最高のツーリング日和

柴田 恭太朗

1話完結 富士山を望むキャンプサイトにて

 遠く富士山を望むオートキャンプ場。

 秋の午後三時。空はスカッと澄みわたった青。天が高い。


 県道からキャンプサイトまで直接クルマやオートバイで乗りいれることができる。りょうはオートキャンプ場へ赤いオフロードバイクで乗りつけていた。

 このキャンプサイトには、自由に利用できるレンガ組のかまどが用意されている。大きな荷物になるバーベキューコンロなどを持たず、ナップザックひとつで身軽に旅をしたいバイク乗りにはありがたい設備だ。


 亮はザックから小ぶりのアルコールストーブを取り出すと、かまどに置いた。それは手のひらにちょこんと乗るほどの小さな調理器具で、フタのついた輝く金色の缶。缶の上部には小さな穴が点々と開いている。構造は実にシンプルだ。中には燃料のメタノールを満たしてある。彼は百均で手にいれたファイアースターターで火花を起こす。電気花火のような火の粉が散って、燃料に着火する。


 メタノールの透きとおった青い炎は眼には映りにくい。亮は手のひらで立ち昇る熱を確認して、「よし」と小さくつぶやいた。アルコールストーブに、打ち抜いたチタン板を十字に組み合わせた簡単な五徳と片手鍋をセットし、たっぷり多めに湯をわかす。


 亮の耳に入ってきたのは、遠くから近づいてくる重々しい大型バイクのエンジン音。亮が来た東京とは反対方向、神奈川方面から聞こえてくる。やがてキャンプサイトに真っ赤なドゥカティが姿を現した。スタイリッシュなオンロードタイプのオートバイ。派手な赤い革ツナギを着た女性ライダーは、ピカピカに磨き上げられたバイクを、泥だらけの亮のバイクの横に止めた。彼女がヘルメットを取ると、長い髪があふれ背に流れた。


 キャンプサイトにかまどは三つ並んで作られている。そのうちの右端は亮が使用していた。ドゥカティの女性は、しばらくためらったあと、真ん中のかまどを選んだ。


「最高のツーリング日和だね」

 隣で火をおこし始めた女性に、亮が声をかけた。

「……」

 女性は返事をしなかった。それどころか、亮の顔を見ようとさえしない。彼女は哲学者の表情をしたまま、かまどのセッティングを続ける。

「水道水を汲んであるよ。よければ使って」

 亮がポリタンクを掲げて、彼女に示す。女性は無言のまま、バッグからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、コッヘルに水を満たし始めた。


 また無視か。亮は肩をすくめて湯沸かし作業に戻る。だが、アルコールストーブの弱い火力ではなかなか湯の温度が上がらない。それに対してドゥカティの女性は、円筒形のガスカートリッジに取り付けたシングルバーナーを使用していた。彼女のコッヘルから早くも白い湯気がうすく立ち昇りはじめる。


 これは競争ではない。亮はそう思いつつ、なぜか微妙な焦りを感じた。片手鍋を左手に取り、アルコールストーブのフタを爪先でチョンチョンとつついて、さらに開いて火力をあげようと試みる。

「あちっ!」

 メタノールの青く透明な炎が彼の指をあぶったのだ。亮は右手を冷やそうとあわててウチワのように振った。


 赤い革ツナギの女性は、彼の様子を驚いたように見つめていたが、やがて朗らかに笑いだした。

「あいかわらずドジね」

「ひどいな、麻由まゆ。一年ぶりだっていうのに」

 麻由は家をでて、別の街で暮らし始めた別居中の妻である。

「バイクだって、あいかわらず汚いままだし」

 彼女が亮のバイクをあごで示す。

「泥はオフロード車の華。最高の化粧だ」


 亮は麻由のオートバイを振り返る。

「そっちこそ、あいかわらずじゃないか」

「何が?」

「バイク買い替えたろ。また赤なんだな」

「もちろんよ。赤が私のテーマカラーだもの。なりたい自分に導いてくれる色」

「それでカップ麺も赤ってわけか」

 亮は麻由が地面に置いたバッグから半分見えている『赤いきつね』を指した。

「ああ、これのこと?」

 彼女は赤いきつねをバッグから取り出してみせた。

「私が好きだからよ。あなたも知ってるでしょう?」


 知っている。亮は思う。カップうどんは麻由の好物だった。二人でバイクに乗って、景色のいいところを巡る。腹がへったら湯をわかして、好きなカップ麺をすする。麻由はいつも赤いきつねを食べていた。同じ趣味を分かち合える女性と知りあい、結婚できたことは最高の幸せだと思っていた。一年前までは。


「今日はここへ来ないかもしれないと思ってた」

「あなたが絶対来いって言ったんじゃない」

「そうだな。来てくれてありがとう」

「で?」

「うん?」

「用件があるんでしょ」

「ああ。そろそろ一年だろ。考える時間としては充分かな」

「……結論を出せと。そう言うわけね」

「なんだかんだ言って俺たちはアラフォー。よりを戻すにせよ、別れるにせよ、キリのいいタイミングかなと思ってさ」


 麻由のコッヘルから盛大に白い湯気が立ちはじめる。沸騰したようだ。彼女は「お湯がわいてる」とつぶやいて、シングルバーナーのコックを片手で閉じた。


「わたしとあなたでは、何もかも違うでしょう。嗜好も興味の対象も」

「ツーリングでは気が合ったぜ」

「その一点だけはね。たとえばバイクを見てよ、個性が違うもの」

 麻由は亮の泥で汚れたオフロードと彼女の輝くオンロードを指さす。一緒に暮らしてみてわかったことだが、彼女の言うとおり何もかも違う。湯の沸かしかただって違う。


「人間なら違いがあって当然。それより俺たちには貴重な財産があるだろ? 共通する思い出という財産が。はじめてここで出会って、同じ赤いバイクに乗っていることから会話がはじまってさ、一緒にカップうどんをすすった日。この景色が、富士山が証人だよ、何年経っても変わらない。きっと何十年経っても、いや何百年経ったって変わることなく、この場所は存在するんだ」

「すぐ話をそらせる、そして大げさに膨らませる」

「夫婦ってさ。同じ思い出を積み上げながら、微妙な違いを楽しむものじゃないの?」

「どうかしらね」

 麻由は気がなさそうに答えると、手にした赤いきつねの包装をやぶり、フタを開けて調理を始めた。


「そうだ麻由、土産があるんだ。この前、北海道へ行ってきた」

「また? 何度めよ」

「五回? 六回かな? とにかく土産がある」

 亮はナップザックから赤いきつねを取り出した。北海道バージョンである。

「食べ比べてみないか?」

 ようやく湯がわいたアルコールストーブの片手鍋を取り、彼は北海道版のカップに湯を注いだ。


 五分経った。早速カップのフタを取り、亮は割りばし、麻由は折りたたみ式のフォークでうどんをすすり始める。ときおりどんぶりを交換して、スープの違いを確かめる。

「ホントに昆布だしのかおりが違う」

「違うもんだな」


 二人が味の違いに感心しつつ食べ比べをしているところへ、キャンプサイトの芝生を踏みしめながらファミリーカーが到着した。白のミニバン。若い夫婦と幼児二人がクルマを降りてくる。子どもらがキャッキャッとはしゃぎまわる中、夫婦がテントを張りはじめた。


「すてきな家族ね。子どもがいれば、わたしたちも違ったかな」

 麻由が家族のなごやかな光景を見て、目を細める。

「よそう、それを考えるのは。詮のないことだよ」

 二度の流産、一度の早産で子どもをあきらめた。特に最後の子は臨月間近の死産。期待が大きかっただけに、辛い結果となった。それから麻由が精神的にまいってしまい、別居の直接的な起因となった。

「たまに思い出すのよ」

「支えるよ、俺が。辛いけど乗り越えよう。また一緒にさ」

 ふたたび無言になった麻由は遠い目をしながら、歯でかんだフォークを水平に保ち、ゆっくりと上下に動かしている。


「いいこと考えた。俺の割りばしと麻由のフォーク、ちょっと交換してみない?」

「どうして」

「カトラリーが変わると、料理は味わいが変わるんだ。試してみよう」

 亮は割りばしを麻由に差し出し、フォークと交換する。


「あ、ホントだ!」

 割りばしを手に、ひと口うどんをすすって麻由が感嘆の声をあげた。

「わたし、食器の違いで、こんなに味わいが変わるとは思わなかった」

「だろ? 何ごとも工夫が大切ってことさ。同じうどんだって、工夫次第で何通りの楽しみかたもできる」

 亮はフォークでうどんをすすりあげ、「うまい」と満足げにうなった。


「あなたが言いたいのは、夫婦にも同じことが当てはまるってことでしょう」

「そのとおり。説教くさかった?」

「まあね。でもわたしたち工夫が足りてなかったかな、とは思う」

「俺も一年かけて、そこに気づいたんだ」

「個性の違いが生み出す味もあるかもね」

「だろ? うまい具合に『緑のたぬき天そば 北海道』もあるぜ。ウチで食べ比べしないか?」

「悪くないわ、その提案」

「よし、ちゃちゃっと片付けて、渋滞に巻き込まれる前に出発しよう」

「言っておきますけど、おそばに惹かれたわけじゃないですからね」

「フフン? 俺の魅力を再発見したんだろ」

「そういう子どもなところは、全然変わらない」

「魅力は否定しないんだな」

「これから探すことにします。あれこれ工夫しながら、たっぷり時間をかけてね」


 オフロードとオンロードバイクのちぐはぐな二台は前後に連なって、キャンプ場を後にした。


 行く道は一つ。空は夕焼け、明日もいい天気になるだろう。


 終

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最高のツーリング日和 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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