第18話 何のかんのと煮え切らない

「すまない、直ぐに手当を――」

 シュミットは意識を失っていた。

 そしてフードが外れ露わになった顔は、想像していたものと違って、目鼻立ちのとおった優しげなものだった。それにグライドは、少しばかり驚かされた。

 しかし肩にはナイフが突き立ったまま。呼吸は浅く繰り返され、額には汗が浮く。

「待っていろ」

 グライドは治療のため、シュミットのローブの前を開いた。僅かに動きを止めたのは、彼女の体つきが意外にも肉感的だったせいだ。その戸惑いは一瞬の事で、肩に刺さったままの短剣に手を掛け引き抜く。さらに傷を検めるため、前合わせの服を剥いだ。真っ白な肌の豊かな胸が晒されるが、直ぐに溢れた血がつたい落ちていく。白い肌を流れ落ち胸の間に集まった血の赤が鮮烈だった。

 その時、シュミットが呻きをあげ目を開いた。

 意識を取り戻したのだが、目の前に迫った男の姿と、剥がされた服と露わになった胸元、さらに激しい痛みとで混乱し、両手で押しのけようとしながら身を仰け反らせ、必死に力を振り絞って暴れだした。

「落ち着け! 治療しているところだ!」

 グライドの鋭く強い声で、シュミットはようやく相手が誰かに気付いて、さらに意識を失う寸前と今の状況を繋げたようだ。大人しくなると、肩の痛みに呻きをあげている。

「今、回復薬を使う」

「待って……腰の後ろ……袋、瓶……」

「上級回復薬があるのか? 分かった、それを使おう」

 覆い被さるようにシュミットの背に手を伸ばすと、露わとなった胸に顔が触れんばかりになる。しかし今は助ける方に意識が行っているため気にせず、そのまま腰の後ろを探って言われた通りの袋を見つけ、さらにそこから瓶を取り出した。

 緑色の澄んだ液体が夕方の日射しに煌めく。


「これだな?」

「…………」

 極僅かに頷いたシュミットは今にも倒れそうで、それを片腕で抱きかかえて支え、口を使って瓶を開封。中身を素早くも慎重に傷口へと浴びせた。回復薬は飲んでも効果はあるが、それよりも傷口に直接掛けた方が良い場合もある。これまでの経験から、今回はそうすべきと判断したのだ。

 回復薬を使い終えたとき、グライドは軽く汗をかいていた。心配による緊張だが、薬の効果によって見る間に傷口が塞がれ、白く滑らかな肌が再生される様子に、やっと安堵した。

 薬効のあらたかさに感心してしまって、思わず見つめていたが、しかしシュミットの胸が露わなままだと気付くなり、弾かれたような動きで視線を逸らした。

「これはすまん」

 謝ったグライドの様子に、シュミットはまだ残る痛みに震えながら、くすっと笑った。明らかに回復薬の効果が出ている。身を起こすと服の前を合わせているが、まだ動きはぎこちない。直ぐ元通り完全に治るというわけではないのだ。

「ありがとう、ごめんなさい」

 前者は助けられたことで、後者は暴れたことに違いない。

「礼とかは、特に要らんよ。それより動けるか?」

「大丈夫……」

「そうでもなさそうだな」

 緩慢な動きをみせるシュミットに、グライドは頷いた。後ろに死体が転がっているように、ここらは治安が良いとは言いきれない。手を伸ばし怪我をしていない側の腕を支えてやって引き起こすと、そのまま持ち上げ肩に担いでしまう。少しだけ呻きが聞こえるが、苦痛が原因ではなく恥ずかしいからのようだ。

「うううっ。降ろして、降ろして」

「まともに歩けないから仕方あるまい。それより盗られたものは良かったのか?」

「調合用の材料を……灰色鼠の尻尾、残念……」

 がっくり項垂れる様子が伝わってくるが、グライドはコメントは差し控えておいた。肩に担いだシュミットは暖かく柔らかく、しかも先程は露わな胸を見た直後でもあって、久しく忘れていた女性の身体というものを意識していたのだった。

 ――これはいかん。

 グライドは足を速め野営地へと向かうが、それでいて身体の軸は少しもぶれない。だからだろうか、シュミットは安心できる力強い背に頬を寄せ身を預けた。


 野営の場所まで何事もなく着いたが、シュミットはグライドの肩から降ろされると礼を言いつつ、そそくさと隅っこに行って目立たないように引っ込んでしまった。何か恥ずかしそうな様子に思えたのは、目深にかぶったフードから覗く口元がそんな感じだったからだ。

 その時になってようやく、グライドはシュミットが何を探していたのか気になった。

 しかし尋ねるには、後をつけていた事を言わねばならない。流石にそれは拙いため、気にはなりつつ忘れることにする。一方で、追い剥ぎの事を思い出してしまって、急にフウカとアイリスの事が心配になってしまった。

 どちらも十分に強いが、何事も絶対はない。

 いてもたってもいられなくなって、探しに行こうと決めたとき、町の方から続く道に二人の姿があった。しかもパンタリウスを伴っている。

 ぱたぱたとフウカが駆けて来た。飛びつくように纏わり付いてくるのを、軽く抱きしめてグライドは心の中で安堵した。

「あのね、パンタリウスさんってばね。危なく財布を盗まれるところだったのよ。それでね、私がね、気付いて取り返してあげたの」

「それは感心だな」

「お礼にお菓子を買って貰ったのよ」

「それは感心しないな」


 心配しすぎた自分がきまり悪く、あえてパンタリウスに話しかける。

「おや、パンタリウス殿は町長の屋敷に泊まるかと思っていたのに」

「それこそまさかですよ。トリトニア公の配下が泊まったとなれば、どんな風に利用されるか分かりません。流石に私でも、それぐらいは分かります」

「感心感心」

 グライドに褒められると、パンタリウスは照れたように笑って頭を掻いた。

「それで町からの援軍の件は?」

「ダメでした。何のかんのと煮え切らない答えでして……村が襲われた後は、次はここが危ないじゃないですか。それがどうして分からないんでしょうか、信じられませんよ」

「そういうものだ。目の前に危険迫らねば、人というものは動かんよ」

 どんなに危険な出来事が予想されたとしても、今の生活を崩したくないからと、人は危険から目を背け軽んじてしまう。しかも、わざわざ危険に近づいて対処しようなどと酔狂以外の何ものでもない。

「そういうわけで。パンタリウス殿も危険に備え、今日の訓練を一層頑張ってこなさねばいけないという事かな。はっはっは」

「目が笑ってないような……あの、少し手心というものは?」

「ちょっとばかり動いて発散したい気分でもあるし、手心はあんまりないかな」

「ええっ!?」

 それから日が暮れきるまでパンタリウスは、グライドの攻撃を防ぎ続ける事になった。言われた通りに、いつもより手心が少ない具合に悲鳴をあげつづけていた。

 買い食いのせいで食欲のないフウカとアイリスは、夕日を背景にしながら見物しているのだが、その少し後ろでシュミットも一緒になって控えていた。

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