第12話 青空の下には丈の短な草が密集した大地

 緊張気味で動きの硬いパンタリウスを先頭に、トリトニアの旗を掲げた一行は、細長い列となって西の城門を出た。そこから先は野生の動物に危険なモンスター、そして何より権威も権力も通じぬ者が跋扈する世界だ。

 街中と違って危険な事この上ない。

 食料と資材を積んだ馬車は一行の生命線であるため、それを前後に挟むように隊列を組んでいる。

 年配の家士は危険を知り、若い家士は初めての経験であり、山の民は故郷を思って、それぞれ皆が険しい顔つきになっていた。その中でグライドとフウカは、普段とあまり変わらない。何年か前までは各地を旅していたので、慣れているのだ。

 城門を出て少し進めば、はやくも空気の感じが違ってくる。自然のにおいとしか言い様のない、土や草や木などの濃密なにおいがあった。

 フウカは目を閉じて歩きながら、微かに顔をあげて風を感じている。

「こういうのって久しぶり。どこか知らない場所に行くのって、わくわくするわ」

「しかし帰る場所があるのは良い事だな」

「そうよね。帰れる場所って大事よね」

 目を細め頬に風を、そして世界を感じる。

 青空の下には丈の短な草が密集した大地が広がり、これから訪れる寒い季節の前触れとして、草の色に緑は減って黄や茶が増している。所々にある立木にも、同じ兆しとして葉の色に赤みが出ていた。そんな景色を踏み締め固められた土の街道が貫き、緩やかな起伏となった丘陵の向こうへと続いていた。

 そこから視線を上げ遠くに目をやれば、幾重にも連なったる丘陵の向こうの、ずうっと遠くに黒ずんだ山の存在があって、白んだ空と大地とを分ける境となっている。歩みを勧める街道は、きっとそこへも通じているのだろう。

「同感なのです、アイリスもそう思います」

 グライドたちが視線を戻して向けた先で、アイリスが言った。こちらも普段とあまり変わらないが、それは態度だけでなく格好もだ。黒シャツに白い上着を羽織り、フリルのついた黒スカートの裾で、およそ旅装というものではない。

 さすがにハルバードは背負っておらず、手に持って杖代わりに突いている。

 これについてはフウカとグライドのみならず、他の者も口を揃え、もっと別の服装にするよう言って聞かせて頼みもしたのだが、アイリスの考えを変えることは出来なかった。これでなければいけないと言いはって譲らないのだ。このアイリスという少女は、概ねにおいては素直ではあるが、たまに頑固で譲らない時がある。


「きっと以前のアイリスには帰れる場所というものが、そして受け止めてくれる人がいなかったと思うのです。だから今のアイリスは……幸せです」

 ふわりと笑って、薄紫色をした瞳がグライドに、続いてフウカに向けられた。銀色をした髪が日射しに煌めいて、何かとても不思議で美しい存在に見えている。

「ところで今回の件も、そうだと言っていたが。詳しくはどうなのかな?」

 グライドが気になっていた事を、やや声を潜めて言えば、アイリスは何故だか不満そうな顔をした。ややふて腐れ気味ではあるが頷いて答えてくれる。

「本来であればアイリスが画策し、どうやってかオークを操りどこかの村を襲わせたものを、しかしアイリスはそれをしませんでした。ですから運命の流れは誰かを操り、アイリスと関わりのあるトリトニア領地が襲われたのです。これはアイリスのせいなのです」

「そうかもしれないが、そうでないかもしれない。気にしない方がいいな」

 言ってグライドは、すぐ真剣な顔で周りの隊列を素早く確認した。話の内容が内容であるため、やや厳しい顔になっている。だが聞いていた者はいなさそうだ。真横を動く馬車の車輪の音は、案外と大きい。そして何より始まったばかりの遠征に、皆は緊張しきった様子で、聞き耳をたてるような余裕はなかった。

「そうよ、気にしたらダメよ。上手く解決しちゃえばいいんだから」

 フウカは言って元気よく進む。地に突いた杖の先を、蹴っては跳ね上げ、蹴っては跳ね上げ、それを繰り返し陽気な様子でリズムの良い歩きだ。これにアイリスは、にっこりと笑った。


「何故でしょう、後ろを人が付いてくるのです」

 アイリスは歩きながら振り向くと、不思議そうな顔をした。グライドとフウカが同じようにすると、後方の辛うじて顔を識別出来る位置に、旅装の者たちが十余人ぐらい確認できた。老若男女様々で、しかし知り合い同士の集団といった様子もなく、付かず離れずの位置にいる。

 視線を戻したアイリスは、戸惑った様子で小首を傾げ、それからグライドを見上げた。

「何か目的があるのでしょうか」

「あれは旅の者たちだな。こちらの後ろを追っているんだ」

「追っているのですか?」

 アイリスは軽く驚いて、また背後を振り向いて確認した。そうした仕草を繰り返しているものだから、パンタリウスやカールドンたちも気付いて、同じく後ろを気にしだしていた。誰もが困惑した様子だ。

 ふむ、と唸ってグライドは背筋を伸ばし、少し考え込んでアイリスを見つめた。

 このトリトニア家の者たちは、確かに貴族社会の界隈では世知に長けているかもしれないが、その他では全く世慣れていないようだ。

 実際には以前の家老であったバートンが、そうした面を一手に取り仕切っていたのかもしれない。それが唐突に息子の代になってしまって、細かな引継ぎがされなかったのだろう。しかも今回派遣された者たちは、戦闘が主に考えられた人員で構成されているため、余計に細かな事に対し気が回らない状態である。

「つまり、何と言うかな。一人で旅するよりは群れた方が良いという事だよ。それに、こういった集団の後ろに居た方が襲われにくいし、襲われたとしても助けて貰えるかもしれない。そういった期待があるわけだ」

 言ってグライドは足を早め、パンタリウスとカールドンに近づいた。

「隊列を止めて、後ろの者たちと合流すべきだな」

「はい!? いきなりそれは何でしょうか。我々は目的があって移動しているわけですよね。そんな余裕なんてありませんよ!? 移動速度が遅れてしまいます」

 パンタリウスが言えば、カールドンも頷いた。

「仮に合流したとしてもだ。あの連中の数は多すぎやしないか。これから先を考えれば、お荷物を抱えながら移動など、やってられんぞ」

「そうですよ、我々の目的は領地の村に行く事です」

「正しくは、行って敵を倒す事になるのだがな。いや、すまん。余計な口を挟んだ」

「とにかくですね、そんな余裕はありません。食糧も時間もなにもかも」

 周りの家士たちも話を聞くと、同じ反応をして頷いている。

 貴族社会に属している者たちとしては、当然の考えだった。やはり分かってないのか、とグライドは穏やかな顔で頷き、馬車に括り付けられた柄の先で翻る旗を指し示した。

「家紋の旗を掲げ、庶民を護りもせず進むなど、笑われるだけではすまんよ」

「「…………」」

 黙り込んだ二人の元に、グリンタフもやって来る。この山の民にして熟練した元家士だった老人は、先程からニヤニヤしながら見ていたのだ。このトリトニアの者たちがどんな対応と反応をするのか、またはいつ気付くのかと、あえて様子を見ていたのは間違いない。

「グライド殿の言う通りじゃな。弱きを護るは貴族の務め。後ろの連中になにかあってみろ、御家の名誉に疵がついちまうぞ」

「先輩、そのような勝手な話がありますか。連中は勝手についてくるのですよ」

「分かっておらんようだな、カールドンよ。あの者たちはな、トリトニア家の旗を見たからこそ、後ろにおるんじゃろうが。御当主様と御家に向けられた信頼を裏切っちゃあなんねえぞ」

 毛皮を纏ったグリンタフは、力強く言った。その姿は堂々として、かつては間違いなく優れた家士だったに違いないと思わせる。

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