第3話 お先に失礼しています

 静寂に包まれている深夜の住宅街。そこを照らす光は街灯と夜空に浮かぶ月明かりだけで、妙に寂しい雰囲気が漂っていた。

 ミクトとは公園で別れることになり、俺は家に帰るために、この寂し気な住宅街を一人で歩いていた。カツっカツっカツっと、自分の足音だけが響く中、俺はミクトとの会話を思い出していた。


「ゾンビ……か」


 縦に伸びている自分の影を見ながら、小さな声えで呟く。


「正直、いつもと変わらねえな」


 俺はミクトの力によってゾンビにされた。それを理解はしているが、まだ納得はしていないような感じだ。ゾンビになったからと言って目に見える変化はないし、確かめる勇気があるわけでもない。


 おもむろに両手を握ったり開いたりを繰り返しているが、何か分かるわけでもない。


「そう言えばラナウェイが視えることに関しては何も分からなかったな」


 俺が物心ついた時から視える謎の存在。それは人間の負の感情が原因で生まれる魂の化物のことだった。普通の人間には視えない存在だが、俺には視ることができる。その理由は死神であるミクトでも分からなかった。

 話を聞いた時は夢でも見ているのかと思ったけど、右足が無くなった時の痛み。全身を染める生暖かい血の感触が強く記憶に刻まれていた。


「あれ?」


 考え事をしているうちに、気づけば家に着いていた。そして直ぐに違和感を覚えた俺は、思わず呆けたような声をあげる。

 部屋の明かりが窓から漏れている。場所的にリビングということが分かるが、電気を消し忘れて家を出て行ってしまったということだろうか。


 記憶が曖昧のまま、ドアノブに手を伸ばす。すると…


「家の鍵も開いてる?」


 何の抵抗もなくドアが開いてしまった。いくら適当な性格だからと言って、誰もいない家に鍵をかけないほど不用心な人間ではない。


「まさか……。泥棒か?」


 ラナウェイに死神、その次は泥棒かと皮肉にも笑ってしまう。そして俺はそのままゆっくりとドアを開け、なるべく音を立てずに閉めて傘を持ちながら靴を脱いだ。


 そーっと、そーっと、物音を立てずに廊下を歩いてリビング近くのところで足を止める。


「……」


 傘を持っている右手に力を込め、乗り込むために心の準備を整える。


「よしっ!」


 そしていざ、リビングへ乗り込もうと意気込んだその時。


「ああ。やっと帰ってきたんですね」

「はあ?」


 聞いた覚えのある無機質な声がリビングから響く。急いでリビングに入って確認してみると、銀色の長髪と瑠璃色の瞳が特徴の少女がソファーに座りながら優雅に紅茶を飲んでいた。


「何やってるんだよ……」


 その少女は、さっきまで公園で話していた冥界からきた死神――ミクト・ランテクートリだった。


「遅かったですね」

「遅かったじゃねえ。何で俺に家に勝手に入って、そして優雅に紅茶なんか飲んでるんだよ」


 どういうことか説明しろと、テーブルを強く叩くとミクトはめんどくさそうに息を吐いてティーカップを静かにテーブルに置いた。


「だって私は先に言いましたよ?『お先に失礼します』と。だからこうして失礼しているだけじゃないですか」

「それを『先にこの場から離れます』って意味じゃなく、俺の家に勝手に入って紅茶飲んでますって意味だと分かる奴はいねえよ!」

「そんなに察しが悪いと女性にモテませんよ?鈍感男がモテるのは空想の世界です」

「俺らにとって空想上である奴が言うセリフじゃねえな……。ってか、微妙に痛いところついてくるのは止めてくれ」


 急所を弓矢で射られたような衝撃が襲いかかり、もたついた足取りのままミクトの隣に倒れる。


 そのまま彼女の顔を覗いてみると、今まで人形のように表情が動かなかったミクトがクスクスと笑っていた。


「――っ!」


 一瞬、時が止まったのかと思った。まるで電気が走ったような感覚が全身に伝わり、瞬きをするのも息をするのも忘れてしまうほどミクトの笑顔に見惚れてしまった。


「鷺沢さん?」


 聞こえる声に、目が覚めたような感覚が走る。そして目の前では、いつも通り人形のような顔をしたミクトが瑠璃色の瞳を向けていた。


「いや……なんでもない」


 一つ遅れたテンポで言葉を返す。ミクトは『納得がいかない』という顔をしているが、俺が『なんでもない』と言ったからそれ以上は聞かないようにしているのだろう。


 それのせいでお互い、話を切り出そうのも切り出せない状況が出来上がってしまった。突然訪れた沈黙に、今までに無い緊張が俺を襲う。


 カチッ、カチッ、カチッ、と秒針が動く音が妙に大きく聞こえる。そのまま流れで時計に目を向けてみると、午前3時を示していた。


「午前3時?」


 思わず声に出してしまった。そしてあることを思い出した俺はソファーから飛び跳ね、大慌てでリビングを飛び出して両親が使っていた寝室へと向かう。


 クローゼットを開け、来客用の布団を取り出して、それを抱えながらミクトがいるリビングへと戻る。


「これ布団。寝る時に使ってくれ。俺は学校があるから今日は寝る。寝る時はこの部屋の電気を消してくれ」


 そう。『あること』とは学校のことだ。こう見えて俺は今まで無遅刻無欠席を小学校から続けている。ここで皆勤を逃すわけにはいかないので、今すぐにでも寝なければならない。


 だから俺は要点だけ適当に伝え、自分の部屋へと走った。ミクトは終始、呆気にとられたような顔をしていたがそんなことに構っている場合ではなかった。


「……変な人ですね」


 拓巳がリビングから消えた後、一人残されたミクトが小さな声で呟く。呆れたような、それでいてどこか嬉しいそうな声で。


「温かい……」


 拓巳が運んできた物には毛布もあって、生地を撫でながら薄く微笑む。ミクトはこの世界に来てから、こんな室内で寝るようなことはなかった。今までは人気のない墓地や廃屋などで寝ているので、布団を使うのも初めてのことだった。


「ふふっ」


 そして、誰も聞いていないことを確認してから小さく笑ってソファーに乗っ転がる。そして、拓巳に渡された温かくて優しい肌触りの毛布をかけて眠りにつこうとする。


「あっ」


 最後にきちんと、言われた通り部屋の電気を消してから。


◆◆◆


――ピピピ、ピピピ、ピピピ。


「……」


 寝る前にセットしておいたアラームで目を覚ます。正直に言って、寝起きは最悪だった。こんなにも清々しいとかけ離れた朝を迎えるのは初めてのことで、思わずため息がこぼれる。


(まだ寝ててえな……)


 心の中でそう呟くが、二度寝をするほどの余裕はない。就寝したのが3時過ぎだったのも考慮し、いつもより遅い時間にアラームをセットしたのでいつもより準備の時間がないのだ。


 現在の時刻は7時45分。8時に家を出れば間に合うのだが、朝食を食べている時間はないだろう。


「はあ……。起きるか」


 本日二回目となるため息をこぼしながら鉛のように重い身体を動かし、自室を出る。大きな欠伸をしながら階段を降りて、いつものようにリビングのカーテンをあけてから洗面所に向かおうとした。しかし、


「すぅー。すぅー」

「……」


 リビングのソファーでは、何とも可愛らしい寝息を立てているミクトの姿があった。起きている時は俺と変わらないくらいの年に見えるが、こうして寝ている姿は少しだけ幼く見える。できることならこのまま目が覚めるまでゆっくりと見守りたいところだが、そんなことをしている場合ではない。


 取り合えずカーテンを開けるのは諦めることにして、極力音を出さないように洗面所へと向かった。


 顔を洗い、歯を磨いて着替えのために再び自分の部屋へと戻る。洗面所から自分の部屋に行くのにはリビングを通過する必要があるため、しっかりミクトの寝顔を堪能してから階段を登った。


「あ、アイロンかけるの忘れてた」


 ワイシャツのくしゃくしゃ加減を見て気が付がついた。そう。今は一人で暮らしているため、こうした洗濯やアイロンがけも自分でやらなくてはならない。

 あいにく変わりとなるワイシャツは見つからず、仕方なくくしゃくしゃなものな物を着ることにした。

 ネクタイを締め、カバンを持って登校準備完了。時間を確認してみると、7時57分を示していた。    


 まだギリギリ3分あるということで、俺は適当な裏紙に『学校行ってくる。夕方には帰るけど、もし外に出るなら鍵をかけて出て行ってくれ』とだけ書いて家のスペアキーと共にリビングの机に置いてから学校に向かった。


「行ってきます」


 起きないよう小さな声で呟く、音を立てないようにドアを開ける。


 これがゾンビになって初登校だ。

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