第25話 オークなど何するものぞ

「オークロードに襲われたから撤収した? 待て待て、オークロードなら倒したが」

「バカな!?」

 カールドンは顎を落とすようにして口を開け、まじまじとグライドを見つめた。バカな、という言葉はオークロードを倒した事に心底驚いたらしい。それぐらいの恐るべき敵なのだ。

「お前、強いと思ったがそこまでとは……。これでは俺がオークロードに襲われ、撤収の合図をしたのがバカみたいでないか。まさか、あの後の短い時間で倒すとは……」

「待て待て、待ってくれ。合図というのは角笛の事かな。それはおかしい。俺がオークロードを倒したのは、角笛が鳴る前だぞ」

「バカな!?」

 カールドンは眉を寄せ、まじまじとグライドを見つめた。バカな、という言葉はオークロードを倒したタイミングについて訝しんでの事らしい。

 集まっているのは主要な者たちで、場所は前村の村長屋敷だった。

 撤収の合図で合流した後は、怪我人と死者を運ばねばならず、しかもカールドンは奥の村の生き残りの何人かを救出していた。その弱り切った人々を連れ移動し、オークの反撃も警戒する必要があって、とても話をするどころではなかったのだ。

 カールドンが最初の戦闘を急いだのは、奥の村の生き残りを見つけ、しかもそれが今にも殺されそうだったからだ。そこから十数人を救い出し、あとは殺到するオークを防いで戦っていたらしい。まさにナイトに相応しい大活躍だった。

 なお、パンタリウスも村人の救助に活躍したらしい。

「だったら、俺が見たのは何だったと言うのだ。あの巨体は間違いなく、オークロードだったぞ! それで、とても持ちこたえられんと思って撤退したのだ」

「そいつの獲物は何だった? 倒した奴はグレートソードを扱っていたが」

「……太刀だった」

 つまりオークロードは二体いたという事になる。

 室内は沈黙に包まれた。


 上座に座るアイリスがグライドに対し、問いかけるような視線を向けた。他の者も、それに倣った。いまのこの場で皆に頼られ縋られ、その視線を浴びながらグライドは考え込む。

 もう一度戦うしかなかった。オークロードが動く前に、再び奥の村まで行って仕留めるしかない。傷は治った、だが疲労はある。正直に言えば動きたい気分ではない。それでもやらねばならないだろう。今はそういう時だ。

「オークロードは倒せるが、一人では無理だ。周りのオークを抑える者が必要だ」

 室内に沈黙が漂った。

 誰もが今日の戦いを経験して、その恐ろしさを思い知っている。死にそうな目に遭いながら辛うじて命を拾い、運拙く命を落とした者の姿を間近に見た後で、果たして戦いに臨める者が何人いるだろうか。

 その時であった、グリンタフが床を叩き声を張りあげたのは。

「生きのびるためには戦わねばならん。どれだけ苦労しようと辛かろうともだ! 幸いにしてトリトニア御公のお陰にて、オークの数は大いに減った。儂らは、そして儂らの先祖は、そうやって生きて命を繋いできたはず」

 堂々とした言葉に山の民たちは虚を突かれたような顔をして、その直後に目に力を込め力強く頷いた。

「この儂は戦うぞ! 槍をとって戦うぞ! さあグライド殿よ、何人必要だ!? もうひと合戦参ろうぞ」

「十人もいれば十分。残りは、アイリス殿を主として、ここで防御を固めて欲しい」

「村に奴らが来ると言われるか?」

 グライドは答に迷った。普通のオークであれば、ロードが倒れた後は散り散りになって逃げ出すに違いない。だが、今はもう一体のロードが存在するのだ。どう動くかは全く読めなかった。

 そしてトリトニアの家士たちのためでもある。

 ここに来ているとはいえ、当事者ではない家士たちに、今から再び戦えと言っても難しいだろう。何より士気が低い。しかし領民に対する立場というものがあるため、何もしないでいては立つ瀬がない。

 だから、村の防衛という名目を与えておく必要があった。もちろん最初に考えたようにオークたちが襲ってくる可能性もある。最適な者を最適に配置する事が、戦いに勝つ条件だ。

「分からないが備えはしておくべきだ。それから奥の村には、日が暮れる前に到着したい。支度を急いでくれないか」

 山の民たちは勢い良く立ち上がり動きだす。

 グライドの配慮を察したらしいカールドンは、座ったまま深々と頭を垂れ、グリンタフは心得たと言わんばかりに深々と頷いている。

 そしてグライドは立ち上がった。


◆◆◆


「また戦いですって!?」

 妻は家に帰ってきた夫に不安な表情をみせた。

 奥の村まで戦いに行った夫と義父が無事に戻って安堵した直後、また直ぐに戦いに出ると聞いて不安の色が隠せないでいるのだ。

 嬉しげに駆け寄ろうとしていた幼子が足を止め、何か自分が悪いことをしてしまったのかと、不安な顔をした。それにウェルデットは手をやって、頭を撫で安堵させてやった。

「ああ、爺様と一緒に俺も行ってくる」

「そんな! 義父様は兵士をやっていたかもしれないわ。でも、あなたは普通の村人じゃないの。そんなの行く必要はないわよ」

 夫であるウェルデットは、言い募る妻に穏やかな視線を向けただけで、木の床を踏み鳴らしながら奥に行き、どっかり座り込んで使い慣れた山刀に砥石をあてた。今日の戦いでよく使い、幾つかの刃こぼれができていたのだ。

 無視された妻は、怒りを込めてさらに言い募る。

「そもそも、どうして御領主様の兵士が戦わないのよ。あの方たちが来てくれたのは、そうした戦いをするためでしょう?」

「御領主様の兵は、この村を守ってくれる。俺たちは奥の村に行く」

「でも、だからって! どうして、あなたが行かなきゃならないのよ。他にもっと相応しい人がいるでしょ。誰が決めたのよ!」

「俺が望んで志願した」

「なんてバカな事を。うちの子は、まだとっても小さいのよ。今日だって貴方と義父様が心配だって泣いていたのに! どうして志願なんてしたのよ! あたしや、子供を置いていって平気なの!?」

 声を震わせ強く言い募る様子に、ついに子供が泣き出してしまった。ウェルデットは砥石を置いて立ち上がる。山中の家屋は冬の寒さがあるため、明かり取りの窓は小さくつくられていた。そして天井が高いため、余計に薄暗く感じられる。

 しかし、そんな暗さの中でもウェルデットの顔は厳しく引き締まっていた。先程と同じように木の床を踏み鳴らし、妻と子に近づいていく。

「どうして志願をしたかだと?」

 厳しい声に妻は、目を大きく開いて慌てて口を閉じた。この優しい夫は、軽口こそよく叩くが、怒ることは滅多に無い。だから意外さに驚かされたのだ。

「俺だってオークなんぞと戦うのは死んでも御免だ。でもな、だからと言って、お前たちが危険に晒されるのは我慢ならん」

 ウェルデットは我が子を抱き上げ、妻との間に挟んで二人をまとめて抱きしめた。

「奥の村で、オークに喰われた後の人の姿を幾つも見た。惨いものだった。そこに女もいれば子供もいた。俺はそれを哀れに思うのと同時に、これがお前たちでなくて良かったと、心の底から思ってしまった」

「あなた……」

「まだ生き残ったオークどもがいる。それを倒さねば、ここが襲われるかもしれん。だから俺が戦うのはお前と子供のため! そのためならオークなど何するものぞ!」

 胸にかき抱いた妻と子の熱さに命を感じ、この二人を守るためであれば、どんな苦労も苦難も、そして死ぬかもしれない戦いすら恐ろしくないと感じていた。

 恐らく志願した者たちの家では、同じような光景が繰り広げられたに違いない。

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