吸血鬼の聖女編

第1話 暗殺者アイシャ

 灯り一つ灯っていない暗がりの部屋。

 部屋の窓から差し込む月光によって、ようやく部屋の空間を把握はあくできる。

 部屋には豪奢ごうしゃ骨董品こっとうひnがあちこち置かれていて、床には赤い絨毯じゅうたんが敷かれている。その絨毯じゅうたんの一部は妖しく月光を反射している。

 月光を反射する赤い絨毯の傍には小太りの男性がうつ伏せになって倒れていた。絨毯じゅうたんの上に倒れている男性の喉笛は鋭利な刃物で斬られ、傷口から大量の赤黒い液体が流れている。


 喉笛から流れる赤黒い液体——血の傍には一人の少女が立っていた。

 腰まで届く白銀の髪は月光を反射して妖しい美しさを纏う。暗がりの部屋の中でも目視できる赤い瞳の輝きは月光にも負けない妖艶ようえんな輝きを放つ。陶磁とうじのように白い肌は月光に照らされて人間離れした色気がある。細身ながら女性らしい丸みのある肢体。あやしさを放つ容姿に返り血が付着して狂気をはらんでいた。


依頼いらい完了」


 少女——アイシャは男性の喉笛のどぶえを斬った血塗ちまみれのナイフを一振りして刃に付着した血を払う。

 返り血塗れのアイシャは顔に付着した血を羽織はおっている外套がいとうの袖で拭い取る。血を拭い取った袖を顔へ近付けると鼻腔に鉄の臭いが通り抜ける。

 拭った袖の手の甲にはまだ付着している血が残っていた。アイシャは手の甲に付着した血を舌でめ取る。


「……不味まずい」


 舌で血を舐め取ったアイシャは渋い顔を浮かべた。やはりいつまで経っても慣れない味だ。

 アイシャは血を払ったナイフを鞘に納めると、月光が差し込む窓を開き、身を乗り出して飛び降りた。



 アルカディア王国辺境地


 ハリボテでできたみすぼらしい造りの家に戻ったアイシャは今の棲家すみかであるアジトへ戻る。

 アジトの中には一人の男性が椅子に座っていた。

 赤髪に褐色の肌。細身の体躯だが決して筋肉がない訳でない。引き締まった体躯の男性はアイシャの方へ視線を向ける。


「戻って来たか、アイシャ」

「そっちも予定より早く仕事終わったようね。ファド」


 帰ってきたアイシャに声をかけた赤髪の男性——ファドは手に持っているカップを口に運び中に入っているお茶を飲む。


「あぁ、オレの方は標的ターゲット無防むぼうびに出歩いていたからな。手早く殺せた」


 ファドは唇からカップを放してアイシャに返事を返した。するとファドは立ち上がり自身の背後の壁の方を向く。

 ファドが見る壁にはいくつもの写真と文字が書かれた紙が貼られていた。そして壁に貼られた写真には人の顔が、紙には写真の人物の情報が記載きさいされている。

 壁に貼られた写真の多くは顔の中央にナイフがされていた。


 ファドはナイフを懐から出して、まだナイフが刺されていない写真の一枚を突き刺した。

 新たに刺された写真の人物はつい先日アイシャが喉笛を斬って殺した子爵家の当主の顔写真だった。


「今回でアイシャが暗殺した人間は百人か」

「今更殺した人間の数なんて覚えてないわ」


 ナイフで刺した壁の写真からアイシャに視線を移したファドは感慨深そうにアイシャに声をかける。アイシャはファドの様子に淡々と返した。

 アイシャは言葉を返すと羽織っている血塗ちまみれの外套がいとうを脱いで先程ファドが座っていた椅子の向かいにある椅子へ座った。


「最初は人を殺すたびに腹の中の物を戻してたアイシャが言うようになったな」

「昔の事を掘り下げないで」

「機嫌が悪いようだな? 血が足り出ないんじゃないか?」


 会話の中、機嫌が悪くなるアイシャに対してファドは冗談交じりに言葉を返した。その言葉を聞いたアイシャは余計に機嫌が悪くなる。


「あんな不味いもの飲むくらいなら死んだ方がマシよ」


 ファドの冗談交じりの言葉にアイシャは不機嫌にそれでいて真面目に返事を返した。

 ファドとアイシャが話をしている途中で窓の方から物音が聞こえる。

 アイシャとファドは窓から聞こえる音の方へ視線を向けると窓のガラスをつつく鳩の姿があった。ファドは鳩の方へ近付いて窓を開ける。窓を開けた隙間から鳩が家の中に入るとファドは鳩の足に括り付けられている紙を取った。

 手に取った紙——伝書には文字が書かれていた。


「戻って早々だが、依頼いらいだ」


 ファドは文字が書かれた伝書をアイシャの前にあるテーブルの上に置いた。テーブルの上に置かれた伝書をアイシャは手に取った。伝書に目を通したアイシャは数瞬すうしゅん、目を大きく開いた。


「次の標的ターゲットはアルカディア王国第一王子、ディラン・アルカディア。アイシャにとって荷が重いようなら俺が殺しに行くが、どうする?」


 ファドの言葉を聞いた後、数瞬すうしゅんおいてアイシャは口を開く。


「気遣いは不要よ。たとえ暗殺の標的が兄上だとしても私は暗殺者。仕事はきっちり遂行する」

「そうか」


 気遣いの言葉に返事を返したアイシャにファドは苦笑する。

 言葉を返したアイシャはすぐに仕事道具をそろえて、すぐアジトの出入り口へ向かう。


「くれぐれも仕留め損なうなよ」

「私が標的を仕留め損なった事、今まであった?」


 ファドの忠告にアイシャは強気な言葉を返す。


「そうだったな。まあ精々せいぜい死なない程度に気張れよ」

「その言葉、私が死なない事知ってて言ってるの?」


 ファドのの言葉に引っ掛かるアイシャは血塗れ《ちまみ》れの外套とは別の新しい外套を手に取る。


「もちろん。分かってて言ってるさ。吸血鬼の聖女様?」

「その呼び名やめてくれる? むず痒いわ」


 そう言ってアイシャは新しい鼠色ねずみいろの外套を羽織った。一方のファドはカップに入ったお茶を飲み干すとアイシャに向けて「何か」をほうる。

 ファドがほうった「何か」を受け止めるとアイシャはファドが放った「何か」に視線を向ける。

 受け止めた「何か」——赤黒い液体の入ったガラス瓶が視界に映るとアイシャは苦い顔を浮かべる。


「吸血鬼なのは本当だろ? 聖女の力で吸血鬼の弱点である日光に強いくせして血を飲むのが苦手なんて、どんな体しているのやら」

「うるさいわね。あんな鉄臭いものを飲める吸血鬼がどうかしてるのよ。これ時間が経つと生臭くなるから余計嫌いなの」

「そんな事言っても背に腹は代えられないだろ」


 ファドの言葉はもっともだった。

 吸血鬼にとって人間の血は生物にとっての食糧だ。食糧が嫌いでも摂らなければ餓死してしまう。自然の摂理だ。


「……分かってるわよ。今回も用意してくれてありがとう」


 人間の血を渡したファドに口籠りながらアイシャが感謝を伝える。


「まあ、アイシャの事だ。なんとかなるだろう。用意ができたならその血が腐る前に標的ターゲットを殺すんだな」


 ファドがそう言っている間、アイシャは血の入った瓶をふところまった。そしてアイシャはアジトの出入り口へ進み扉を開けて外へ出た。

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