第9話 往時とはすっかり変わって

 遠くから遙々やって来たグリンタフは、感慨深い気持ちでいっぱいであった。

 見覚えのある屋敷は懐かしく、あの立派な門構えを見たときは涙が出そうなぐらいであった。庭の草花の種類こそ違えど、その配置なども記憶の通り。しかし幾分か見覚えのない建物も増えていた。

 だからだろうか。ちらりと見えた練兵場で、声をあげる鍛錬する様子が妙に嬉しかった。

 案内された客室は、ただの山の民が通されるにしては上等な部屋だった。恐らく、ここに案内をしてくれた少女の采配に違いない。疑ってはいなかったが、やはりトリトニア家の御嬢様で間違いなかったのだ。

 同時に護衛の男の事が気になっていた。

 グリンタフのファイターとしての直感は、あの男の凄まじさを告げていた。身体の軸は少しも揺るがず、身体の動きは足の一歩にでさえ只者ならぬ気配があったのだ。

 しかし一緒に来た村の仲間たちは何も気付かず、それどころか惚けた様子だ。

 ここまで案内してくれた御嬢様の美しさに魂を抜かれているし、ここでも壁や床や調度品の美しさに度肝を抜かれている。口を半開きにして、右や左をきょろきょろと見ている姿は田舎者そのものだ。

 ただし、実際に田舎から出て来たので仕方ないのだが。

「落ち着け、お前たち。びびっておったら、村の恥だぞ。堂々としておれ」

 グリンタフは苦々しい顔で、しかし半分は自分に言い聞かせながら言った。初めて王都に来た時の自分も全く同じ事をして、その恥ずかしい思い出が蘇ってしまったのだ。

 ドアが開いた。

 女性が入ってきた。

「グリンタフと聞きましたが、本当にあのグリンタフですね。おやまあ、懐かしい」

 やって来た相手が誰であるのか、グリンタフには直ぐには分からなかった。

 言葉の感じからバビアナらしいと思ったが、そうと断言できなかった理由は、グリンタフの記憶にあるバビアナは、ほっそりとした美女だったからだ。しかし、目の前にいる女性はふっくらとして貫禄がある。

 半信半疑のグリンタフだったが、しかし今の自分自身の姿を思いやって笑いそうになった。考えてみれば自分も歳を取って、往時とはすっかり変わってしまっている。

 それによくよく見れば、女性のみせた笑みには、かつてのバビアナの面影があった。


「お前さん、バビアナか。いやはや、直ぐには分からんかったぞ」

「お互い、随分と変わってしまって。私もびっくりしましたよ」

「いやいや儂は年老いたが、バビアナはまだ若い」

「ですが、若いと言われて喜んでしまう歳になりましたよ。それにほら、この通りにすっかり太ってしまいましたわ」

 口元を押さえて笑う様子は、確かにバビアナのもので、懐かしさを誘われてしまう。グリンタフは遠慮なく、呵々と大笑ってしまうのだが、すると過ぎ去った月日による隔たりというものが消え去った。

 同行してきた村の仲間が困惑した様子をみせているが、グリンタフは蘇る懐かしい日々に囚われ、しばし視線を宙に彷徨わせてしまう。

 楽しい事もあれば辛い事もあり、馬鹿げた事もあれば厳しい事もあり。王都を離れ村へと帰参する事になった日の涙も含め、様々な記憶が去来した。

 だが、直ぐにグリンタフは頭を振って現実に立ち戻った。

 今はそれよりも、やらねばならない事がある。この年老いた男の両肩に、村の存亡がのし掛かっているのだ。しっかりと正面からバビアナを見つめる。

「出来ればバートン殿にも一緒に頼みたいのだが……」

「バートンであれば、亡くなりました」

「そりゃ真か!? いや疑うわけではないが、とても信じられん」

「急な病で、つい最近」

 バビアナの目が一瞬だけ逸らされるが、グリンタフは何かあったと察した。昔から言いにくい事があると、そんな仕草をしていたのだ。しかし、それを追求する資格も気もグリンタフにはない。今は気付かなかったフリをして、頷くことしか出来なかった。

「そうか、それは残念。ではバビアナに頼み事がある」

「遠い村から急ぎで駆け付けた理由ですね。よろしいでしょう、この私が話を伺いましてバートンの分まで尽力いたしましょう」

「助かる。実は儂の村に――」

 グリンタフの語った内容にバビアナは息を呑み、しかし直ぐに頷いた。この辺りの気概の良さは、昔から全く変わっていない。だから安心出来る。

「分かりました、直ぐにモントブレア様に会えるよう手配しましょう」

「そうか助かる」

 深々と息を吐いたグリンタフは、如何にもこれで肩の荷が下りたといった仕草で、久しぶりに座るソファに背を預けもたれ掛かった。しかし眉間を揉む。まだ課題の一つを成し遂げただけ。ここから兵を出して貰えるよう公爵様に陳情し、そこから村に戻ってオークと戦い、さらには勝利を収めて村を救わねばならない。

 まだまだ先は長い。


「詳しいお話を伝えておきますが……いえ、その必要はないでしょうね。既にモントブレア様の、お耳には入っていることでしょうから」

 バビアナの声がグリンタフの考えを断ちきった。傍らのメイドに指示をした後も、直ぐに立ち上がらないのは、懐かしさが強いからだろう。若い頃はいろいろあった、本当にいろいろあったのだ。しかしそれはもう終わった事で、ずっと昔になっている。

「そりゃ先程の御嬢様かね?」

「ええ、そうですよ。アイリス様は、私に声を掛けられた後に、そのままモントブレア様の元に向かわれましたもの。お話しは既に伝えられているはずですよ」

「あの御嬢様か……お生まれになった時に、村からいろいろ送らさせて貰ったのう。ふむ、あれはつい少し前の気がするのに、なんとも美しく育たれなすった」

「心根だって、とても美しく優しい方よ。最近は明るくなられて」

「ほう?」

「いえ、それは余計な話ね。さあさっ、長旅で疲れたでしょう」

 バビアナは両手を打って小気味良い音を響かせた。

「皆さんには疲れを落として貰いましょうか。だって、モントブレア様にお会いするのですからね。身を綺麗にする必要がありますものね」

「そりゃまさか風呂か! おおっ、これは嬉しい!」

 グリンタフは相好を崩すと、手の平で自分の額を打った。昔から熱い湯というものが大好物であったのである。しかし山の暮らしでは村人の理解も得られず、、そんな贅沢もできず哀しい思いをしていたのだ。

 もちろんバビアナのにっこりとした笑顔をみれば、グリンタフの好みを覚えていてくれた事は間違いなく、それがまた嬉しい。

 まだ風呂というものを知らぬ山の民たちは、不思議そうに顔を見あわせている。

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