第19話 急な坂道に青息吐息
麓の町に馬車を預け、残りの荷を背負って山道を行く。
グリンタフを先頭にして進む道は山深く、左右から山が迫るようにさえ思えた。夜明け前に降っていた雨は、ほとんど止んで、その名残のような蒸気が流れて動いている様子が見える。
辺りの空気は清々しく澄んで、急な上り坂を進み汗ばんだ身体に、心地よく感じられた。
「お父さん、ちょっと待って」
「なんだ疲れたのか。どれ、背負ってやろう」
「ちょっと疲れたけど、そうじゃないわ。アイリス、アイリスが限界っぽいの」
「そうか、それは背負うわけにはいかんな。代わりに少し手伝うとするか」
グライドは言って、足元の少し怪しくなっているアイリスに手を伸ばすと、ひょいっとハルバードを取り上げた。しっかり握っていた筈が、あっさり奪われアイリスは疲れ顔に驚きをみせている。
山を登り始める最初から、これを持っては疲れるだけだと言ってあったのだが、自分で持つと頑固に譲らなかったのだ。今も眼差しで返して欲しそうに睨んでいるが、それ以上の反応はない。アイリス自身も、それが最善なのだと分かったのだ。
そしてアイリスはフウカに手を引かれ山道を登っていく。
似たような光景は幾つもある。
トリトニアの家士たちは急な坂道に青息吐息、互いに手を貸し合っているが、一行の隊列は随分と長くなっていた。最後尾のカールドンはまだまだ元気で、遅れそうな者を励まし追い立てる声が、ここまで聞こえている。
先頭を一人進むグリンタフが振り向くと、皺顔を深め呵々と笑った。
「おう、グライド殿と娘御は健脚じゃな。この坂は山の者でもキツいと言うのに」
「そりゃまあ。数年前までは旅をしていたのでね」
「ほう、そりゃ凄い。あちこち行ったのか」
「東の方からこちらまでの間なら」
「ふぅん、儂なんぞ王都に行った事があるぐらいだな。それでも村の者からすれば、各地を見聞した名士の如き扱いじゃぞ」
「はっはっは。そうなると旅をしていた俺なんかも名士の扱いかな」
「そうなるかもしれぬな」
和やかに笑うグライドはアイリスのハルバードを肩に担ぎ、さらには娘の分も含めて荷物を持ち、それでも平然とした様子で急な坂を進んで行た。
健脚と評されたフウカも、そして山の民も、坂を上がるだけで精一杯のため、どちらも感心するような顔だ。後ろのアイリスが若干不満そうな顔であるのは、少しでも休んで息をつきたいからなのだろう。しかし意外に頑固な御嬢様は、それ以上は音を上げず黙々と足を運んでいた。
上り道は少しずつ険しくなって、横は切り立つ崖になった。ちらりと覗き込めば、深い谷の中に霧がたまって渦巻き、何か吸い込まれそうな子持ちになるぐらいだ。それで足元の地面に目を戻せば、水が走ったと思われる跡があり、凹凸が激しく砂利や小石が露わとなっている。
そんな具合で、グライドは興味深げな顔をして足を進めていく。
流石にグリンタフは大した者で、前方に見える坂まで先行すると、振り向いてこちらを待ち構えている。グライドが後ろに突きだしたハルバードの柄には、フウカとアイリスが掴まっている。
結局、二人とも限界になってしまったのだ。それでも意地を張って休もうとしないため、ハルバードを使ってグライドが引っ張っているのだ。一歩二歩と踏み締めていき、ようやく坂を上りきった。
砂利だらけの地面にも構わず、二人とも座り込んでしまった。グライドの渡したタオルで首筋やら顔を拭いて荒い息を繰り返している。
「もうだめ、私もう歩きたくない」
「アイリスも同感なのです。体力低下、しばらく動けません」
「喉渇いた。お父さん、お水ちょうだい、お水」
「同じくアイリスも水が欲しいのです」
我が儘な二人の悪い御嬢様要求に応え、水筒を渡してやって、グライドは上ってきたばかりの坂の下を見やった。少し下には山の民たちと、家士の中で一番の若者がいる。もう少しで上がりきるだろう。
その次は意外にもシュミットで、自分のペースでゆっくり上がって来ている。
以降は点々とした列となって家士たちが続き、最後尾のカールドンが担いでいるのはパンタリウスのようだ。
とりあえず脱落者は居ないだろう。
「どれ、グライド殿よ。このまま先に進もうではないか」
元気そのもののグリンタフが言った。どうにも最初に会った頃よりも若々しく、活き活きとしているような気がする。
「皆を待った方が良いのでは?」
「どうせ一本道じゃ迷いようがない。それにな、村はここから直ぐそこなんで、休むなら村での方が良いであろう。何より、早う行って皆を安心させてやりたい」
「そう言われるのであれば」
グライドは座り込んでいた二人の手を掴んで引き立たせた。
何か恨めしい声も聞こえてきたが、それは聞かないふりをして、またハルバードに掴まらせて歩きだした。グリンタフの言う通り、ここで座り込むよりは村に行った方がしっかり休めるだろう。
そこからの道は、ほぼ平坦だ。
密生した木々に両脇を挟まれた道は狭く一本道で、頭上に枝葉が覆い被さり、少しばかり薄暗かった。何かの生き物の騒々しい声が響くものの、グリンタフが気にする様子もないので害はないのだろう。
横から張りだす木の枝を避けながら進んでいく。薄暗い道の前方が明るくなり、そのまま抜けると、唐突に視界が開けた。
明るい日射しの中に、広々とした景色が広がる。
青い空に白い雲。薄茶をした緩い傾斜をした山肌を、道がまっすぐ上がっている。その左右は畑で、しかし山間の土地であるため狭く段々となっていて、そこに点々と働く人の姿があった。向こうの方は、また森になっており、そこで伐採をしているのだろうか、ちょうど木が倒れる様子が見えた。
上に進むにつれ、寄り添うような家屋の群れが見えだした。
吹きよせてくる風に焚き物をするにおいが交じり、畜舎の独特の臭気や、人が暮らす独特の生活臭といったものがあった。
グライドが感じるは、こんな場所にも人が暮らしている事への驚きと感心だ。
様々な場所に様々な人たちが暮らし、そこぞこに過去と歴史がある。この村も、いったいどんな過去があって、こんな山中を切り拓いて村をつくり暮らしたのか。
少し進むと、ささやかな防御施設として、簡単な木組みの柵と門があった。
「ほーい!」
グリンタフが口に手をあて独特の声で呼びかけると、作業中だった者が気付いた。
手に持っていた道具を放り出し、にわかに慌てて走り回りだしている。半分は村の奥に向かって駆けだしたが、残り半分はこちらに向かってくる。
「ようこそ、儂らが村へ」
少し前に出て門を開けたグリンタフは、振り返り、にやりと笑った。この山奥にある故郷に、誇りを持っているのだろう。少しばかり気取った様子がある。
アイリスは興味深そうに、目を動かし山村の景色を見やっていた。
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