第16話 情けないのは事実なんです

 日は落ち、辺りは闇に包まれていた。

 しかし焚き火の側を離れ、その光の届かぬ場所に行けば、闇の中が暗闇ばかりではないと分かる。その黒味を帯びた暗さにも様々な色合いがあって、陰影すらあるのだと分かる。暗い空とて白雲も浮かべば星の光もあるのだ。

 焚き火の周りで陽気に歌うカールドンは酒でも飲んだに違いない。今日の武勇を讃える声や手拍子に合わせ、あまり上手とは言えない踊りを披露している。山の民が故郷の唄と踊りを披露して、夜の夜営は楽しげでさえある。

 これだけ騒げば、危険な存在は逆に近寄りがたいかもしれない。

「はぁ……」

 一人離れた暗闇の中で虫の音と風の音を側に聞いていたパンタリウスは、何度目かになる溜め息を吐いた。

 今日の失態もそうだが、普段からの気鬱が強く胸にのしかかっている。唐突に父を失い急遽跡を継いだ慣れない仕事、公爵様から期待されていると分かっていても、それに応えきれない情けない自分。威厳など欠片もなく、周りからは軽んじられるばかり。

 消えてなくなりたい気分だった。

 そのとき足音に気付きパンタリウスは身を固くするが、やって来たのがグライドと分かって表情を緩めた。

「先程は娘がすまなかった。改めて謝罪させて欲しい。そんなわけで、お詫び代わりの蜂蜜酒のお湯割りだ」

「あ、どうも……」

 パンタリウスは湯気のでるカップを受け取った。甘さの中にハーブと酒精の含まれた香りが心地よく、一口すると腹の中がじんわり温かくなってくる。

 解されたような心持ちで、パンタリウスはポツリと言った。

「でも実際、情けないのは事実なんですよ」

「ほう?」

 グライドは眉を上げるが、パンタリウスは鬱屈とした顔だ。

「世の中には何をやっても駄目な人間がいて、そうした情けない人間は、どんなに頑張っても上手くいかないんです。そして私が、それなんです」

「ほほう、何をやっても駄目だったのかな?」

「そうです、剣の腕だってそうでした。王都で一番というナイトのジョブ持ちを雇って貰って稽古をしましたよ。でも、全然上達しませんでした。確かにナイトのジョブは取れましたけど……どうせ親が手を回して、ジョブを貰ったんだろうって、皆に言われますよ」

「はっはっは、ジョブの審査はそんな生易しくはない。たとえ王族が命じようと、基準に達しない者は認定されない。ジョブが取れたなら誇ればいい」

「でも、私は一度も誰かに勝てた試しがないんです」

 パンタリウスは自嘲気味に笑った。

 何故だか分からないが、このグライドという相手に自分の不満をぶつけたい気分になった。昼間の戦闘での活躍や、先程の堂々とした謝罪。公爵からも、御嬢様からも認められ頼られる立派な存在。まるで自分とは違う相手に、愚痴りたい気分だったのだ。

「剣だけじゃないです、学問だって賢者の教えを受けましたよ。でも駄目。人の上に立つ度胸もないし、従える事だってできません。昔からずぅっと、自分には人として大事な何かが足りてないと思ってました。そして、それは本当だった。今日の事で分かりましたよ。私は臆病で情けない人間なんだと」

 そしてパンタリウスは、しょんぼりと項垂れてしまった。

 ふむ、と唸ったグライドは腕を組み顎を磨り、しばらく考え込んでいる。どうしたものかと考え込んでいる顔だった。

 どん底まで落ち込んだパンタリウスを見て、グライドはかつての自分を思い出していた。愛する者を失い故郷を出て流浪し、その時は世界の全てが暗く見えていて、誰かの笑い声でさえ勘に障って怒りを覚えていた。そこから抜け出せたのは、娘の存在があったからである。しかし、パンタリウスには心の支えがない。

 ずっとその状態のまま苦しみながら生きてきたのだろう。

 そう思うと、この小太りの人の良さげな相手を、助けてやりたいという気がしていた。

 そしてもう一つ頭を過ぎるのは、アイリスの事だ。そのアイリスはバートンの命を奪った事を、仕方ない事だったとは言え気にかけているのは間違いない。もしもパンタリウスが笑えるようになれば、そちらにも良い影響がある気がする。

 グライドは、にこりと笑った。

「よし分かった、それでは自信をつけてみないかな」

「えっ?」

「パンタリウス殿には少し。いやいや、かなり自信が足りない。俺には剣しか教える事ができない。で、あれば。剣の訓練をする事で自信を付けて貰うのが一番良いな」

「いきなりそんな……」

「なーに、こう見えても教えるのは上手いのだ。さあさあ、やるぞやるぞ」

 グライドは軽く言ったが、パンタリウスは突然の展開に驚き戸惑い、きょどきょどするばかり。しかし、それでも最後には小さくだがしっかりと頷いた。


 夜営する場所の、光りの届くギリギリの場所。グライドとパンタリウスは、賊から回収された、なまくら剣を手に斬り結んでいる。

 剣と剣がぶつかると鈍い音が響き、夜の暗さに火花が散った。

 それはグライドが一方的に攻撃し、パンタリウスが防ぐだけのものだ。始めはゆっくりと、次第に速さを上げていき、ぎりぎり防げる程度の攻撃を休む事なく続けていた。それが出来るのは剣聖であるグライドならではの事だ。

 パンタリウスは真面目な性格が良い方向に作用して、必死に食らい付いてくる。本人は気付いていない様だが、始めた直後と比べ格段に鋭く素早い攻撃でさえも防いでいた。

 青息吐息になるまで追い込んだところで、グライドは手を止め笑った。

「いやいや、これはなかなか。思った以上に出来るではいか」

「そんな事ないです。もう精一杯なんです……」

「まあまあ、そんな謙遜はさておき。これなら何とかなるな。よしっ、今日はあと一撃で終わりとするか。さあ、剣を構えて」

「はい?」

「動かないように。動くと死ぬぞ」

「え?」

 構えたパンタリウスであったが、目を見開いたまま動きを止めた。半開きにした口をぱくぱく動かすが、しかし身体は少しも動かず固まっている。それは当然であって、剣聖が本気で殺気をぶつけているのだ。これでは動けるものではない。

「はっ!!」

 銀閃が奔る。

 硝子の割れるような甲高い音が響くと、パンタリウスが手にして剣は半ばで斬り飛ばされている。さらに首筋にぎりぎり触れるか触れないかの位置で剣が止まっていた。

 刃の起こす風が遅れて押し寄せる。目を丸くして固まっていたパンタリウスは我に返り、恐る恐る目だけ動かし手元を確認。それから首筋に突きつけられた剣を確認。

「ひぅっ」

 変な声をあげて、そのまま引っ繰り返ってしまった。

「ありゃっ、どうした。大丈夫か?」

 グライドが困惑しながら剣を収めていると、向こうからフウカが突進して来た。

「ちょっと、お父さん! 何てことしてるのよ!?」

「待て待て斬ってない、斬ってないぞ。これは稽古だ、そんなに怒るな」

「パンタリウスさん気絶してるじゃないの」

「……あっ」

「可哀想なことは駄目よ!」

 グライドはパンタリウスの重めな身体を担ぎ上げ、焚き火の傍へと連れて行き寝かせることにした。それから自分もそそくさと、適当な場所で布にくるまり横たわったが、寝るが寝るまで、腕の中の娘に怒られたのであった。

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