第13話 庇護を求める子供のような

 迷った皆の視線はアイリスに向けられる。

 今回の遠征にあたっては、アイリスは公爵より――半ば自棄になってとはいえ――全権を委任されている。仮にそうした事がなかったとしても、アイリスはトリトニア家の御嬢様であるため、やはり判断を求められたに違いない。

 すたすたと歩いていたアイリスが立ち止まる。

 その途端に、馬車も人も全てが当然のように止まって、次の動きを待ち構えていた。何の物怖じもなく、アイリスは鈴を転がすように美しい声で問いかける。

「合流する事によって、到着が遅れることは?」

「歩みは遅くなりましょうが、それで大きな違いは出ぬと思いますぞ。御嬢様」

 この道を実際に歩いてきたグリンタフが答えた。最初に出会った頃に見られた田舎の老人といった雰囲気ではなく、家士としての様子が色濃くなっている。かつて身につけた習性が蘇ってきたに違いない。

「分かりました」

 アイリスは頷いた。

「これより目的地へ移動する間、トリトニア家として、可能な限り彼らを庇護します。確認をするのですが、携行している食糧に余裕はあるのですか?」

「あっ、はい! 食糧は行きの分だけですけど、少し余裕があります。それに、途中の村で買い足せるように貨幣も用意してます」

「では夜の食事では、食糧を少しばかり庇護した者に振るまってどうぞ」

「畏まりました」

 パンタリウスは、大急ぎで何度も頷いた。

 この美しい御嬢様から直々の指示に、顔を赤くして興奮気味だ。それは次に視線を向けられたカールドンにしても同じ様子であった。大股でゆっくり歩調を合わせながら、小さな主に目を向け、今か今かと指示を待っている。


「先頭はアイリスが務めます。カールドンは人数の半分を連れ人々の側に、トリトニア家の存在を知らしめ安心させるのです」

「承知!」

 どんっ、と力強く胸板を叩く音が響いた。

 ――さすがだな。

 そう思ったとき、グライドのアイリスに対する見方が少し変わった。やはり貴族として教えを受け、支配者側に立つ者だということだ。

 アイリスは自由気儘で貴族らしくない行動をとるが、その心の根底にはしっかりと、貴族としての立派な意識が存在している。己が他者に支えられて生活しており、それに対する責務を果たさねばならないという自覚を持っているのだ。

 それがグライドを感心させている。

「ねえ私は? 私はどうしよう?」

 フウカの弾んだ声がグライドを我に返らせた。自分にも何かあるに違いないと、わくわくするフウカが後ろ向きに歩いて、期待に眼を輝かせている。

「フウカはアイリスの護衛なのです。どうぞアイリスの側に居て下さい」

「私、アイリスの為に頑張っちゃうね!」

「お願いします。それからグライドは、アイリスの側で護って下さい」

 そう言った時のアイリスは、グライドを見ていた。どこか庇護を求める子供のような目になっている。女性と子供の安全は気になるグライドは、深々と頷いた。

「雇われ護衛の仕事は果たすさ」

 家士団の歩みが止まり、それぞれが指示を受けて忙しげに動き、後ろを追尾していた人々の受け入れ準備を始めた。それぞれ不慣れで戸惑い、手戻りも多そうであったが、しっかりと目的を持って動いている。

 風に感じる外の香りは、枯れ草のものを多分に含んでいた。


◆◆◆

 

 王都を出て緩やかな起伏を進み、しばらく進むと、世界は閑散としてきた。歩みを進める一行の殆どは、確かにそう感じているに違いない。

 背後の王都は丘陵に遮られて姿を消し、周りを見回したところ目に入るのは、どこまでも続く草の大地と、遠くの山と空だけ。街の中では視界が遮られ、狭められる空が、のしかかる用に広がっている。

 そして他に誰もいない。

 見える範囲の景色での動きは、枯れ色の草が風に揺れるのみ。

 ややもすると、このトリトニア家の家士集団に十を超える人々が加わえた一行だけが、世界に存在する全てのような気さえしてくる。慣れない感覚と気持ちに、次第に誰もが無口となって、交互に足を進める事ばかり考えていた。

「そろそろ休憩をしてはどうかの」

 グリンタフがグライドを見ながら提案をしてきた。御嬢様であるアイリスに直接話しかけるのは畏れ多いからと、側に居るグライドに言ってくるのだ。そしてアイリスにしてもグライドの意見を待っている。

「次の街までの距離感、それが分からない。だから何とも判断がつかないな」

「野営を一回はせぬといかんぐらいかの」

「すると、確かにここらで休憩した方がいい感じかな」

 グライドが頷くと、アイリスが賛同するように、こくこく頷く。するとパンタリウスが声を張りあげ休憩を告げる。これで良いのかと疑問になる具合だが、まだ旅は始まったばかりで、誰もが勝手が分かっていないので仕方がない。しばらくすれば、それなりに慣れてくるだろうと、グライドは割り切っていた。


「お父さん、向こうに面白い人が居たよ。誰だと思う?」

 疲れた様子で足を伸ばす者たちの中を、フウカは勢い良く走って来た。自分の発見を語りたい娘の気持ちを尊重し、グライドはややもすると大袈裟なぐらい身を乗り出した。

「おっ、誰か知っている人がいたか。まさかスリッケンではあるまいな。ここまでツケの取り立てで追いかけて来たとか、まさかまさかで、勘弁して欲しいのだが」

「冗談言わないの。それがね、凄腕アルケミストのシュミットさんなのよ。しかもね、この前の話でセグメント地方に行きたくなったそうなの。同じ方向だから、一緒に村に行きましょうって誘っておいたわ。これで回復薬は安心よね!」

「それは頼もしい」

「うん。それに茸にも詳しいから、上手くすると美味しい茸を見つけてくれそうね」

 きっとそちらが一番の目的に違いない。フウカは空を仰いで笑っている。頭上いっぱいに広がる空が清々しくなっている。

「嬢ちゃんは茸が好きなのかね」

「そうなのよ」

 毛皮に身を包んだグリンタフに、フウカは自信満々に答えてみせた。

「儂の村で茸は、よく採れる。時期も良いし、この件が片付いたら馳走するとしよう。だから危ないことをするでないぞ。これから先は危険がいっぱいじゃからな」

「ありがとう! でも大丈夫よ、こう見えてもとっても強いんだから」

「それは頼もしいのう」

 グリンタフは小さな子を宥めるように言って、口元に笑みをみせた。そうすると好々爺といった様子だ。フウカがそこらの大人など問題にならないほど戦いの技量を身に付けているとは思っていないらしい。

 そして、真面目な顔をグライドに向ける。

「出るとしたら、この辺りと思うんじゃがな」

「そんな感じかな」

 グライドとグリンタフが言葉を交わし、鋭い目線を辺りに向けている。それはフウカも同じで、笑顔で空や景色を見る素振りをしつつ、こっそりと得意武器の鉄串を手に握り込んでいた。

 つつっとアイリスは近寄ってくる。

「何が出るのです?」

「賊という連中だよ」

「……つまり敵なのですね」

 アイリスの声は抑えてはいるが、明らかに弾んでいた。

 この御嬢様は、意外に好戦的で武闘派なのだ。この反応は予想外だったらしいグリンタフだが、年の功なのか、それとも意外すぎたせいか何も言わない。もちろん御嬢様に対する、護衛とも思えないグライドの口の利き方に対しても同じだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る