第4話 最悪の再会

まぶしい」


 薬品等の在庫確認を終えたアイシャは治癒院の外へ出ていた。

 外に出たアイシャの視界は霧が立ち込めている中、王都の空が白み始めていた。

 治癒師長と薬品の在庫確認をしていたらすでに朝を迎えていた。


 アイシャと在庫確認をしていた治癒師長は自分の治癒室へ戻った。他の王宮治癒師おうきゅうちゆしも自分の治癒室で休憩を取っている。

 アイシャは治癒院の外の奥へ進む。誰もいない事を確認するアイシャはふところから一本のびんを取り出した。

 透明なガラスでできた中身に赤黒い液体——人の血の入った瓶を取り出す。


 アイシャは吸血鬼だ。人間の血は吸血鬼にとって人間の食事のようなもの。切っても切り離せない生命維持に必要な代物だ。

 すでにアイシャはアジトから今に至るまでの三日間、一滴も血を飲んでいない。

 血を飲むのが苦手なアイシャと言えどさすがに飢餓状態だった。

 アイシャは再度周りに誰もいない事を確認して血液の入ったガラス瓶の栓を抜こうとする。その時——


「さすがに三日間血を飲まないのはつらかったでしょう? アイシャ?」

「⁉」


 アイシャは咄嗟に声が聞こえた背後を振り返る。そしてすぐに声の聞こえた方向とは逆の方向へ距離を取った。その直後、アイシャは振り返った先に視界を映す。

 アイシャよりもはるかに高い背丈に細身の体躯。漆黒の燕尾服燕尾服を着こなしている姿はとても優雅だった。その優雅な雰囲気に似合わない道化師の顔を模した純白の仮面は何処か狂気じみている。

 今まで気配すら感じなかったアイシャは突如現れた仮面の人物を視界に入れた途端、その形相は一変した。

 驚きの表情だったが、その表情には憤怒や憎悪といった負の感情も混じっていた。


「ニコラス・アレキウス!」


 突如現れた仮面の人物——ニコラスの名前を口にしたアイシャはその直後ある事に気付く。

 ニコラスの手には先程アイシャが持っていた血液の入った瓶を持っていたのだ。

 アイシャは手元からなくなった血の入った瓶に気付いた直後ニコラスをするど眼光がんこうを向けた。


ひさしいですね。アイシャ・アルカディア。何年ぶりですか?」


 ニコラスの顔はうかがえないが、聞く限りどこか懐かしそうな声音でアイシャに話しかけている。


「そうね。私が三国会談後で王都に帰る途中で攫われた時以来だから、七年ぶりかしら」


 ニコラスの疑問に答えるアイシャの声音と眼光は鋭利な刃物のように鋭いものだった。そして続けてアイシャはニコラスに話しかける。


「それでニコラスの手に持ってる瓶を返してくれないかしら、それ私のなんだけど」

「そうでしたね。この瓶の血はやっと我慢して飲める程度の味の人間の血ですものね」

「何でそれを知ってるの?」


 アイシャはファド以外に知らない事を口にしたニコラスに寄り鋭い視線を向ける。


「私に知らない事はないです。もちろん吸血鬼にされた聖女である王女のアイシャ様についてもね?」


 アイシャの質問に答えたニコラスはどこか愉快そうだった。すると手に持っている血の入った瓶の手の指を広げた。

 広げた指から瓶が抜け落ちると、血液の入った瓶は重力に従って地面に落ちる。地面に落ちるとガラスの瓶は粉々に砕けて地面に血が広がった。その光景にアイシャは目を大きく見開いて唖然とする。


「おっとすみません。手が滑りました。貴女の大切な食糧を台無しにしてしまったようです」


 ニコラスはまるで悪気のない、受け取り方によっては挑発しているかのような口調でアイシャに謝罪した。


「それを本気で言ってるならとんだ図太ずぶとい神経してるわね」

「良く言われます」


 アイシャの言葉にニコラスは愉快そうな声音で返した。すると急にニコラスの懐にアイシャが入り込んで間合いを詰めた。

 瞬く間にニコラスとの距離を縮めたアイシャは腰からナイフを引き抜きニコラスの胸元に刺突しとつする。

 アイシャが刺突したナイフはニコラスの心臓をつらぬいた。ニコラスの心拍がナイフ越しにアイシャの手に伝わってくる。


「私をからかうから心臓を潰されるのよ」


 ニコラスの心臓をつらぬいたナイフを引き抜いた。アイシャはニコラスから離れた。その直後、アイシャは目の前で起きている光景に目を疑った。

 アイシャは確かにニコラスの心臓をナイフで一刺しした。心臓をつらぬいた感触もあった。それなのに目の前のニコラスの胸に差したはずのナイフの傷口がまるでない。

 ニコラスの胸を一刺したナイフには血が付着している事から、確実にアイシャはニコラスの胸を刺した。だが目の前の光景はアイシャがニコラスの胸を刺す前と何ら変わらない。


「そう言えば私の秘密を伝えた時、アイシャは意識が朦朧としていましたね。聞こえてなかったのでしょう」


 ニコラスは胸に空いた燕尾服えんびふくの穴を手で擦るとアイシャの目を見た。そしてニコラスの口が開かれる。


「私は不死身です。どんな事をされても死にません」


 その言葉を口にしたニコラスを見るアイシャは唖然とした。


 不死身。


 その言葉が本当ならばつい先程ナイフで心臓をつらぬいたのにも関わらず平然としているのも合点がいく。


「そんな不死身の私でも再会してすぐに心臓を潰そうとしたのが貴女で良かったです」

「どういう意味?」


 アイシャはニコラスの言った言葉の真意を尋ねた。するとニコラスはさらに愉快ゆかいそうな高い声音を出す。


「そんなの決まっています。貴女でなければ今頃体を八つ裂きにしていたからです」


 愉快そうに答えたニコラスの言葉はどこか凶器をはらんでいた。


「だったら何で今私を殺さなかったの?」


 ニコラスのあまりにも真っ当で狂気に満ちた答えにアイシャは至極当然な質問をした。アイシャの質問を聞くとニコラスは数瞬すうしゅん空けて答える。


「貴女には私を殺してもらいたいからです」


 その答えにアイシャは呆けてしまった。つい先程自分が言った言葉が矛盾している事に気付いているのかとアイシャはニコラスの返答を聞いて思った。

 不死身の人間を殺す。

 どうやったらそんな事ができるのかアイシャの方が知りたい。


「そういう事ですので、私はこれで失礼します」


 そう言うとニコラスの体は周りの霧と共に掻き消えていく。そして日が差し込むと霧と共にニコラスの姿が跡形もなく消えた。

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