第22話 この世で一番信じられないのは、自分自身
「そろそろ頃合いか」
辺りに燦々と強い日差しが注がれるなか、グライドは再び顔をあげ、広場の木の梢の先に見える太陽を確認した。出発まで、あと少しといったところだ。
殆ど出発しても良いぐらいだが、それを控える理由がある。
武装した山の民たちが、見送りに集まった家族と、しばしの別れを惜しんでいるのだ。今生の別れとなるかもしれないため、聞こえて来る威勢良い声も空元気が多分に含まれている。
だから、もう少しだけと思ってしまう。
ふと、十数年前の軍を率いていた頃の出陣前を思い出した。
その時も似たようなもので、配下の者や兵たちは落ち着かないでいた。そんな皆を盟友だったスラストが励ましてまわり、最愛の妻リーデルシアはグライドの傍にいて、大丈夫と安心させてくれたのだ。
とても懐かしい感覚と同時に、もう戻らない時を想えば寂しさが込み上げてくる。
「グライド?」
鈴を転がすような声に呼ばれた。
気付けば傍に白銀の髪が近づいており、アイリスが紫色をした瞳を向けてきていた。戦いの前の緊張とは無縁そうな、いつもの口角を軽くあげた笑みを浮かべている。
「もうそろそろ、出発しても良いかと思うのです」
「そうだな。もう少しと思わなくもないが……いや、もう少し待ってくれ」
辺りを見回していたグライドは、歩いて行く姿に気付き、小さく息を吐いてアイリスに待つよう声をかけた。そして皆の間を離れると、大股で進んで建物の裏手に回った。そこにある古びた倉の前に、パンタリウスがいる。
項垂れ歩いていた姿そのままに、所在なげに立っていた。
「何か気になる事があるのかな?」
グライドが近づき声を掛けると、パンタリウスはのろのろと振り向いた。
「いえ大した事ではなく……すいません」
「何か気になるなら、今の内に話すなりした方がいい。そうでなければ、戦いに集中できなくなるかもしれない。怪我どころではないことになる」
「うっ」
パンタリウスの顔が、途端に真っ赤になった。両手を震える程に握りしめ、その手を開き、ゆっくり降ろした。感情を辛うじて堪えた様子だが、その顔は泣き出す一歩手前のようだった。
建物の向こうから響いてくる、気合いや不安のざわめきは少し遠のいている。
どこか隔離されたようにも感じられる空間の中で、パンタリウスは声を震わせ訴えた。
「私は恐いのです。恐くて恐くて、戦いが恐くて堪らない。だってオークは大した数じゃないって話だったじゃないですか。なのに、こちらよりもずっと多いんですよ。しかもロードまでいるって……」
「今更言っても仕方ない。逃げる事はできないだろう」
「分かってます、分かってますよ。でも私が恐いのは戦いだけじゃないんです」
パンタリウスは足元を見たままだ。
「恐いのは、私自身に対してもです」
「自分が恐い? それはどういう事だ?」
「また恐くて動けなくなるんじゃないかって。臆病で情けない事をするんじゃないかって。それが恐いんです。今だってこんなに恐いのに!」
「それなら残っても構わないが」
「行きます! ここに残って、また臆病者になるのは嫌です。嫌なんです。でも、でも恐い。自分でもどうすればいいのか分かりません。どうすれば他の人みたいに勇気が出るんですか。私には、もう分からない」
泣きそうな顔のパンタリウスは下を向いたままだ。
――苦しんでいるのだな。
グライドの胸に、ゆるい憐憫の情が行き過ぎる。
このパンタリウスは気弱な性格なだけでなく、自己肯定感が低い事には、ここ数日付き合った鍛錬で気付いていた。周りから軽んじられ続け、そして先日の醜態によってさらに軽んじられ、すっかり自信喪失状態に違いない。
もちろん父親であるバートンと自分を比較して、卑下している事も大きいのだろう。その父親を唐突に亡くし、その喪失感の中での家督相続。周囲からの期待と重責に押し潰されかけている事は見れば分かる。
その境遇に憐憫と慈しみを覚え、気の毒に思えてしまう。
グライドは優しく微笑んだ。
「恐いと思うことは、少しも悪くない。勇気というものは、恐さを打ち消すため振り絞るものと思う。まっ、いざとなれば開き直って勇気が出てくるだろう」
「でも出ませんでしたよ、この前の時は」
「前が駄目でも今度は出るだろう。もっと自分を信じて自信を持った良かろう」
「私がこの世で一番信じられないのは、自分自身なんです……」
「ふむ、自分に自信がないか」
なかなか重症である。
簡単な言葉ではパンタリウスの嘆きは落ち着かないようだ。
「そうかそうか、では一つ教えておこうかな」
グライドは自分の喉に触れ、上目で軽く空を見やった。よく晴れ渡っている。
「俺はかつて、東の国の六剣聖の筆頭に数えられていた」
「は? 六剣聖の筆頭? それって、敵軍に一人で突っ込み偽王を討ち取り、髑髏の騎士と一騎打ちをして、親善試合で大人げなく全員ぶちのめしたという?」
「そんな時もあったな」
「子供を泣かせた悪徳領主を成敗して、恐ろしい吸血鬼を滅ぼして、最強戦士の人気投票で第一位を獲得したという、あの剣聖?」
「そんな人気投票があったのか」
幾つかは身に覚えがあるが、幾つかは誇張されていて、最後は本気で知らなかった。ふぅむ、とグライドが唸っていると、パンタリウスはマジマジと見つめた。
「失礼ですが本当に?」
「一介の人間がトリトニア家の御嬢様の護衛につけるとでも?」
にやりと笑ってみせた。
もちろん実際には違うが、少なくともモントブレアはグライドを剣聖と知って、アイリスを任せているのは事実だった。だから、あながち嘘とは言い切れない。
何にせよ今はパンタリウスを励まさねばならない。
「その剣聖の指導を受けたわけだ、どうだ少しは自信がつかないかな?」
「でも、たった数日ですよ」
「パンタリウス殿には、きちんとした技術が身についてた。これまで学んできた事は、その身体にしっかりと身についている。だから、始めから技術の指導など不要なぐらいだ。あとはそれをどう活かすかだけの問題なのさ」
ただし実際には、そこからが難しい。
頭で覚えても身体が動かず、身体で覚えても頭が反応しない。さらに心を加え、心技体の三位を渾然とさせ高くあらねばならないわけだ。しかしそれは、今は言う必要の無いことだった。
とにかくパンタリウスに自信を持たせねばならない。
「そのたった数日間を、ひたすら打ち込みを防いで貰っていたわけだが。さてと、ところで気付いていたかな? 最後の辺りは、かなり本気で打ち込んでいた事に」
「えっ!? そうなんですか」
「何回かは、斬る気で打ち込んでいた」
「嘘ですよね!?」
「まあまあ、実際に見事に防いだではないか。はっはっは」
誤魔化すように笑うグライドだったが、急に表情を引き締めた。
「そういうわけで、剣聖の攻撃も防げる技術はある。自信を持って良いと思うがな」
グライドが去って行く背後で、パンタリウスは自分の手を見つめ、それをしっかりと握りしめた。その拳は、もう震えてはいない。気付いてグライドの後を追いかけ走りだした。
太陽は天頂にある。
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