第4話 真っ当な“男”の必要性

 大学には男だから、という理由で親から進学の許しが貰えたらしい。

もし私が女だったら高校卒業後、すぐにでも稼ぎの良い年上の人と結婚させられていたかもしれないと考えると怖い。

それでは親の操り人形にすぎない。

一応大学進学は自分で希望していたものなので大学に行くこと自体に不服があるということではないが、“私が男である”という理由のみで進学の希望が叶えられたのであれば大学に行かない方が良かったのかもしれない。

私自身が“男”として生きることを嫌だと考えているからだ。

大学は行きたい人が行くものであって受験という一つの門があるけれども誰かに強要されて行くものでも誰かに弾圧されて行くのを諦めるものでもないと思う。

行きたい人が行って行きたくない人は行かなくて良いはずだ。


 大学生活は私が思っていたものとはまるで違っていた。

まず第一に男子の比率が極端に高いのだ。

どうやら私の父のような人を親に持つ同世代が多いらしい。

行きたくても親という壁に阻まれた人がいるのだと思うと私がその人たちの分まで大学ライフを送らなくてはならないと勝手に荷を背負いこんだ。


 ある日、テレビで長髪の男性が映ったときに父が“こんな男を捨てたような人になるなよ”と言った。

父からすると何気ない一言だったのだろう。

ただ私にはこの言葉がとても重い言葉に聞こえた。

まるで私に釘を刺しているかのように、私の今の気持ちを暗示しているかのように、そうも感じられた。

父からは“男らしい”を一つも破らず、誰がどう見ても“男”だと分かるような生き方をするのだ、一つでも欠けさせることのないように生きるのだぞと言われた気がした。


 一応今まで生きてきた中で髪を伸ばしたいとストレートに思ったことはない。

“女性の象徴”として綺麗な長い髪が欲しいと思ったことは幾度かある。

それがあれば“男らしさ”を少しは失えるかなと思ったからだ。

だからただ単に長い髪を手に入れることは私としては何かが違うなと思うのである。


 それに髪が長いから女っぽいとか髪が短いから男っぽいとかは的を射てない気がする。

男性は個人差はあれどほぼ一定の髪の長さであることが多いが、女性は人によって大きく違っていてロングの人もいればショートの人もいるし、ミディアムの人もいる。

見た目では一見男に見える女性もそう少なくない。

誰であってもそれで良いじゃないか、私はそう思う。

男っぽい女性とか女っぽい男性とかいても別に良いではないか。

その人が生きたいと願う状態に周りがしてあげるのが一番しなくてはならないことだと思う。

それは長い髪かもしれないし、お化粧かもしれない。

その人がしたいようにしていることを近くの人だけでも否定しないで肯定してほしいと私は思う、高校生のときの私が味わったことを他の人には味わってほしくないから。

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