第8話 友人

 アイシャが王立治癒院に来てから一週間程が経過した。


 注文していた化膿かのう止めの薬品と傷口の乾燥防止の軟膏は注文して二日足らずで届いた。

 そのおかげで魔獣の被害に遭っている負傷者の傷の悪化が格段に減り治癒魔法の労力が格段に少なくなった。

 それもあるが今までよりも魔獣による被害の現象により負傷者が格段に減っていた。


 ちまたの噂では王都の外にある魔獣の巣穴をつぶすために魔獣狩りを生業なりわいとしている人物が派遣されたらしい。そのおかげもあるのかもしれない。

 治癒院は一週間前よりも随分落ち着いてきたように思える。

 アイシャはリーサの一週間ぶりの休暇に付き添っていた。

 リーサは治癒院にいる時の王宮治癒師おうきゅうちゆしの白衣の制服ではなく水色のワンピースを着ている。後ろで結っていた髪も今日は下ろしていた。


「アイシャ様はどこに行きますか?」


 アイシャの隣を歩くリーサはアイシャを一瞥いちべつして尋ねた。


「いや、私はそもそも外に出る気なかったんだけど」

「ダメですよ。息を抜ける時はゆっくり息を抜かないといけません」


 外に出たくないというアイシャを半ば強引に外へ出したのはリーサだった。

 アイシャはただ暗殺の依頼いらいで王都に立ち寄っただけで特に第五区でやりたい事がない。なのでリーサに強引に外へ連れられた時は少し困った。


「とはいってもやりたい事何もないの。だからリーサがここでやりたい事に付き合うわ」


 そう言うとアイシャはリーサのすぐ後ろを追うように歩き出す。


「そうですね。私はただ外で散歩したかっただけですし、私の散歩に付き合いますか?」

「それでいいわ」


 リーサの提案胃賛同したアイシャはリーサの散歩に付き合う。

 第五区の名物と言える蒸気の上がる建造物や乗り物を一瞥いちべつしながらアイシャとリーサは第五区の大通りをただ歩いていく。

 小一時間経ってアイシャとリーサはクレープを売っている露店に足を止めた。


「このクレープ、第五区では有名なんですよ」


 リーサは自慢げにクレープを売っている露店の説明した。


「私、今お金持ってないわよ」


 アイシャは本来王都に到着してすぐに王宮のある中央区ヘ向かって第一王子のディランを殺すだけの仕事だったので大した金を持って来ていない。

申し訳程度に所持していた少額の金も一週間第五区で過ごした生活費でなくなった。


「でしたら私が払いますよ」

「いいわよ。奢ってもらうにも返せないわよ」


 リーサがアイシャの分も奢ると言うとアイシャは返せるものがないと抗議する。


「気にしないで下さい。これは私からの先刻の助言のお礼です」


 そう言ってリーサは露店の店主に金を渡すと、店主から二つのクレープを受け取る。

 受け取ったクレープの一つをアイシャの目の前に差し出すと、アイシャは恐る恐る差し出されたクレープを受け取る。


「それじゃ、いただくわ」


 クレープを受け取ったアイシャは先に持っているクレープを口に運んだリーサの後に続いてクレープを口に運んだ。

 ホイップのふわっとした甘さと中にかかっているベリーソースの程よい酸味が口いっぱいに広がる。


「美味しい」

「ですよね! ここ、私のお気に入りのお店なんですよ!」


 リーサはいつになく嬉しそうな表情を浮かべてアイシャと話す。

 そしてクレープを食べながら大通りを散歩するといつの間にかぢ五区と第四区の境の門が見えてきた。


「あそこから先は第四区です。どうしますか?」

「リーサからお礼も受け取った事だし私は戻りたいわ」


 アイシャはクレープを食べ終えるとリーサに戻りたい事を伝えた。

 リーサは「分かりました」と返して二人は踵を返す。

 アイシャが後ろへ振り返ったその時、視線の先の路地裏に入る角に見覚えのある人物が壁に寄り掛かりながらこちらを見ていた。


「ごめん。先に戻ってて」

「どうしたんですか?」

「ちょっと用を思い出しただけよ」


 そう言ってアイシャは速足で視界に映った見知った人物の元へ進む。

 見覚えのある人物は寄り掛かっていた壁から離れて路地裏の奥へ進む。

 アイシャは見覚えのある人物の後を追った。

 路地裏の奥へ入ると、大通りとは全く違い、日が差し込まず薄暗い、湿気の多い空間だった。

 アイシャは路地裏の奥へ進むと見覚えのある人物がアイシャと相対した。


「一週間ぶりですか。アイシャ」

「そうね。あなたが血の入った瓶を割ったせいで色々大変だったのよ。ニコラス」


 目の前の人物、漆黒の燕尾服燕尾服を羽織った純白の仮面を被ったニコラスは丁寧にお辞儀をする。

 アイシャは腰からナイフを引き抜いてすぐにでもニコラスに攻撃する体勢を取る。


「おや。それは心外ですね。そのおかげで貴女は人の血を直接飲めるようになったんですから良かったじゃないですか?」


 ニコラスは仮面の下から覗かせる何もかも見通すような目をアイシャに向ける。

 アイシャはニコラスにリーサの血を飲んだ経緯を知られている事に驚き眉間にしわを寄せる。


「まあ、そんな些細な話はどうでもいいんです。外を出歩いたアイシャなら気付いているはずです。王都全体に魔獣を祓う結界けっかいが張られている事を」


 アイシャを挑発するような口調でニコラスは頭上を見上げた。アイシャは外に出歩いてしばらく経って気付いたが、路地裏の建造物の隙間から見える空にはいつの間にか魔法使いでも見分けがつかない高度な結界けっかいが張られていた。


「これのおかげで私が躾けた魔獣は王都を避けるように活動し出した。それに王都の近くに用意した魔獣の巣穴も見事に潰されて魔獣は既に全滅。そして魔獣による負傷者は既に大半が完治。私の見込みは間違ってないかった」


 ニコラスは言葉の脈絡のない言葉を滔々とうとうと口にしている。そんなニコラスをアイシャは逆手に持ったナイフを構えて一瞬でニコラスの懐まで間合いを詰めた。

 間合いを詰めるとナイフをニコラスの胸めがけて刺突する。刺突したナイフには心臓の脈打つ感覚が伝わる。


のうがないですね。この前と同じ事をしても私は——」


 ニコラスが口を言葉を発している途中、アイシャの握るナイフの刃から清浄せいじょうな光が溢れ出す。

 清浄せいじょうな光に包まれるニコラスは体中が灰に変わり崩れていく。

 ナイフから溢れた清浄せいじょうな光が徐々に弱まっていくと灰と化して地面に積もったニコラスの亡骸を見下ろした。


「さすが、歴代きっての聖女と謳われただけはありますね。不死身の私の分身を一瞬で浄化したその腕、見事です」


 アイシャの背後から聞こえる声の方を振り向くとそこにはつい先程アイシャが浄化して灰にしたニコラスの姿がいた。


「おや、そんなに驚く事ですか? 私は魔法使いでもあります。その上貴女達より途方もない時間を息できました。今は忘れられている魔法も使えるのも不思議ではないはずです」


 背後にいるニコラスは芝居がかった口調で足元に積もった亡骸の灰を一瞥いちべつした。そして再びアイシャと目を合わせると手を空高くかざした。

 空高くかざされた手の遥か上、王都に張られた結界けっかいの上に巨大な魔法陣が浮かぶ。


「これもその一つです」


 ニコラスが言葉を発すると同時に王都の空を覆う巨大な魔法陣を抉りながら出てくる巨大な胴体が見えてくる。

 魔法陣から出てくる胴体には首が九つあり、大きな翼は六枚生えている。そして出てきた胴体の中心には魔獣が共通して存在する核は体中を覆っている漆黒のうろこに守られていた。


「この仔は私のお気に入りです。この仔は私の意のままに行動します。このようにね」


 そう言うとニコラスは空高くかざした手の指を鳴らすと九つの首の先端、強靭な顎から紅蓮の炎を吐き出した。吐き出された炎は足元の王都に向けて放たれる。

しかし、吐き出された紅蓮の炎は王都の建造物に触れる前に、何か見えないものに遮られた。


「物理的にも防ぐ結界けっかいですか。これは厄介です」


 そう言うニコラスは言葉に反してどこが楽しそうだった。そんなニコラスの心臓から鈍い感触を感じる。


「よそ見をし過ぎよ」


 ニコラスは背後を振り返ると、つい先程まで目の前にいたはずのアイシャがいつの間にか背後に回り込んでナイフで心臓を刺突した。

 刺突したナイフから清浄せいじょうな光が溢れるとその場に光の柱が立ち、ニコラスを呑み込む。清浄せいじょうな光に呑み込まれたニコラスは先程と違い刺突された状態のまま灰に変わらなかった。


「私を甘く見過ぎです。たかが浄化魔法で消えるような体をしていません」

「だったら何でまた私の前に現れたの?」


 ニコラスの言葉にアイシャは抱いていた疑問を尋ねる。ヅルとニコラスから帰って来た返事にアイシャはさらに疑問を抱いた。


「時が来たからです」


 そう言うとニコラスは人間では不可能な首の曲げ方をして背後のアイシャを見た。


「貴女がここに来た理由はアルカディア王国第一王子の命を亡き者にするためですよね? その依頼いらいをした人物に心当たりはありますか?」

「急に何?」


 ニコラスは突然アイシャが王都に戻って来た理由を口にして依頼いらい者について尋ねると、アイシャは話が荒唐無稽こうとうむけいで訳が分からなかった。


「もしも私とアイシャが偶然この王都で再会して不死身の私を殺すためにこの王都を守る。そんな展開になれば、とても劇的ドラマチックだとは思いませんか?」


 ニコラスの要点が掴めない話にしばらく考え込むアイシャはしばらくしてはっとする。

 点と点が繋がり線となった時の感覚にアイシャは身の毛がよだつ。


「まさか兄上を暗殺する依頼いらいを出したのは——」

「ご名答。この私です」


 不自然に曲がった首から上をアイシャの視線に合わせると、アイシャは歯を食いしばった。

 王都に来てからのアイシャの行動はすべてニコラスの掌で踊らされていた事にアイシャは渋面する。そんな不自然に首を曲げて背後を見るニコラスの目を見たアイシャは途端、体中の細胞が沸騰するような感覚が奔った。

 焼けるような錯覚を覚えるアイシャはその場に膝をついた。


「吸血衝動を活性化させました。これで血が飲みたくて仕方ないはずです。それにそろそろ彼女も到着する頃ですね」


 ニコラスは背中に刺されたナイフを器用に腕の関節を曲げて引き抜いた。引き抜いた傷口からは血が噴き出さずいつの間にか傷口は塞がっていた。

引き抜いたナイフを地面に投げ捨てると、ナイフが地面に転がる音とはまた別の物音がこちらに近付いてくる。


「アイシャ様!」


 聞き覚えのある声が聞こえてくるとアイシャとニコラスがいる狭い路地裏に一人の少女が訪れた。

 栗色の髪に銀色の瞳、水色のワンピースを着た少女——リーサは膝をついたアイシャを見るとすぐさまアイシャの元へ駆け足で近付く。


「ようやく役者と舞台が揃いましたね。それではごきげんよう」


 ニコラスはその言葉を言い残すと一瞬にして姿が消える。視界からいきなり姿を消したニコラスを探すと上空に浮遊している一人の人影があった。先程までこの場にいたニコラスが空中へ浮遊していた。浮遊する体はどんどん上空へ向かう。王都に張られている結界けっかいよりも上に上昇し、ついには王都の上に飛翔している巨大な魔獣の高さまで上昇した。


 上空へ移動したニコラスに巨大な魔獣は威嚇どころか全く警戒した仕草は見せない。そんな巨大な魔獣にニコラスはすぐ傍に飛翔する巨大な魔獣の胴体の中心にある水晶のように透き通った核に触れた。核に触れるとニコラスの体は核に吸い込まれるように透過していき核の中へ入り込んだ。


『さあ、王都の紳士淑女の皆様方! これから私と共に空前絶後くうぜんぜつごの刺激を味わってください!』


 飛翔する巨大な魔獣の核の中にいるニコラスは魔獣の顎を伝って声を発すると、その声は王都の住民全員に届いた。

 路地裏にも聞こえる大通りにいる人間の叫び声が阿鼻叫喚あびきょうかんの渦を巻き起こしている。


「アイシャ様! 私達も早く避難を!」


 そう言ってリーサはアイシャの方へ近付くと、アイシャと目が合った。

 目が合ったアイシャの目は焦点があっておらずどこか狂気じみていた。

 この目には見覚えがある。一週間前、第八治癒室で押し倒されて血を吸われた時と同じ目だ。


 近付いていたリーサの足はすぐに止まるとアイシャはその場から立ち上がった。そろりそろりとアイシャがリーサの元へ歩き出すと、リーサは足を後ろに引いていた。

 すると段差に引っ掛かったのかリーサは地面に尻もちをついた。そしてアイシャはリーサのすぐ傍まで近付きリーサの肩を掴んで拘束する。

 リーサは血を吸われる。そう覚悟して目を閉じた——が一向に噛まれる感覚がない事にリーサはゆっくり目を開く。

 視界に映るアイシャは息を乱して鬼気迫ききせまる形相をしている。何かを我慢するように体に力を込めて動きを止めていた。


「アイシャ様……!」


 リーサは悟った。アイシャに残る最後の理性がリーサを吸血しようとする衝動を抑え込んでいる。その姿にリーサは前に血を吸われた時の事を思い出す。

 アイシャに血を吸われた時、アイシャはリーサの血をわずかにしか飲まなかった。

 吸血鬼の中には吸った人間の血を全て飲み干す者もいるという。しかしアイシャは元々血を飲むのが苦手だった事もありリーサの血を全て飲み干す事はしなかった。

 今、この危険な状況でアイシャを放っておくのは無責任すぎる。


 そう思ったリーサは腹を括った。

 リーサは服の前のボタンをはずして首筋が出るように開く。

 首筋を出して髪を掻き上げアイシャに首筋を見えるようにすると、リーサは自ら身を乗り出してアイシャの口元に首筋を近づけた。

 その行動にアイシャの最後の理性が外れた。


 吸血衝動に身を任せてアイシャはリーサの首筋に噛みつき流れる血を飲み始める。

 血を飲まれているリーサは甘く痺れるような感覚が全身を駆け巡る。一度飲まれた時は起きたばかりであまりはっきりと感じなかったが血を飲まれる感覚がこれほど甘美なものとは思わなかった。

 リーサの頭が麻痺するような感覚はすぐに止まった。

 アイシャが血を飲んでいたリーサの首筋から口を放したからだ。リーサは理性が戻ったアイシャを見て安堵する。


「良かった。元に戻って——」


 リーサが言葉を言いかけたその時、アイシャは平手でリーサの頬を殴った。


「何考えてるの⁉ あなた死ぬ気なの⁉」


 リーサの血を飲んでいたアイシャが理性を取り戻してすぐリーサの頬を殴ると、リーサは呆然としてしまった。


「前にも言ったけど、私は吸血衝動を制御できないの! もし理性が戻らないまま血を飲み続けてたら今頃リーサはミイラよ! 何で私が理性を残している間に逃げなかったのよ!」


 今までにないアイシャの激怒する姿にリーサは数瞬すうしゅん呆けたままだった。その後リーサは優しい笑みをこぼした。


「そんなのアイシャ様を信じてたからに決まってるからじゃないですか?」


 傍から聞けばあまりに信頼性の欠けた言葉だ。しかしその言葉を聞いたアイシャは激怒していた表情に驚きの色が芽生えた。


「前も私の血を吸った時すぐに私の血を飲むのをやめてくれました。だから今回も私の血を飲み干さないと思いました」

「そんな、そんな確証も無い事に何で命を張れるの?」


 リーサの言った言葉にアイシャは激怒から戸惑いの色がより濃くなっていく。


「友人が困ってたら助けるのっておかしい事ですか?」


 リーサの言った何気ない言葉にアイシャは動きが止まった。

 今まで言われた事のない聞いていたこそばゆい、けれど心地よい響きの言葉に今度はアイシャが呆けてしまった。そして数瞬すうしゅんおいてアイシャはくすっと笑う。


「吸血鬼の私と友人だなんて……っ、あなた、どうかしてる、わよっ!」

「わ、笑う事ないじゃないですか⁉」


 抗議こうぎするリーサにアイシャはけらけら笑った後すぐに元の表情に戻る。


「ありがとう。リーサ。おかげで助かったわ」


 アイシャは真っ直ぐにリーサを見て感謝を伝えた。


「どういたしまして」


 返事を返したリーサはそっとアイシャの手を握った。

 リーサの手を握ったアイシャの手はほのかに冷たく、やわらかかった。

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