第2話 王宮治癒師リーサ

 アルカディア王国の中央に位置する王都。

 王宮のある中央区セントラルエリアの周りに一区ファーストエリアから五区フィフスエリアの区域に囲まれている王都の堅牢けんろうな門の前にアイシャは到着した。


「全然変わってないわね」


 アイシャは王都第五区の出入り口の門前に立つ鼠色の外套を羽織るアイシャはどこか懐かしそうに遠い目で目の前の王都を見る。

 アイシャは足を進めて王都の門を潜った。

門を潜り王都第五区へ足をみ入れて少し進むとアイシャは王都第五区の大通りを進む。


「ここも変わってないわね」


 王都第五区の代名詞だいめいしと言うべき建造物けんぞうぶつや大通りを通る乗物から噴き出す蒸気が視界を覆う光景を七年ぶりに見たアイシャは感傷的になる。

 感傷に浸るアイシャは王宮のある中央区へ続く大通りをひたすら進む。するとアイシャの視界の奥がいつの間にか騒がしくなっていた。

 視界の奥から人がこちらの方へ走ってくるのを見たアイシャは大通りの先から何が起きたのか疑問に思う。


 走っていく人達は叫び声を上げながらその場から逃げるかのように去っていく。アイシャは走り去る人達の波に逆らって目の前で起きている出来事を見に行く。

 人の流れに逆らって移動するのにアイシャはてこずりながら騒ぎが起きたであろう現場に着いた。アイシャが着いた時にはすでに人の騒ぎは落ち着きつつあった。


 何かが起きた現場は舗装された地面が砕けている。そして砕けた地面の傍には身の丈を超えた大きな体躯の獣が倒れていた。

地面に倒れている獣は狼のような見た目だが、一目見て普通の狼ではない事をさっする。

 狼のような獣の頭には鋭い先端の角と、背中に大きな翼が生えていた。

角と翼がが生えている獣の胴体には水晶のような鉱石——核が埋め込まれている。その胴体は深い切り傷が刻まれていて血が地面に流れている。そして頭蓋と胴体の核が叩き割れていて頭の内容物が見えそうになっている。


「魔獣⁉」


 アイシャは地面に倒れている狼のような獣——魔獣を見て驚く。

 魔獣は普段王都の外に生息する魔力を宿す獣だ。その上警戒心が強く、人の多く住んでいる所へは顔を出さない。まして王都のような大人数の人が住んでいる都市に現れる事など滅多にない。

 そして魔獣は他の獣と違い、凶暴で力も強く人が相手して敵うような生物ではない。そんな魔獣が胴体を八つ裂きにされている上、頭蓋と核をかち割られている光景は見た事がない。


 普通ではありえない光景にアイシャはおどろきで呆然ぼうぜんとした。そしてアイシャは目の前の光景から周囲を見た。

 アイシャと同じように魔獣から離れて囲むように立っている人達の中に負傷している人がいた。恐らく魔獣が暴れた際に負傷したのだろう。他にも周りには魔獣による被害で負傷した人達が数人いた。


「誰か! 誰か治癒師の方を呼んで下さい!」


 負傷した人の隣にいる人は周りの人達に治癒師を要請する。しかし周囲の人達は魔獣の被害に気が動転して叫んでいる人の声が届いていない様子だった。

 アイシャは騒ぎになっている人混みから去ろうとする。その時、アイシャの傍から子供の叫び声が聞こえる。

 声が聞こえる方を振り向くと、そこには腕を押さえた男の子が泣きながら泣き叫んでいた。するとアイシャは小さく息を吐いた。

アイシャは男の子の視線まで腰を落とすと男の子に声をかける。


「落ち着いて。すぐに良くなるから」


 男の子にそう言うとアイシャは男の子が押さえている腕を見た。ひどく腫れている様子から見て腕の骨が折れている。それに折れている腕を押さえている腕も擦り傷で血が流れている。

 男の子の怪我を確認したアイシャは男の子の患部に手をかざした。

アイシャが男の子の怪我に手をかざすと、アイシャの動きに気付いた男の子はふとアイシャを一瞥いちべつする。

 アイシャのかざした手から淡い光が降り注ぐと、淡い光にさらされている男の子の患部は時間が巻き戻るかのように元の健康な状態へ治っていく。


「お姉ちゃん。誰?」


 患部が治っていく様子を見た男の子はかざした手から降り注ぐ光を見ながらアイシャに尋ねた。しかし視界に映るアイシャは一言も口を開かない。

アイシャの手から降り注いだ光が消えると男の子の患部は元の健康な状態に戻っていた。

 男の子は不思議な光景を見たかのような呆然とした様子でアイシャを見つめていた。

 その目に映るアイシャはすぐにこの場から立ち去ろうとする。


「お前さん治癒師か⁉ 悪い! こいつの怪我を治してくれないか⁉」


 この場から立ち去ろうとしたアイシャを呼び止めるように傍にいた人が声をかける。アイシャは立ち去る前に声をかけられて顔が渋くなりそうになる。

 アイシャは仕方なく声をかけられた方を向く。そこには男の子と同じように魔獣による被害で負傷した人がいた。

 アイシャは負傷した人の方へ歩み寄り腰を落とした。怪我をした人の患部に手をかざすと淡い光が負傷者の患部に降り注ぐ。光にさらされた患部は先程と同じように時間が巻き戻るように治っていく。


 怪我を治すと別の方から呼び止められる声の方へ行き怪我人の患部を治す。そしてまた別の人に呼び止められて怪我人の怪我を治す。アイシャはその繰り返しをする。

 アイシャは一通り怪我をした人たちを治癒魔法で治すと人だかりの中から一人の人物が人混みの中から現れた。


王宮治癒師おうきゅうちゆしです。魔獣被害による負傷者の搬送はんそうに来ました」


 人混みから現れた人物——王宮治癒師おうきゅうちゆしの証である白衣を着たアイシャと大して見た目の年齢の変わらない少女はアイシャと目が合うと周囲の状況を見回した。


 長い髪を後ろで結っている明るい栗色の髪は日の光を浴びて綺麗に反射している。結った髪から見えるうなじは白くどこか扇状的だ。意志の強そうな透き通る銀色の瞳。王宮治癒師おうきゅうちゆしの白衣の上からでも分かる女性らしい丸みのあるスタイルはとても健康的でアイシャよりも胸部にある女性の象徴が豊かだ。


 白衣の少女の視界に映るのは負傷者を治癒したアイシャと、アイシャの治癒魔法で怪我を治してもらった患者の姿だった。


「ここにいる負傷者はそこの人が治したよ」


 白衣の少女の傍にいる老人が今の状況を説明すると白衣の少女は目を丸くする。

 白衣の少女は怪我を治したアイシャの元へ歩み寄る。


「あなた、治癒師ちゆしですか?」


 白衣の少女が唐突にアイシャへ尋ねてくる。尋ねてきた白衣の少女は真剣な眼差まなざしをアイシャに向けた。


「い、いえ。私は治癒魔法が使えるだけのただの旅人です」


 真剣な眼差まなざしを向けてくる白衣の少女の凄みにアイシャは少し困惑しながら答えた。


「そうですか。この場の患者の救急処置をして下さりありがとうございます」


 アイシャに礼を言うと続けざまに白衣の少女は話す。


「私はリーサ・グランビルと申します。王宮治癒師おうきゅうちゆしです」


 白衣の少女——リーサが自己紹介をするとリーサの後に同行していた搬送係はアイシャが治癒した人達の様子を見た。怪我は完治しているのを確認した搬送係は踵を返した。


「すみませんが私達に同行していただけませんか?」


 リーサの唐突な言葉にアイシャは断ろうとした。その言葉を告げる直前、リーサはアイシャの腕を掴み強引に搬送係の後を追った。


「ちょ、ちょっと!」


 強引に引っ張られるアイシャはリーサに声をかけるがリーサは声が聞こえていないのかアイシャの言葉に何も返事をしなかった。そしてそのままリーサに引っ張られたまま搬送係とともにどこかへ連れて行かれる。



 アイシャがリーサに連れてこられたのは王都中央区セントラルエリア第五区フィフスエリアの境界付近だった。


「あの。そろそろどこへ連れていくのか教えてくれませんか?」


 リーサに引っ張られたアイシャは強引に連れていかれる場所を尋ねた。アイシャが尋ねるとリーサは足を止めずにアイシャを一瞥いちべつした。


「それについては後でしっかり説明します。今は私について来て下さい」


 リーサはアイシャの質問を後回しにして進むと視界の先には白く大きな建造物が見えてきた。


「見えてきました。あそこが目的地です」


 リーサに連れてこられたアイシャの視界に映る白い建造物の中へ二人は入ると目の前に広がるのは異様な光景だった。

 王宮治癒師おうきゅうちゆしの制服を着た人達が鬼気迫ききせまる表情で建造物の中を速足で動き回っている。その奥には王宮治癒師おうきゅうちゆしの数をはるかに上回る多くの人が椅子に腰かけたり部屋の奥のベッドの上に横になっている。そんな人の多くは怪我を負っている。


「ここって」

「ここは王立治癒院。治癒師でなければ治せない怪我や病気の患者に治療を行う施設です」


 リーサがアイシャを連れてきた場所——王立治癒院について説明するとアイシャは思い出す。

 王立治癒院はアイシャが王宮から消える少し前に建立こんりゅうが計画されていた施設だ。アイシャが王都からいなくなってから数年間の間に建立したらしい。


「それで私を連れてきた理由って何?」


 アイシャは改めてリーサに治癒院へ連れてこられた理由を尋ねた。


「それは——」

「何をしていたのです! リーサ・グランビル!」


 アイシャの質問にリーサが答えようとする寸前、誰かが怒声でリーサを呼ぶ声が割り込んだ。

 怒声が聞こえる方を見ると、そこには背丈の高い女性が立っていた。

 王宮治癒師おうきゅうちゆしの制服を着ていて赤縁あかぶち眼鏡めがねをかけた女性はリーサを呼ぶと、リーサは怒声で呼んだ女性の方を見た。


「すみません治癒師長! 遅くなりました!」


 リーサは自分の名を呼んだ女性に対して謝罪を口にすると頭を深々と下げた。


「こんな人手の足りない時に何をしていたのです! 救護にどれだけ時間をかけていたのですか!」


 怒声を上げる女性——治癒師長はリーサの方へ歩み寄るとリーサの隣にいたアイシャを一瞥いちべつする。


「リーサ・グランビル。そちらの方は誰ですか?」


 治癒師長はリーサのとなりにいるアイシャを一瞥いちべつするとリーサに質問する。


「この人は私が向かった救護先で先に魔獣被害による負傷者を治癒魔法で治癒した方です」


 リーサはアイシャの説明をすると治癒師長はいぶかしげにアイシャを見る。


「そう言えばお名前をまだ聞いてませんでした」


 リーサは今更ながらアイシャに名前を尋ねた。するとアイシャは数瞬すうしゅん口を閉じた。

 アイシャはこれでもこのアルカディア王国の元王女であり今は王国の王子を殺しに来た暗殺者だ。正体を明かすわけにはいかない。数瞬すうしゅん経過するとアイシャは口を開く。


「ミィナです。旅をしている途中、この王都に立ち寄りました。その途中でそこの方に治癒院に連れてこられました」


 アイシャはミィナと偽名を名乗り現在自分がここにいる経緯いきさつを治癒師長に説明した。

 すると治癒師長は眼鏡の奥の鋭い眼光がリーサに向けられた。


「リーサ・グランビル! 治癒魔法を使えるからと言ってただの旅人をここへ連れてくるとはどういう事です!」


 治癒師長は怒声交じりに至極真っ当な事を口にすると、リーサは口を開く。


「魔獣による負傷者の数に比べて王宮治癒師おうきゅうちゆしの数は足りてません! 今は一人でも治癒師の確保が必要です!」


 治癒師長の言葉にかみつくようなはっきりとした言葉でリーサはアイシャを連れてきた理由を口にした。しかし治癒師長はリーサの説明を聞いた後も依然と鋭い眼光を向けたままだった。

 険悪な空気が漂う中、アイシャは気まずそうに周囲を見る。

 周囲の治癒師達は足を止めて治癒師長とリーサの険悪な状況をただ見るだけ、怪我した患者も二人の口論をジロジロと見るだけだった。


「それにミィナさんは私が救護に向かう時間で七人の重傷者を完治させていました! 王宮治癒師おうきゅうちゆしでも魔獣による怪我の治癒は難しいです! それをミィナさんは私達が来るまでの数分の間に七人の重傷者を治癒しました! 確実に私達よりも腕の立つ治癒師です! 手を借りるならこれ以上の適任はいないと思います!」


 リーサはアイシャが魔獣の被害が出た場所で治癒した人達の状態を見た実力を口にした。

 リーサの言うように魔獣による傷は普通の治療法では傷が治らない。王宮治癒師おうきゅうちゆしの治癒魔法でようやく傷口を治す事ができる。その怪我をアイシャはリーサ達王宮治癒師おうきゅうちゆしが来るまでの間に魔獣によって負傷した七名を完治させた。

 リーサが熱弁して治癒院の患者の治癒を助力するのは理に適っている。


「……分かりました。ただしミィナさんはまだ治癒院の勝手を知りません。あくまであなたの周りの助力をする事だけは許可します」


 治癒師長はリーサの熱意に負けたのか、小さく息を吐いて眼鏡の縁を持ち上げる。


「ありがとうございます!」


 口論に折れた治癒師長にリーサは感謝の言葉を告げた。

 感謝の言葉を聞いた後治癒師長は踵を返して奥の部屋へ進む。


「あなた。よく上司に口論できるわね?」


 アイシャは呆れた口調でリーサに話しかけた。するとリーサは先程までより少し和らいだ表情を浮かべてアイシャを見た。


「人を助けるのに体面気にしても仕方ないです。それにこれからミィナさんには私の手伝いをお願いします」

「人を強引に連れて来たと思ったら、今度は治癒院のお手伝いを強要。あなた自分勝手よね」


 リーサの言動に飽きれた口調のアイシャは深くため息を吐いた。そしてリーサを見る。


「分かったわ。あなたの手伝いをする。ただしそれ以上は何もしない。それでいいわね?」


 溜息ためいきを吐いた後アイシャはリーサの手伝う事を了承りょうしょうすると、リーサは表情を明るくする。


「ありがとうございます!」


 アイシャが手伝う事を了承すると、リーサは感謝を口にした。するtリーサはアイシャの手を掴むとアイシャを引っ張りながら奥の部屋の一つへ向かう。


「だから、強引に引っ張るのはやめて!」


 そう言ってアイシャは強引に引っ張るリーサに注意した。

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