時をかける赤いきつね

柳なつき

真冬、観音山をくだる

 赤いきつねは、時をかける。

 小学六年生のときの担任の、やまこ先生はよくそう言っていた。


 小学校の卒業式を控えた真冬。


 観音山かんのんやまをくだると寒気がしみる。上州の赤城おろしは容赦がない。


「今日のからっ風はすごかんべえ」

はええとこ、戻るべや。はらも、へった」

「うまくいったにい。食い散らかしてやらあ」


 俺の言葉に、テツはニヤリと悪そうな笑みを返してきた。


 テツとともに自転車を走らせる。

 車通りばかり多い道。コンビニや住宅が灯りを灯しはじめている。

 あとは、まっしぐらに、帰るだけだ。


 だから、うまくいくはずだったのに。


 進む先の交差点で――見覚えある人間が、腕を組んでいた。


「イツキ、やまこババアだ」

「マジかよ、今日もいるんかい」


 俺たちは顔を見合わせてわざとらしく、顔をしかめてみせた。


「おおい。止まれえ」


 通り過ぎてしまおうと、自転車のペダルを踏む力を込める。

 だが、上州名物赤城おろし、通称、群馬のからっ風の強い強い力は壁のようで、そうそう速度が出せるものでもない。


宮城みやぎ山内やまうち! 止まれっつってんだんべ。自転車、降りろい」


 俺たちは仕方なく止まって、自転車から降りた。


 それは、担任のやまこ先生。

 ずんずん、こっちに向かってくる。


 黒々とした長髪、大きな身体、ぎろりと睨みつけてくる貫禄ある顔。

 定年間近らしいのに、まだまだ元気だ。身体を張って、俺たちに接してくる。

 これで趣味は文学っていうんだから、笑ってしまう。


「おめえら、そのパンパンなカバンはなんなん」

「習い事」


 テツが平気で嘘をつく。


「山内、おめ習い事なんてやってねえだんべ」

「昨日から塾に通い始めたん。なっ、イツキ」


 俺はこくこくとうなずいてみせた。


「見してみい」


 先生は、俺らのカバンをひったくるように無理やり取っていった。

 ごそごそと中を探られると――すぐに、それらは見つかってしまう。


「……まあた、やったんきゃあ。今回も観音山の店のもんだな、いい加減にしねえとバチ当たんぞ。……ちっと待っとり」


 やまこ先生は携帯電話を取り出すと、別人みたいな愛想の良い声で電話しはじめた。俺たちが万引きをした店に謝罪の電話をしているのだ。


 電話が終わると、やまこ先生は腰に手を当てて怖い顔をする。


「盗んだもんは、おれが返しとく。どうせおめえら、すぐにゃ帰る気、ねえんだろ。おれん家来い」


 やまこ先生は女性だけど、自分のことをおれと呼ぶ。

 群馬の、とくに年輩の女性にはたまにあることだった。


 やまこ先生はスタスタと歩き出してしまう。


 夕暮れどき。山々が影のように深く染まり、吐いた息は凝るのではないかと思うほど冷たい。

 俺はテツに言う。


「まあ、行ってやっても、いんじゃね」


 俺は自転車を押して、やまこ先生の少し後ろを歩き出した。


「つか、なしてあんなとこに突っ立ってたん」

「おめえらみてえな悪ガキがいっから、パトロールしてんさね」

「教師っていっつも余計なお世話してるんね」


 おおい、待てよお、とテツも後ろから追いかけてきた。

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