時をかけた赤いきつね

 はたして赤いきつねは、時をかけた。


 今年三十歳の誕生日を迎えた俺は、暖房の効いた自宅でソファに座り、二歳の娘を膝の上であやしながら、スマホで旧友テツと通話していた。


「近頃はどうだい、イツキ」

「ああ、実はもうすぐ二人目が産まれるんさ」

「マジか! おめでとう。男の子? 女の子?」

「男の子」

「そうきゃ、楽しみだべな」


 テツは電話口で大喜びしてくれる。


「ところでさ、イツキ。受け取ったかい? 今年の『時をかける赤いきつね』は」

「ああ、受け取った、受け取った」


 俺は大学進学の際の上京を期に、そのままずっと東京で暮らしている。

 東京で暮らす自宅に今年も、宮城いつき様と達筆で書かれた段ボールが送られてきた。


 中身は、段ボールいっぱいの赤いきつね。

 中学一年生の年から、三十歳になる今年まで、毎年必ず届く。


「うちにも、もう届いた。食っても食っても余るんで、今年もうちの高校の悪ガキどもにやってるわ。やまこ先生、マジでおもしれえ先生だったいなあ。まあ、いまだとああいう教員はアウトかもしれねえけど」


 テツは、故郷で高校の教員をしている。

 悪ガキだったころの経験が、意外にけっこう生きているみたいだ。


「けど俺たちにとっちゃ、いい先生だった」

「そりゃ違いねえ」

「殊勝なこと言ってやがるって、あの世で笑ってるだんべ」


 冗談めかして言った俺の言葉に、そっさなあ、とテツはしみじみ相槌を打ってきた。


 やまこ先生は。

 十年前に、亡くなってしまった。


 それでも――すっかり風物詩になった赤いきつねが、とまることはなかった。


 やまこ先生は自分がいつ亡くなってもいいように、赤いきつねを送るひと全員が百歳を超えてもなお赤いきつねが受け取れるように手配していた。手書きのメッセージカードも、その年ごとにいちいち用意して。

 それを知ったときには、……なんて手が込んでいるんだと、あきれた。自分は、百歳になんて届かず亡くなってしまったくせに。


 いまは、あの優しい娘さんが発送してくれているらしい。

 娘さんによれば、やまこ先生は教師生活のあいだずっとずっと、教え子たちに赤いきつねを送り続けていたようだ。


 メッセージカードは毎年いつも、小さな白い紙でそっけなく、しかし品のよい達筆で書かれていて――。


「テツ、今年はなんて書いてあった」

「んー。照れくせえから、内緒。イツキは?」

「俺も」

「なんだいね、人にゃ聞いといて」


 ――宮城。三十歳の大人になっても、赤いきつねが、好きですか。


「まあ、とりあえずさ。今日の晩めし、赤いきつねにしようと思ってて。テツは?」

「俺も今日は赤いきつねにしようかな。赤いきつねだけはやめらんねえ。やまこババアのせいで一生だな、こりゃ」


 俺は声をたてて笑いながら、膝の下に置いた段ボールの表面を撫でる。

 家族全員がおなかいっぱいになるだけの赤いきつねが、今年も時をかけてきた。


 まだ二歳の愛娘も、お湯をそそぐ食べものってあまり食べたことがないのなんて真面目に言っていた、ちょっとずれたところが最高に可愛い嫁も、いまでは赤いきつねが大好きだ。


「そうだな。一生ものだわ」


 新しく産まれてくる息子も、赤いきつねが好きになってくれるといい。

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時をかける赤いきつね 柳なつき @natsuki0710

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