第10話 別れ

 巨大魔獣の襲撃から四日後。


 王都中央区セントラルエリア王宮内は先刻の巨大魔獣の襲撃の後の対応で混乱していた。

 そんな中、アルカディア王国第一王子であるディランは自室のベッドに腰かけていた。

 ディランはベッドから離れて自室を出ようとした。その時——


「お久しぶりです。兄上」


 背後から声が聞こえ振り向こうとすると首筋に鋭利なナイフを突きつけられていた。


「下手に動いたり言葉を出したりしたらこのナイフで兄上の首をね飛ばします」


 背後から聞こえる聞き覚えのある声にディランは驚嘆《》きょうたんの表情を浮かべる。


「なぜ生きている⁉ アイシャ⁉」


 ふいに振り向きそうになるディランにアイシャは再度首筋に這わせているナイフをディランの視界にちらつかせる。


「先程も言った通り、下手に動いたり声を出したしたら今度こそ躊躇ちゅうちょなく首をね飛ばします」


 アイシャの言葉にディランは驚愕と恐怖の混じった表情に変わった。


「これが最後です。質問に答えて下さい。三国会談の帰りに成り行きでならず者に襲われました。生憎私を殺そうとしたならず者は私を吸血鬼にした者に殺されました。そして私は生き延びました。その後は殺し屋としてここまで生きてきて今に至ります」


 ディランの質問に答えたアイシャは首筋に這わせたナイフを徐々に首筋の頸動脈に近付けていく。


「ま、待て! 何かの間違いだ! オレはアイシャを殺そうとしていない! 俺が可愛い実の妹を殺すと思っているのか⁉」

「私、兄上に殺されそうになったとは一言も言ってません」

「くっ、カマをかけたのか⁉」


 ディランは歯を食いしばり苦悶くもんの表情を浮かべると視線を首筋のナイフに向けた。


「安心して下さい。本来は暗殺対象でしたが、依頼いらい者が死んだ今、兄上を殺す意味もなくなりました。私はただ何で私を殺そうとしたのか聞きたくなっただけです」


 ディランは首筋に這わされているナイフの刃に映るアイシャの鋭い眼光を見た。

 ナイフの刃に映ったアイシャの目を見るディランは苦虫を噛み潰した表情を浮かべたまま口を開く。


「そんなの決まってる! 王位継承の邪魔者だったからだ! アイシャは父上からも国民からも信頼されていた! 俺以上に! だからお前が死ねば継承権は俺の方が優位になる! だからこの世から消えてもらおうとした!」

「想像通りの答えに安心しました。やはり兄上らしい姑息な考えです」


 怒気交じりのディランの言葉とは真逆の凍てつくような低い声音でアイシャは話す。


「少し前なら兄上を殺す予定でしたが、先程も言った通り依頼者いらいしゃはいなくなりました。ですので私が兄上を殺す意味もなくなりました。命拾いしましたね」


 依然と冷たい口調で淡々とディランに話すアイシャ。すると握っているナイフをディランの肩に刺突する。


「ぎ、ぎゃああああぁぁぁぁ————‼」


 ナイフを刺突されたディランは肩に奔る鈍い痛みに思わず絶叫を上げる。刺突したナイフをアイシャはすぐにディランの肩から引き抜く。肩の傷口から血が大量に流れるとナイフを握る手にディランの返り血が付着する。アイシャは付着した血を口元に近付けて舐め取る。


「……やっぱり不味い」


 ぼそっと呟くアイシャにディランは咄嗟に振り向いてアイシャの姿を捕えようとする。しかし振り向いた先には誰もいなかった。

『私を殺そうとした恨みはこれで相殺そうさいしておきます。私はもう王位継承権に興味はありません。兄上の好きにして下さい』

 部屋のどこからか聞こえるアイシャの声に肩に激痛が奔るディランは憤怒と怨嗟の混じる歪んだ表情を浮かべた。

 どこからか聞こえた声もいつの間にか気配ごと消えていた。



 王都第五区の大通り。

 王宮での私的な用事を終えたアイシャは王都から出るために王都の内外に繋がる門へ向かっていた。

 小一時間前に治癒院の王宮治癒師おうきゅうちゆしの方々に別れの挨拶をした後、アイシャは自身のアジトへ戻る準備を整えて門へ向かっていた。そして目の前に第五区の出入り口の門が見えてくるとアイシャは足を止めた。


「お別れの挨拶はしたと思ったんだけど、どうかしたの? リーサ?」


 足を止めたアイシャは後ろを振り返るとそこにはついさっきまで会っていた人物が目に映った。

 目に映った人物——リーサは速足でアイシャの下へ追いかけてきた。


「確かに治癒院ではお別れの挨拶をしました。けどそれは王宮治癒師おうきゅうちゆしとして別れの挨拶をしたのであって、一人の友人として挨拶はまだしていません」


 アイシャの近くまで辿り着いたリーサは数瞬すうしゅん間を置いて口を開く。


「またいつか会える日を楽しみにしています」


 爽やかな笑みを浮かべて別れの挨拶を伝えると、アイシャはくすっと笑う。


「そうね。また王都に用があったら顔を合わせてもいいわ」


 肩をすくめてリーサに言葉を返すアイシャは少しだけさみしそうに見えた気がした。

 アイシャは手を前に伸ばすとリーサはその糸に気付き、リーサも手を伸ばしてアイシャの手を握った。


「またいつか会いましょう。アイシャ」

「また会う日があればね。リーサ」


 互いに握手をした。その後ゆっくりと手を放す。

 そしてアイシャは門の方へ振り返り門の外へ再び歩き出した。

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