第15話 子供ならではの使命感

 日が落ちて夜ともなれば、危険な時間帯になる。

 遠くの山の稜線に太陽が近づくにつれ、空は赤らんだまま明るさを保っているが地上には暗さが拡がって行けば、誰もが野生動物やモンスターへの脅威を感じだす。

 程よく踏み固められた草地に馬車が駐められ、周りには篝火が配置されトリトニア家の家士たちが武器を手に警戒した中で野営が行われた。馬たちは一日の労をねぎらわれ、いななき尻尾を振りつつ飼い葉を口にする。

 そして人間たちも焚き火の周りで夕食の準備中だ。

 焚き火に使う薪材は持って来たものが少しと、拾った枯れ枝である。もちろん夜営を始める時に拾ったのではなく、歩きの途中で見つけては集めておいた。日が暮れかける頃や、暮れた頃に探したのでは用意出来ない場合もあるし、何より危険なのだから。

 調理はフウカが指揮をとって、トリトニア家の家士たちが行っている。穀物と野菜を煮る良い香りが漂って、これは絶対に美味いだろうと予想させる。たっぷりの食材で思いきり料理して、フウカの機嫌は良さそうだ。

「はいはーい、トリトニア公爵様からの振る舞いだよー!」

 手伝いに入っていたフウカが声を張りあげる。

 しかし同行していた人々の大半は、遠慮がちな様子で、スープレードルを手に声を張りあげるフウカを見つめ遠巻きにしている。相手が公爵家の家士たちと思って遠慮気味だ。それでも食事の振る舞いは魅力的なのだろう、フウカの手招きに促され、それぞれの器を持って近づき、レードルでよそって貰って嬉しげな様子で食事を始める。

 グライドは一口含んで感心した。

「これは美味い、旨味が良くでている。どうやった?」

「フリージアさんの持って来てくれた、干し肉を入れたのよ。すっごく味がいいけれど、自分でつくったものって言ってたわ。凄いわよね」

「…………」

 確かにフリージアは、最上級の干し肉を用意すると言っていた。恐らくそれがこれなのだろう。戻ったら礼を言いたいところだが、賑やかしい様子思い出すと微妙な気分だった。もちろん悪い娘ではないのだが。

「残りがあるのなら、お代わりを貰いたいが。どうだ?」

「だーめ! だって、まだ貰ってない人がいるもの」

 フウカは薄暗い辺りを見回した。

 赤味を帯びた火の光の中に皆はいるが、それでも一人、二人は近づかず端の端に腰を降ろしている。振る舞いを受ける気がないのか、単に面倒なだけなのか。はたまた何か理由があるのか分からないが、スープを貰おうとする様子はなかった。

 もちろんフウカが、それを見逃すはずもない。

「皆に飲んで貰わなきゃ」


 美味しいものを食べて欲しい気持ちと、旅するためにはしっかり食べなければ駄目という気持ちが合わさった、子供ならではの使命感に燃えている。スープを小鍋に移すと、それを手にして配りに行ってしまう。

 まず向かったのは、焚き火の光がぎりぎり届く、木の根元に座り込んだローブ姿の側だ。相手は僅かに目線を上げ、戸惑った様子になる。

「シュミットさんったら、どうしてスープを貰わないのよ。とっても美味しいのに」

「えっ、それは。人がいっぱい……」

「人がどうしたの?」

「つまり人が多くて。並んでいたから……」

「そうなの、分かったわ。遠慮したのね。でも食べなきゃダメよ、旅は長いんだから。食べられる時に食べておかないと、後が大変なのよ。分かった?」

「うっ、頂くわ」

 シュミットは伏し目がちに呟き、自分の荷物から木の器を取り出し差し出した。それまでは乾燥した木の実を囓っていたのだ。その表情は暗さの中で、困っているとも喜んでいるとも、しっかりとは分からなかった。

「でも、シュミットさん。そんな調子で旅なんて大丈夫なの? モンスターに襲われたら逃げ切れないわよ」

「大丈夫。これ、あるから……」

 懐から取り出したのは小さな瓶で、暗がりの中で詳しくは見えないが、何か液体が入っている事だけは分かった。首から下げた紐にぶら下げ、肌身離さずといった様子で大事にしている。

「それなぁに、良いものなの?」

「モンスターの忌避剤。これ使えば、襲われない」

「そうなの。シュミットさんがつくったのね、凄いわ! でも人間相手には効果ないのね。やっぱり、しっかり食べなきゃダメよ」

 にっこりとフウカは素直な笑顔をみせる。シュミットは小さく何度か頷き、分かったと囁くように言って、意気揚々としたフウカの後ろ姿を見つめていた。


 次にフウカが目を付けたのは、馬車の横で項垂れて座り込むパンタリウスだった。

 このパンタリウスは今日の戦闘で腰を抜かしてしまい、何も出来ず足手まといになった事で、すっかりと評判を下げている。家士の中で一番の若年だった十五歳の従者でさえ、剣を取って立派に応戦したので、これでは擁護のしようがない。

「おじさん、そんな所で何しているのよ。しっかりなさい」

 公爵にすら遠慮しないフウカはパンタリウスを叱咤した。もちろん半分は励ますつもりだった。しかし、情けない顔をする相手に苦々しく思っているのも事実である。

「いえ、私はまだおじさんなんて年齢ではないです……」

「反論できる元気があるなら問題ないわ。ほらほら、このスープ食べて元気をだして。とっても美味しいんだから」

「す、すみません」

「それよりも、次からはちゃんと戦わなきゃダメよ。貴方だってアイリスのお家の家臣なのよ。そんな情けない事ではダメなんだから」

 次々言われパンタリウスは項垂れた。顔はやや赤味を帯び、目には哀しさがある。

 さらに次々と注意され、ついには叱られてしまう。そんな様子を周りの者たちは半笑いしながらで、面白そうに見ているだけだ。

「いいこと、次からはちゃんと――」

 グライドが近づき、フウカの頭に手を置いた。指と指の間に茶色の髪を挟むほど、強めに押さえている。

「いい加減にしなさい」

「お父さん……!?」

 静かに、しかし力を込めて言ったグライドにフウカは戸惑うばかりだ。目を見開いて、何度も瞬きを繰り返している。自分の何が悪くて注意されたか理解できないのだ。もしかすると自分が注意されたこと、それ自体が信じがたいのかもしれない。

 それぐらいグライドのフウカに対する声は強かったのだ。


 グライドはパンタリウスに頭を下げた。

「いやはや申し訳ない。親として子の失礼を侘びさせて貰おう」

「何よ、もうっ。どうしてお父さんが謝るの? 私、間違ったこと言ってないわ」

「間違っていないか、ああ確かにそうだろうな。だが、そう考えていること。それ自体が理由でもあるな」

 強く鋭い目がフウカをしっかり見つめた。

「どれだけ正しかろうと。年上の相手を、人前で一方的に責めて叱るなど、正しいとか正しくない以前の問題だと思わないか?」

「でも……」

「フウカが正しいと思っても、それが常に正しいとは限らない。そして仮に正しかったとしてもだ。自分が正しいと思った事を言う時は、良く考えて控えめに言うべきだな」

「…………」

「だから俺は親として謝ったわけだ。分かったか?」

 諭すような言葉に、フウカは下唇を噛んでいる。

 怒られた事は簡単には納得していないが理解はしているのだろう。ただ自分のせいで父親が頭を下げてしまった事や、いろいろな感情が渦巻いて整理しきれないのだ。

 しかし最終的には、しっかり頷いた。

 スープの小鍋をグライドに押し付けると、パンタリウスに対し両手を揃え、深々と前屈するぐらいに頭を下げた。

「ごめんなさい、私が間違っていたわ」

「あ、いや、そんな。別にそんなに気にしてないので、謝るまでしなくても」

「ううん、謝りたいの。失礼な事して、本当にごめんなさい」

「頭をあげて下さい。分かりました、謝罪を受け入れますから」

「ありがとう!」

「良いお父さんをお持ちですね。本当に羨ましい……」

 パンタリウスはしみじみと呟いた。だがそれは、スープを温め直しに忙しいフウカの耳には届いていなかった。

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