第17話 最後の行程でちょっとしたひと息
旅の日程は無事に過ぎた。
同行していた旅人たちも、途中の村に寄る都度数を減らしていき、大きな山の麓の小さな町で大半の者が礼を告げて離れていった。
ぎりぎり町と呼べる集落の長は、この辺りでは一番の権力者に違いないが、しかし今はパンタリウスとカールドンに対し這いつくばるぐらいに頭を下げていた。トリトニア公爵家の名はそれぐらいの効果がある。
一行が旅の途中で町に滞在するところ、こうして出向いて御機嫌伺いをしてきたのだ。
少し先に見える雄大な山こそが、トリトニア公の領地の一つであり、グリンタフたち山の民の村がある。
ここに到着した時刻は夕方に近く。
今から登山を始めれば途中で日が暮れてしまう事になる。やむなく、この町で一夜を過ごすことにしたのだ。明日の早朝には出発する。
是非にも屋敷にと、しきりに誘う
腕組みするグライドは、暇そうにする銀色の髪の少女に視線を向けた。
「あれは助けなくていいのか?」
「今のアイリスは、ただのアイリスなのです」
「悪い子だな……」
「当然です。なぜならアイリスは、悪い御嬢様なのですから」
「やれやれ」
こうなる事を予想していたアイリスは、素知らぬ顔だった。
広々とした草原と畑に囲まれ、周囲には柵も壁もなく。街道沿いに石造りの家屋が点在したかと思うと数を増やし、多くの建物が寄り集まった場所となる。そんな造りをした町は、王都の賑やかさとは比較にもならないが、それでも近辺では一番の繁栄ぶりらしい。
賑やかしい市場もあれば屋台もあり、見世物小屋が何軒かあるぐらいだ。
フウカの興味は、既に辺りに向けられていた。
「じゃあさ、私と一緒に悪いことしようよ。ほら、あそこで美味しそうな蜂蜜ケーキを売ってるでしょ。ご飯の前に、そういうの食べるのはどう?」
「なるほど、良い考えです。アイリスは悪い御嬢様ですから断れないのです」
二人の悪い娘は、グライドを籠絡してお金を出させたあげく、嬉々として買い食いに向かった。無邪気に走って行く姿には旅の疲れも見られなかった。
「やれやれ、困ったもんだ」
言って、グライドは息を吐いた。
トリトニア家士の一行は、町の外れの空き地に行っている。流石に全員が泊まれる数の宿もないため、そこで野営をするしかなかった。しかし町の傍であるため比較的安全であるし、何より食料の調達が容易である。明日はいよいよ山の村に行って、戦闘に備えねばならない。最後の行程でちょっとしたひと息つける時だった。
そうした意味で、フウカとアイリスの悪い事も大目にみている。
「しかし、これは拙いな」
グライドは腕組みをして呟いた。
何が拙いかと言えば、一人になって何をするか迷ってしまったからだ。もちろん普段の生活であれば、それなりにやる事もあり行く当てもある。けれど、こうして見知らぬ場所に立って、余計な物事を削ぎ落としてみると、何をしてよいのかが分からない。
思い浮かぶ事と言ったら、剣を振っての鍛錬か娘の側にいる事ぐらい。
それはそれで好きで大切なのだが、いかに自分が限られた狭い生き方をしているのか痛感している。もっと歳を取って剣を握る力も無くなればどうなるか、さらに考えたくもないが、いつか娘が別に家庭を持ってしまったとしたら――。
「……歩くか」
グライドは頭を振って考えを追いやり、そそくさと歩きだした。
ふらふらと当てもなく町の中を見物するようにぶらついて、見世物小屋の近くも通る。どうやら捕らえたモンスターが見世物になっているらしく、獰猛な唸りや吠え声も聞こえ、檻に体当たりするような音もした。
恐い物見たさに足を運ぶ者もいるようだが、グライドはとりわけ見たいものでもない。何故なら明日には間近で見る事になるのだから。辺りに漂うモンスター臭に顔をしかめた。
通りを曲がって遠ざかろうとして、グライドはふと足を止めた。前方に気になる相手を見つけたのだ。そこは数軒並んだ見世物小屋の裏手で、放置された資材や餌の類が放置されている場所だった。
傾いた日射しに照らし出され、僅かな草が生えた地面を夕暮れ色に染めている。
その逆光の中に黒い影のようなローブ姿があった。しっかりとは見えないが、しかし動き方や歩き方、なにより町中でわざわざフードまで被っている姿を見ればシュミットだと分かる。
グライドは眉を寄せ、向きを変えかけた姿勢を戻すと、距離を置いて後をつける事にした。暇だった事もあるが、気になる事があった。シュミットは、この町まで来た後に、何を思ったか山の村までの同行を申し出てきたのだ。事情を知りながら危険な場所に趣く理由が少し不可解だった。
シュミットは見世物小屋に近づいて、そっと様子を確認すると辺りの物陰なども覗き込んでいる。それで誰かに何か言われたらしく、慌てた様子で離れていく。人の居ない裏道に入り込んだ後も、まだ何かを探している素振りだ。
しばらくして肩を落とした様子からすると、どうやら諦めたらしい。
とぼとぼ歩くシュミットの後ろに、怪しげな男の姿がついた事に気付いたのは、この意味のない行為を止め引き返そうとした時だった。
男は後ろにグライドがいるとも気付かず、建物の壁に張り付くように動いていた。明らかに手慣れていて、何より怪しい。ふいに男が少し足を速め、その手の中で何かが光る。とっさにグライドは走った。
「危ない!」
シュミットは振り向いて驚愕した。そこに迫った男は物盗りが目的らしく、シュミットの腰に下げてあった革袋に手を伸ばしている。紐を切り取ろうとナイフが振るわれ、これに抗うシュミットとがもつれ合う。
男が奪い取った革袋を手に走りだせば、シュミットは大きく蹌踉めいて倒れた。傍らの壁に背を当て、ずるずると座り込んでしまう。肩にナイフが突き立っていた。
震えながらナイフに手を伸ばしている。
駆け寄ったグライドは膝をつき、その手をそっと押さえた。
「直ぐに手当をする」
だが、グライドは振り向きざま剣を薙ぎ払った。背後から迫る殺気を感じたからだが、その一撃に容赦がなかったのは、目の前で女性が傷つけられた事と、防げなかった自分の不甲斐なさに腹が立っているからだ。
鈍い手応えと短い悲鳴があり、先程の男と似た格好の者だった。追い剥ぎらしい。
不意をついてグライドを襲うつもりだったのだろうが、剣聖にそんなものが通用するはずもない。治安の悪い町だったが、しかし王都の治安が良すぎるだけで、これが普通なのだろう。
フウカとアイリスが心配になるが、今はシュミットの手当てが優先だった。
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