第10話 慈悲深き公爵が果断に決断をした

 小客間は机や椅子が片付けられ、実際よりも広々として見えた。

 漆喰塗りの白壁には大窓が並び、天井には画家たちの描いた色鮮やかな絵があり、床は磨き込まれた大理石。

 そんな場所に案内された山の民たちは、あんぐり口を開け右に左にと見回している。グリンタフの咳払いで神妙な顔こそしてみせるが、しかし落ち着かなげだ。王都の中でも特に貴族文化の粋を極めた場所へと、いきなり連れ出されたのだから仕方のない事だった。

 グライドの見たところ、彼らは屋敷に到着した時よりも小綺麗になっていた。

 風呂に入って身を清めたと聞いていたが、山の民は湯には入らぬと耳にするので、きっと疲れたに違いない。

「トリトニア公のご入場です」

 パンタリウスの緊張気味な声が響き、家士たちは礼の姿勢を取り畏まる。グリンタフが膝を突いて頭を垂れると、山の民たちもまごつきながら倣って同じようにした。

 家士二人が両開きのドアを揃って開けると、そこからモントブレアが姿を現し、上座へと堂々とした足取りで進む。

 大きな窓からは明るい日射しが流れ込むように差し込み、神々しいまでの光が溢れた中で、モントブレアの姿は貴族らしい威厳があった。

「アイリス様のご入場です」

 続いてアイリスも入ってくるが、黒を基調にしたドレスを着ている。そういえば、とグライドが思ったのは、アイリスのドレス姿を見るのが初めてだったからだ。まさしく御嬢様といった可憐さで、いつもの口の端をあげた微笑も、美しく厳かさを持っているように見えた。

 これから陳情が行われる。

 トリトニア公爵であるモントブレアが、哀れにもモンスターの危機に晒された領民どもの、助けを求める訴えに耳を傾けるのだ。


 そんな場に、客将扱いとは言えど、部外者のグライドとフウカが立ち会うのはおかしなものだが、モントブレアから直々に頼まれたのだから仕方がない。アイリスが何かをしたら止めて欲しいと、そちらの親子関係が心配になるような頼みであった。

 ――しかしだな。

 グライドは奇妙な感覚にとらわれていた。それは一種の懐かしい気分と言えるもので、厳粛な雰囲気の式典に、グライドはかつて仕えた国にて、諸侯と共に王の御前に列した時の光景をみていた。

 まだ血気盛んで恐いもの知らずで、愛する者との暮らしが永遠に続くと信じて、いずれ別れが来るとしても、それは遙か先の事だと、貴重な日々を味わう事もなく何気ないぐらい普通に過ごしていた。

 過去に浸っている間にも陳情は進み、グリンタフの述べ口上も終わりに近くなっていた。

「――人食い鬼のオークどもに捕らえられた村の者が、生き残っているかは分かりませぬ。しかし女子供も問わず、多くの者が喰われ命を落としている事と思われます」

 その言葉を耳にして、グライドの意識は今に引き戻された。

 胸中に怒りが過ぎるのは、過去の出来事から、子供や女性が襲われ傷つく事が許せないからだ。その抑えた怒りに気付いたのは、隣にいるフウカだけだろう。そっと握ってくる手はひんやりとしていて、冷静になったグライドは優しく握り返した。

「我らの村とても、いずれは襲われるものと考えております。我ら一堂も、人食い鬼に抗するべく武器を手に取り戦いますが、しかし山村に暮らし戦いの心得もなき者どもばかり。なにとぞ御領主様のお慈悲を賜りまして、我らをお救い下さりますよう、伏してお願い申し上げます」

 山からやって来た一同は、額を床に擦り付けるようにして頼み込んだ。

 これに対しモントブレアは先端に宝玉を嵌め込んだ錫杖を掲げ、力強く宣言した。

「よし分かった。領地に暮らす者の危機を守るのは領主の役目、その訴えを聞き届け、我が配下より選りすぐりの強者を派遣し、者どもを救ってみせようではないか」

 辺りに感嘆の声がもれ響き、ややあって拍手の音が室内を埋め尽くした。


 これはセレモニーとしての要素が強いやり取りでしかない。

 実際には事前に話が通してあって、村を救援する事も決まっている。既に派遣の準備は別の場所で進められつつあって、この場に出席していない者たちが、様々な調整や用意に奔走しているのだった。

 窮状を訴える民の願いに対し慈悲深き公爵が果断に決断をした、といった事実が大事なのだ。もちろんトリトニア公爵家の史書には、そのように記され伝えられるに違いない。


 だがここで、予想外の出来事が起きた。

「アイリスもオークを倒しに行くのです」

 前に出てきたアイリスが、ドレスの裾を抓んで優雅に会釈して言った。その仕草に不似合いな言葉に、山の民はぎょっとして、モントブレアもぎょっとした。反応は同じであっても理由は全く別。

 片や純粋な驚きで、片や悲鳴の混じった驚きだ。

「待て待て待ていっ、それはならぬ。流石にそれは許可できないぞ。公爵としても、父親としても、オーク退治になど行かせるわけにはいかんって」

「アイリスは行きます。行かねばならないのです」

「なんで!? 最近、大人しいと思ってたのに!!」

 モントブレアは頭を抱え悶絶した。

 こうやって断言した時のアイリスを止められない事は、今日までの経験で思い知らされているのだ。下手をすれば壁をぶち抜き、屋敷を破壊してでも実行するのだ。止めようとすれば、被害が大きくなるだけなのである。

 この屋敷の中で、本気になったアイリスを止められる者はいない。

 しかしモントブレアは我に返った。

 こんな時のために、アイリスを止められそうな存在に臨席して貰ったのだ。

 だが――。

「グライド、護衛をお願いするのです。アイリスは行かねばならない運命なのです」

「その言い方からすると、例のあれというわけだな。ならば止めても無駄……むしろ行った方が良いな。よし分かった、引き受けるとしよう。そもそも、この話は放っておけないとも思っていた」

「良かった、これで安心なのです」

 アイリスが手をひと叩きして喜ぶ後ろで、モントブレアは膝から崩れ落ちた。

 配下の皆は労しそうな眼差しを公爵に向けるばかりだが、グリンタフたち山の民たちは瞬きを繰り返し目を白黒させていた。

 モントブレアは力なく笑って項垂れた。

「致し方あるまい。こうなればアイリスの事は、グライド殿に任せよう。その代わりと言っては何だが、留守番のフウカ君は、この儂が責任を持って歓待しよう」

「えっ? おじさん、なに言ってるのよ。私も行くに決まってるでしょ」

「…………」

 腕組みして宣言したフウカに、モントブレアは涙した。配下の皆は労しさを増した目を向けており、山の民はグリンタフも含めあっけに取られている。

 トリトニア公爵家の史書には、村の危機を憂いたモントブレアは大いに涙を流し、ついには娘アイリスとその護衛を派遣した、と記されたのであった。

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