第11話 眼差しは反応を待っている

「食糧は麦と燕麦が往復で十日ぐらい? でも余裕がないといけないし、もう少し追加かな。それから薪材と、回復薬もしっかり用意しておかないと!」

 汗を拭き吹きパンタリウスは、目の前の荷物と書類とを見比べている。その様子は懸命なものだが、それは一人で仕事を抱え込んでいるせいだろう。公爵から任された初めての大仕事に気負いすぎているようだ。

 グライドは、つい見かねて口を出した。

「グリンタフ殿たちを見れば分かるように、戻りの食糧は行き先でどうとでもなる。薪材も途中で拾えるので、そこまで必要なかろう。回復薬は各自に持たせて、予備は人数程度が宜しいのでは?」

「あっ……なるほど……」

「それよりも武器関係の準備はどうかな」

「ぶ、武器ですか?」

「弓兵がいるなら矢は当然で、予備の武器も人数の半分とは言わないでも用意しておくといいかな。それから荷台は多少空けておくと、怪我人が出た時に運びやすい」

「それではさっそく手配します!」

 頷いたパンタリウスは大急ぎで走りだして、グライドに言われた事柄を実行すべく動きだした。素直と言えば聞こえは良いが、経験不足を差し引いても公爵家の家老としては、あまりにも軽率すぎる。

 家老であれば人を使って物事を動かす立場。それが自ら動いてどうするのだか。

「まあ慣れていないのだ。仕方ないわな」

 しかし、とグライドは呟いて食料は多めに言っておけば良かったかと思った。なぜなら同行するお嬢様は、あれでかなりの量を食べるのだから。

 余計な心配は頭を振って追い払い、自分の荷物を確認した。

 背負い袋となる細長い布地を広げ、乾燥食料を二日分、幾ばくかの硬貨、飲用にも食事にも使える器を一つ、そして火打ち石。これを巻いて筒状にして両端と中央を結び、右肩から左脇へと背負って前で縛る。

 長年各地を旅した時のスタイルであった。


 これから旅に出るため、王都にある家は盗賊ギルドの知り合いに頼み、定期的に見回って貰う事にしてある。盗られて困る物はないが、さりとて留守が続いて、勝手に誰かが住み着かれても困る。酒瓶一本で、それが防げるのであれば安いものだった。

 一緒に行くフウカは、アイリスのところに行って、旅の準備の手伝いをしている。

 長距離を移動するため、まさかに普段の服装ではないと思うのだが、相手がアイリスなので分からない。あれでなかなか頑固なため、フリルのついた黒いスカートで旅をする可能性も有りえた。否、恐らくそうなるだろう。確信めいた予感があった。

 ――困ったもんだ。

 グライドは背負い袋の位置を調整しながら、そう思っていると、近くに人の気配がした。顔をあげればフリージアという少女の姿があって、思わず身を引いてしまったのは先日の記憶があるからだ。

「そんなに警戒しなくても良いって、思います!」

「いやいや、すまんな。ちょっとばかり印象深くてな、はっはっは」

「分かりました。それでは最初っから、やり直しましょう。私、御嬢様付きの専属メイドのフリージアと申します」

 いきなり自己紹介から始めだした。

 両手を前で揃えて丁寧に頭を下げる様子は、確かに高家に仕えるメイドそのものだ。しかも前回は少しも気付かなかったが、あのアイリスと同年齢とは思えないほど女性らしい体つきだ。

「好きな事は、ご飯の後のお昼寝ですね。得意なのは掃除と料理なんですよ」

 向けられた眼差しは反応を待っているようで、きらきらと輝いている。グライドが圧倒されながらも頷くと、ぱぁっと表情が華やいで嬉しそうになった。

「目玉焼きでしたら、トマトのピューレを使ったソースが得意ですね。グライド様はどのように食べられてますか?」

「塩だな……」

「そういうのも、ありですね。お肉のソースでしたら、エシャロットを使ったソースでしょうか。ワインを加えると美味しいですけど、熟成の若い赤が良いですよね」

「肉も塩だな……」

「なるほど、お塩が好きなんですね。それでしたら羊肉の塩釜焼きも得意なんです」

 和やかに言うフリージアだが、あまり一般庶民の食事には明るくないようだ。グライドの暮らしは取り分け質素ではあるものの、日々の暮らしの中で、そこまで手の込んで高価な料理が出来る生活の庶民は、そうはいまい。

「今回の遠征に、御嬢様も行かれるという事で、実は私も志願しました」

 グライドはギョッとした。

「ですが却下されました。とっても残念です」

 グライドは安堵した。

 街を出て郊外を旅する事は、そんなに簡単な事ではない。悪い娘ではないが、足手まといになる事は明々白々。だから大人しく王都に居てくれた方が、本人にとっても他の者にとっても、間違いなく良い事だろう。

 フリージアは両手を胸の前で握って勢い込んでいる。

「ですから、準備の方に頑張りますね。こっそり最上級の干し肉を荷物にいれておきます。他に何か希望はあります? 公爵様秘蔵のお酒とか、実は隠し場所知ってますから、入れておきましょうか?」

「…………」

 賑やかしいフリージアに、グライドは困ってしまう。やはり悪い娘ではないが、どうにも苦手というものであった。

 だから向こうから呼び声がすると、これ幸いとばかりに、挨拶をして立ち去った。


「すまんな話し中に呼びつけて」

 カールドンは銅鑼を鳴らすような声で言った。

「いやいや、とんでもない。助かった」

「うん?」

「まあ若い娘との会話は苦手でな」

 グライドの困り顔に、カールドンは大きく野太い声で笑った。どうやら先日負けた事に対するわだかまりは持っていないようだ。むしろ強さを示した相手には敬意を払う性格のようで、付き合いやすい男だ。

「なるほど、気持ちは分かるぞ。まあいい、それよりも呼んだ理由は、出立前に少し打合せたくてな。今回出る兵は、俺も含め二十人ぐらいになる」

 ちらりと視線を向けた先で集まっている家士たちが、その二十人なのだろう。年配の者と若い者が半々であるのは、世代交代を見据えた配置に違いない。

「少ないと思うかもしれんが、それ以上となると王宮に申請が必要になるのだ。いやなに、手続きはいいのだがな。他の貴族が余計な口を挟み兼ねないのだ」

「やれやれ、貴族同士の諍いか」

「おっと勘違いしないで欲しいが。我が主のモントブレア様は、他の貴族と違って争いを好まない。だがな、相手側がそうとは限らんのだ。むしろ積極的に動かぬモントブレア様を軽くみて、嫌がらせをしてくる。その時は俺たちも相応の反撃をするのだが、今はそんな事に時間を取られている余裕はないだろ」

「確かにそうだな」

「人数はさておき。アイリス御嬢様と、何よりお主がおるので問題なかろう」

「…………」

「何か気がかりでもあるのか?」

 身を乗り出すカールドンに、グライドは軽く頷いてみせた。

「この時期にオークが動くという点がな。連中は、春先に動く場合が殆どだ。今であれば寒さに備え、ねぐら探しをしている頃合いのはず」

「では、村をねぐらにしたのでは?」

「分からない。何にせよ気にしておいた方がいいだろうな」

 グライドは、そこで口を閉ざして横を見た。いつの間にか、山の民たちが来ていた。総勢五名毛皮を着込んでおり、グリンタフ以外は名前も知らない。

 そしてカールドンは、そのグリンタフを見つけるなり走り寄った。

「グリンタフ先輩! お久しぶりです! お世話になったカールドンです!」

「おおっ! ひょっとして、あのカールドンか。おうおう、すっかり立派になっちまって。あのちっぽけだったお主はどこへ行っちまったんだ、おい」

「先輩のお陰です」

「今の儂は一介の山の民。お主に偉そうな事を言える立場でなかったわい」

「とんでもない! 先輩は先輩です!」

「気持ちは嬉しい。じゃが儂はもう、ただの年寄りになった。昔のようには動けん、情けないことにな。お主が頼りじゃ、どうか村を救っておくれ」

 グリンタフは言ってカールドンの逞しい腕を叩くと、グライドにも頷いてみせる。そこには老いて人生の終わりに近づいた者の、諦観めいたものが存在していた。

 これにカールドンは元よりグライドも、何も言えないでいた。

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