要がないんですから」
「それじゃあ…」
「そう。鷺沢さんがラナウェイを倒せたのは、自分の力を100%……120%出すことができるからです」
ミクトの話を聞いて直ぐ、俺は自分の両の掌を見つめる。そして、ラナウェイを一撃で葬ったあの感覚がまだ拳に残っていた。
あの力が俺の100%。
もしかしたら120%かもしれないけど、あれは俺の本来の力。
「ゾンビってすげえんだな」
柄にもなく気分が高揚していた。それと同時に、頭の隅に残っていたしこりのような疑問がすっと消えていくのを感じた。
これがゾンビで、この力がゾンビである証明なのだ。
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