第28話 ご安全にどうぞ
ハルバードを担ぐアイリスは、歩きながら辺りを観察していたが、家の前にも道の端にも、所在なげな村人の姿が見られた。出立した者を案じているのか、それともオークが不安なのか、皆が揃って奥の村がある方を見やっている。
どの家も木や土壁で出来ていて、王都の石造りの建物を見慣れたアイリスには物珍しかった。もちろん、村の中を歩いていたのはオークに備えての警護でもある。
ところどころで警護についている家士たちの様子をみて、そのまま道を歩き通していけば、村の薬師の家の近くに到着した。
しかし、そこでカールドンと数人の家士たちを見かけた。
ここに残って村の警護をするという事で、顔に悲壮な決意を滲ませ整列をしている。鎧や鎖帷子に身を固めた家士たちは、奥の村への急行には相応しくなかったのだが、それでも残った事を悔いて恥じているような顔に思われた。
「…………」
小首を傾げ、その姿を見やったアイリスであったが、ふと思いついたように頷いた。そして薬師の家の前を素通りすると、そちらへと近づいていく。
すたすたと長い銀色の髪を揺らし、土を踏み固めただけの小道を近づいていけば、カールドンたちは自らが従う御嬢様の姿に気付いた。
家士たち一同が揃って深々と頭を下げる前で、アイリスは立ち止まる。
「アイリス様まで見回りですか」
「今まではそうでした。これからは、手伝いをします」
言ってアイリスはハルバードを少し傾け、薬師の家を指し示した。
そこではシュミットと薬師と、さらにフウカが手分けをして怪我人治療と、回復薬の製造に打ち込んでいる。全ては少しでも犠牲を減らす為であり、さらにはこれから発生するであろう怪我人の為であった。
人手は幾らあっても足りないだろうが、その作業にはそれなりの素養が必要だ。しかも村の薬師はその立場もあって、頑なに他の村人の手伝いを拒否している。アイリスであれば流石に拒否はされないだろう。
「なるほど。まあ、そうして頂けると助かります。我らには、御嬢様こそが第一なんです。今更言うのもなんですが、できるだけ安全な場所に居て欲しいですな」
「ですが、アイリスの方が強いのです」
「たははっ。それを言わんで下さい。ですが、どれだけ強かろうと危険は危険」
そこまで言ったカールドンは、急に身を屈めると声を潜め、小さな御嬢様に囁いた。
「よろしいですか。いざとなったら、アイリス様はお逃げ下さい。麓の町まで一気に行って、後は馬でもなんでも調達して王都に向かって頂きたい」
「嫌です」
「そこは臣下の願いを聞き届けて下さって、頷いて欲しいのですがね」
「聞かないのです。なぜならアイリスは、悪い御嬢様なのですから」
困り顔のカールドンと家士たちを後ろに、アイリスはすたすたと家屋に向かう。だが途中で止まって振り返り、口角を上げた笑みをみせた。
「だから皆で一緒に帰るのです。ご安全にどうぞ」
それだけ言って、くるりと向きを変えて行ってしまう。その後ろ姿を見やるカールドンや家士たちは何度も瞬きをしていた。少しずつ顔を綻ばせると、声に出さず鼻息だけで笑ってみせた。
カールドンは金属の胸当てを、がんっと拳で叩いてみせる。
「よし! お前たち! 気合いを入れて村を巡回するぞ! ご安全にだ!」
「「おうっ!」」
全員が気合いの声をあげ拳を突き上げた。
悪い御嬢様は、笑顔ひとつで皆を操ってしまったのだ。
◆◆◆
「さても、よく戦い、よく殺し、よく死んだ。生きておるのは何人かな?」
グリンタフは座り込んだまま額に手をやり、生臭いオークの返り血を拭い取った。
先程まで怒声と悲鳴と絶叫に満ちていた空間に、今は静けさが支配している。やや傾いた日の光が木々の間から差し込み、夕焼け一歩手前の空はどこか白みがかっていた。
両手で膝につき、前屈みに荒い息をしていたウェルデットが辺りを見回す。
「爺様を含めて四人だな。あと、あの人もだ」
「ふんっ、ありゃ別枠じゃろう。と言うか、儂を年寄り扱いすんな」
「はいはい」
ウェルデットは適当に相づちを打ち、グリンタフは顰めた顔で、生き残った二人を見た。どちらも足を引きずっている。そこそこの重傷だ。
「なあ回復薬は残っとるか?」
「そんなもんは、とうに使い切っちまったよ」
「だろうな……ぬっ?」
ふいにした物音に皆が振り向くと、オークの死骸を押しのけたグライドが、その下から村の仲間の亡骸を引きずり出しているところだった。丁重な手つきで肩に担ぎあげ、血を浴びる事を厭いもせず、山際に運んで草の上に寝かせている。
それをウェルデットは呆れた様子で見つめるが、視線には畏敬が滲んでいる。グライドはオークナイトを倒しただけでなく、ここで倒れたオークの半数以上を一人で斬っているのだ。凄い者だとウェルデットは思った。
ざりざりと砂を擦る音がして、重い腰を上げたグリンタフが歩いていた。刃こぼれだらけの山刀を投げ捨て、オークが使っていた状態の良い槍を持っている。顔にはまだ拭い残したオークの血が残っていた。
「グライド殿よ、そこまでじゃ」
振り向いたグライドに、なおも低い声で告げる。
「今はそんな事をする余裕はなかろう。それよりも、村に行かねばならん」
「分かっている。分かっているが、仲間をこのままにしてはおけないだろう?」
「構わん。山の者は山に帰る、それでいいのじゃ。皆、覚悟はしておる」
「…………」
グライドは黙り込んだ。
「まともに動けるのは、儂と息子とお主だけ。残った二人は足に傷を負って、どのみち走れぬ。動ける儂らで村に行くぞ」
「しかしな……」
ここはまだ危険だ。
オークの生き残りが、まだいるかもしれない。もしくは、血の臭いを嗅ぎつけた野生の獣や、別のモンスターが来るかも知れない。
そんな事は足を痛めた二人も承知だが、それでも拝むようにして頼み込んだ。
「はっ、俺たちとて山に生きる者。後はどうにかする、俺たちは捨て置け。それよりも家族を、村を頼むぞ」
「まったくだな。もちろん死ぬ気はないからな、最後まで足掻いてみせるさ。そういうわけで、早く行ってくれ」
二人は吹っ切れた様子で朗らかに笑い、追い払うように手を振っている。
「……すまない」
言って頭を下げ、踵を返したグライドが走りだした。グリンタフ親子は残る二人と拳を打合せ、それを別れの合図として後を追った。
残る二人もまた生き残るため、傷ついた身体に鞭を打ち痛む足を動かし歩きだす。
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