第5話 サウス パシフィック ホテル

 返還前の香港に一度だけ行ったことがあります。


 ケンタの結婚式でした。

 ケンタは僕らヨット部の同期で副将をやっていました。


 ご実家が中華料理店を経営していて、大学2年生のときにお父さんが亡くなられてます。

 大学に行きながら料理の修行を並行して行い、僕らもその修行中の店に何度か行ってます。その時は池袋だったかな。

 横浜の中華街でも彼は修業をしていましたね。

 当然僕らも食べに行きました。

 今でも中華街に行くと、

「ここでケンタが昔に働いていてね、『排骨麺』食べたな」

 と家族には話しています。


 ケンタは大学を卒業し、修行も終わり、実家のお店を再開してね。

 僕は行くときは毎月、少なくとも数か月には一度、そのお店に通っていました。

 僕も独身で身軽だったし、美味しかったし、職人の仕事は見ていて楽しいですから。


 お酒以外注文したことはなかったです。

「これ食べてみて」

 試作の料理や、なんかみつくろっていつも作ってくれました。

 美味しかったので、女性を何度か連れていったことがあります。

 もちろん、奥さんも含めてです。


 ケンタは中華料理店での修行中に、香港からの留学生に会い、つきあいました。

 こういったら変ですが、出稼ぎとかではなく、本当に留学生で日本文学を勉強されている、細くて目の非常に大きい、かわいらしくもとても綺麗な女性でした。

 最初に僕が彼女に会ったのは、やはり江の島で、ケンタがヨットに連れてきたときでしたね。


 その後はよくお店でお話をしました。

「大変よ、堀さん、国際結婚は手続きとかいろいろと」

そんなことを彼女から聞きました。


 ケンタの店でデリバリーを始めたときなど、僕が簡単なパンフレット、メニューを作成し、注文記入用紙も作り、ケンタはそれを使ってくれました。

 一応、会社ではシステム室にいましたからね。


*****

 さて、香港のお話です。


 香港で二人の結婚式が行われることになりました。

 ヨット部の同期の数人が行くことになりました。後輩もいっしょにね。

「俺たちは律儀だね…」

 とタカと話していました。


「真っ黒い『礼服』はやめてよね」

 ケンタは真剣にそう言いました。

「黒スーツの集団が歩いてきたら、香港ではマファイアか何かだと思われるから、本当にやめてよ」

 なんか分かるような気がしましたので、普通のスーツを持っていきました。


 披露宴会場に入りますと、雀卓がいくつもいくつもありました。

 牌もありました。日本の牌より少し大きめですね。

 すでに現地の人が麻雀を始めていました。女性も若者もお年寄りも。

「あ…」

 昔やっていたクイズ番組で見た光景でしたね。

 クイズでは、大勢が雀卓を囲んでいる画面が出ていて、

「さて、ここではこれから何が始まるのでしょうか?」

 そんな問題が出されていました。

「正解は披露宴」

 はい、そのままです。


 披露宴が始まる前に、麻雀をしているのですね。

 僕らも座り、打ちはじめました。

「河井ちゃん、ほら、同じ牌だったり、1,2,3の並びだったり、これそろえるとあがれるんだよ」

 僕は後ろから覗く河井ちゃんに説明しました。

「そうなんですか~、でも模様がきれ~」

 そっちに興味があるんだね。

「このお豆腐みたいのはなんですか?」

 牌を言われるとこまるのだけれど、

 確かに豆腐みたいだね。だけど、描写がうまいので他のメンバーに筒抜けだ。

「この鳥さんみたいなのは?」

 鳥か…、

「これは1なんだ、この模様の…」

 イーソーは1本の竹というか棒でなく、なんで変な鳥みたいなんだろう…、言われてみればそうだね。

「先輩、イーソーとハクをお持ちなんですね」

 対面のヨウジが言う。


 河井ちゃん、いくつになっても悪意のない、いい子だ。


 山海の珍味を食べ、ケンタのお礼の言葉を北京語で聞き、とりあえず解散した僕らは、カラオケに行ったり、屋台で飲んだり、若者って怖いもの知らずですね。


 帰ろうぜ、とのことで、タクシーを拾いました。


 僕らのホテルはケンタの奥さんがとってくれた、

「サウス パシフィック ホテル」です。


 僕はケイスケと同じタクシーでした。

 ケイスケが


「さうす ぱしふぃっく ほてる」


 と言うと、ドライバーさん首を振ります。何か言ってます、わからない様子です。


「サウス パシフィック ホッテール」

 ドライバーさん、ますます首を振ります。困った顔です。


 ちょっと早口で今度は僕が言いました。

「サゥス パァシフィック ホッテール」

 ダメです。


「え~、マジかよ」

 ケイスケがなげきました。

「わかんないかな…」

 僕も困りました。でも僕は続けます。


「サウス パシフィック ホテル だよ、ねえ、ドライバーさん」

 嘘だろ、こんな英語が通じないのか、俺たちは。

「No no …」

 本当に通じない。

「サウス   パシフィック   ホテル… ドゥ ユウ ノウ ? わからないかな?」

 ケイスケ、何度目かのチャレンジ。

「No no …」

 首を振るドライバーさん。


「知らないということはないよね、このドライバーさんさ…」

 僕はケイスケに訊きました。

「そんなはずないよ…。困ったな」


 海外旅行に行く度に思う。ちゃんと英語を勉強しておくべきだった。行く度に思うんだ、その時は。


「No no …」

 ドライバーさんも困っている。

 どうしようか…。ホテルのパンフとか持ってきていればよかったよ。


「堀ちゃん、メモとか紙あるか?」

 ケイスケが僕に訊く。

 なんだろうね。

 僕は持ち歩いているシステム手帳から白紙を破り取り、同じくシステム手帳にいつも挟んでいたボールペンを彼に渡した。

 ああ、そうか、そうだね、発音が通じないなら書けばいいんだ。

 書けば。


 うん…?

 サウス パシフィック ホテル。


 サウスは書ける、ホテルも書けるが、パシフィックって…?


 cは何個付くのだ。パシフィックの「ク」は cか kか。

 少し酔った頭のせいではなく、完全に勉強不足のため、僕らは香港で迷子になるのか…。

 気になる方のために正解はこちらです。

Pacific 


 海外旅行に行く度に思う。ちゃんと英語を勉強しておくべきだった。行く度に思うんだ、その時は。


「これでどうだ!」

 ケイスケがドライバーさんにメモを渡した。

 ドライバーさん、

「Oh oh … サース パシフィク ホテル OK !」

 わかったらしい、でも発音あまりかわらないじゃん。


 ドライバーさん、メモを返してくれた。

「すごいな、ケイスケ、パシフィックのスペルなんてよくわかったね、すごいよ、俺たちにしてはすごい!」

 尊敬した、すごい。

 なんでぼくらと同じ大学なんだよ、ケイスケ。

 メモをもらった。

 それにはこう書いてあった。


「南洋酒店」。


 確かにね、この書き方のほうが賢くない僕ららしい。

 ホテルは酒店と書きます、こちらでは。


 海外旅行に行く度に思う。ちゃんと英語を勉強しておくべきだった。行く度に思うんだ、その時は。


 *サウスパシフィックホテルは実在のホテルで本当に僕らが宿泊したところです。

 

               了

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ヨットの上で…(弐) @J2130

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