第29話 ならば獣になってみせよ
怪我人は板に草を編んだ敷物の上に寝かされ呻いていた。
その治療に懸命なシュミットに頼まれ、アイリスは怪我人を支えようと手をのばした。
しかし、その手が止まる。どこかで甲高い悲鳴があげられるのを耳にしたからだ。一人や二人の叫びではない。その悲鳴は村の来た側から聞こえ、しかもまだ続いている。
「これはまさかですが……」
「そのまさかで、オークが来たのかもしれないわ」
「恐らくそうなのでしょう」
フウカの言葉にアイリスは同意した。
悲鳴と共に、オーク襲来を告げる声が近づいて来る。それは皆にも聞こえているため、治療を待つ怪我人たちは不安そうに、声のする方向を見ている。武器を持った男たちが外に飛び出していく。しかしシュミットは手を止めることなく、治療を続けていた。
外に出たアイリスは、村の通りの一番向こうに見えている建物の陰から、悲鳴をあげ走ってくる村人の姿を見た。遠目でも分かる恐怖の表情に、間違いなくオークが来たと分かった。
「参ります」
言ってアイリスはハルバードを手に走りだした。そのまま魔力を身体に巡らせ身体を強化し、飛ぶようにして進む。後ろをフウカが追いかけた。
道に沿って走っていくと、ついにオークの姿が現れた。威嚇の雄叫びをあげ武器を手に、逃げてくる人の後ろを追いかけてくる。そして、そちらにある広場から同じような雄叫びが聞こえ、さらに激しく剣を打ち合わせる音も響きだす。
どうやら戦いが始まったらしい。
アイリスは目の前の人々を救うべく疾走する。斧場を後ろに向けたハルバードを真っ直ぐ水平に持ち、軽く飛んで着地する動作と共に後ろから前へと振り抜く。勢いを込めた一撃で、斬り付けられたオークは叩き付けられたように転倒した。激しい血飛沫があがり、間違いなく一撃死だ。さらにアイリスは身体を捻り、ハルバードを旋回さえ次の攻撃に移っている。さらにオークが倒された。
「もうっ、一人で突っ込まないでよ」
フウカが文句を言って追いついた。後ろでは逃げのびた村人を、武器を手にした男たちが保護して、辺りに油断の無い眼を配っている。
そのまま二人して進むと、狭い広場に数十ものオークが現れていた。向こうの通りの柿の木の傍に、カールドンの率いる家士たちが剣を手に対峙している。どちらも直ぐには動けず、時々そっと隙を窺って前に出ようとしては、牽制されては引っ込んでいた。
「アイリス様!」
姿に気付いたカールドンが叫ぶように言い、しかしそれが契機となって、オークたちが一斉に叫んで動きだした。たちまち人とオークがぶつかり合うように、激しい戦闘が始まり金属がぶつかり、気合いや苦痛や悲鳴の声がそこかしこであがる。
もちろんオークは、アイリスの方にも向かってきた。
喉から迸るような耳障りな叫びをあげ、刃をアイリスに向け斬りかかって来た。すぐ後ろからも、もう一体も剣を手に向かってくる。その勢いは激しく、怒りがこもっていた。オークロードが倒された事への怒りかもしれない。
アイリスは軽やかに後退し、ハルバードの一振りで先に来たオークの首を払った。噴き上がる血を避けつつ身体を転じて、素早く次の一撃を放つと、後ろのオークの肩に叩き込んだ。
しかし、次々と来ている。
フウカが短い気合いの声をあげた。手から鉄串が放たれると、オークに降り注ぐ。しかもそれは的確に急所を狙い、動きを封じ怯ませている。オークの何体かは武器を取り落とし顔を押さえ、悲鳴の叫びをあげた。
「そこ! です!」
強く言いながらアイリスが動いて、たちまち無防備なオークを斬り伏せてしまう。少なくとも広場に居たオークの半数を、たった二人で倒してみせた。さらに前に進んで、カールドンたちが相手にしているオークを挟撃する。
全てのオークが倒れ、辺りは血の臭いが立ち込めていた。カールドンは剣を手に駆け寄って来たが、その剣先が細かく震えている。流石にこの襲撃に動揺しているらしい。
「アイリス様、助かりました!」
「怪我人は?」
柿の木の根元に家士の一人が倒れていた。家士の中でも一番若い者だったが、腕と胸に傷を負っていた。しかし深傷ではなかったらしく、他の者が駆け寄ると顔をしかめながら身体を起こしている。
直ぐに回復薬が使われ、殆どの傷は治ったらしい。
しかし立ち上がる仕草は弱々しく、歩きかけたところで足をもつれさせ仲間に支えられた。やはり傷を受けた事によるダメージは身体だけではなく、心へも影響するのだろう。
◆◆◆
無言のまま木々の枝葉を分け、グライドは前へ前へと進んだ。
ぱりぱりとした枯れた葉が顔に当たり、微かな痛みを感じる。足元は多量の葉が積もった柔らかな土で、そこに長い枯れ枝が混じって足を絡め取ろうとする。そんな木々の間を抜けていくグリンタフとウェルデットは、このあたりの地理が手に取るように分かっているのだろう。
不意に目の前が明るくなって視界が開け、思わず足を止めた。
遙か遠くまで広がる大地は、眩しい夕の日射しによって黄色がかっている。山々の陰影は遠方にある全てまでくっきりと強調され、その向こうに平原の広がりが見えた。平原の中に佇むように建物群があって、その中に城の尖塔なども微かに確認できる。
手前に目をやれば、殆ど垂直に近い斜面の下に村の段々畑が続き、そこで蠢く多数のオークの姿が確認できた。目につくのは、村の広場で躍る銀色の煌めきだ。間違いなくアイリスだ。近くには娘フウカの姿も確認できる。
グリンタフが横に立って、同じように村を見やった。
「この斜面は獣しか降りられんものじゃが……」
「ならば獣になってみせよう」
「お主なら言うと思ったぞ」
グリンタフは呵々と笑い、やはりこの斜面を駆け下るつもりだったのだろう。
「俺は御嬢様の元に行く」
「ならば儂らは向こうじゃ」
「武運を」
言いおいてグライドは前に出た。飛ぶような勢いで崖としか言えない急斜面を駆け下りていく。それは恐ろしい勢いであって、まさしく獣だ。鍛えあげられた身体の能力を活かし、さらには極限まで集中して読みをしている。一歩先どころか二歩三歩、それ以上先までも見定め、どこを踏んでどう跳んでどこへ進むかを読んでいるのだ。
見る間に遠ざかる姿に、ウェルデットは鼻を突きだし目を剥いた。そして顔を見あわせると頷きあい、もう少し緩い崖を駆け下っていった。
そこに居た年若い彼は、村人を守る役目を任されていた。
オークを前にして音が鳴るほど歯を噛みしめていた。そうせねば悲鳴をあげてしまいそうだからだ。周りに味方がいなければ、自分が村人を守るしかない。恐さはあるが、それ以上に皆を守らねばと思い極めていた。
彼は危うく錆びた剣に斬られそうになって、間一髪それを転がって回避した。咄嗟に動けたのは、王都の練兵場で何度も行われた訓練のおかげだ。だが訓練の時に思い描いていたような、英雄のような動きはまるで出来ない。
それでも転がりながら石を掴んで――だが、それだけだ。
手にしているのは武器とも言えない石が一つ、目の前に迫るオークに何もできない。自分が情けなく悔しくて、涙すら溢れてくる。嘲るように鳴き交わすオークたちを睨み付けて石を握りしめる。
「ここは通さない! 任されたんだ! 僕がここを任されたんだ!」
石を投げつけ、さらに飛びつくように拾い上げた石を掴んで、間近に迫ったオークに殴りかかる。重い手応えはあったが、他のオークが襲ってくる。これを躱すが、その錆びた剣先が胸をかすめていた。膝を突いて石を投げ、さらに次の石を掴む。
まさにその時、横の山の斜面から草を押し退け何かの陰が飛び出した。
よく頑張った、という言葉が確かにきこえた。
陰が着地すると同時にオークが両断され、前に跳びだしすれ違い様に次を両断。返す一撃で、さらに次も両断。瞬く間に目の前のオークが減っていく。
彼は駆け去っていく姿を唖然としながら見る事しか出来なかった。自分が助かったと気づいたのは、それから少ししてだった。
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