第2話 絢爛な紋章が掲げられた大きな門
トリトニア公爵家に向かうため公園の中を歩きだす。
さわさわと音をさせながら緑の芝を踏み、途中にある噴水を回り込んで通過。日除けに植えられた樹木の間を通り抜け、擦れ違った相手に会釈をする。
「それでね茸が出始める頃なんだけど、アイリスは食べた事ある? 私は旅の途中で、山の方の村でいーっぱい食べさせて貰った事があるわ」
「アイリスはいっぱいではありませんが、毎年食卓にあがってきます」
「それ羨ましいわね。王都だと茸は高いから、ちょっと手が出ないかもしれないわ。だから大豊作になるのを期待しているのよね」
取り留めない話をしながら緑の芝を踏んでいくと。程よい風に樹木の枝葉が優しく揺れ、ざわめくような音をあげた。
前を歩くアイリスの長い銀色の髪がなびき、日の光の中で煌めいている。とても綺麗だが、本人は悪戯な風を迷惑そうにして、肩にかかった髪を手で流して戻した。
公園の端を囲むように続く細い土の道の向こうは居住区となっている。
煉瓦と鉄柵を組み合わせた塀があって、こぢんまりとした同じような造りの建物が、ひしめくように並ぶ。旺盛な枝振りをした庭木が密生して壁のようだが、隙間からちらりと見えた敷地には菜園がある。低位の貴族や騎士の暮らす区画のため、きっと暮らしのために育てているのだろう。
塀にそって歩いて、建物の間を抜けられる小道に入る。
相変わらず茸を話題にして、買えるかどうか気にするフウカに対し、アイリスは真面目に頷いた。グライドを見上げるように、ちらりと振り向いてくる。
「なるほど、やはり雇い賃を値上げするべきなのです」
しかし、そのグライドは頭を横に振った。
「前にも言ったが、雇い賃にも相場というものがある。あんまり高いのを貰っては、周りとの兼ね合いで良くないわけだ」
「お父さんったら、これなんだから。本当にもう、変なところで堅いのよね」
「いやいや、そういうのは大事だ。同じような仕事をして、他の方が高すぎたとしたらどうなる。妬みたくなるだろう。長い目でみれば、余計なトラブルを招くだけではないか」
「だったらいっそ、そのまま召し抱えて貰えばいいのに」
「すべきでないものは宮仕え。誰かに仕えて苦労するのは勘弁、勘弁。はっはっは」
グライドも、かつては東の国に仕えていた時があって、宮仕えの苦労は思い知っている。何が一番大変かと言えば、やはり剣だけではどうにもならない人間関係。たとえば一見して華やかな宮廷にしても、複雑な権力関係に愛憎入り乱れ、互いに足を引っ張り合う危険な場所だ。
それに比べ今の生活は、苦しい時もあるが自由気儘。そんな生活を十年近くも続けてくれば、今更宮仕えに耐えられるとは思わない。いや、そもそも耐えたいと思う事じたいがなくなっていた。
しかし、何も知らないフウカは頬を膨らませている。
「お父さんってば、ほんっと仕方がないんだから。私としては、もうちょっと野望を持って欲しいわ」
軽い上り坂になった小道は、家屋の壁が左右に迫った通りだ。
気の利いた小洒落た装飾が扉を飾り、足元には色鮮やかな花の咲く鉢などが置かれている。やや高めの位置に窓があるが、背の高いグライドであれば、堅実な生活感のある室内が覗けてしまう。外が小綺麗だからと、中まで同じとは限らないと分かった。
「アイリスは無理強いはしません。しかし、分かりました。問題の茸であれば、トリトニア家の領地で収穫されるのです。毎年運ばれてきますので、それをお友達料としてフウカに渡しましょう。物納というものです。」
「もうっ、お友達料なんていらないのに。だけど茸だったら大歓迎よ!」
小道を出ると、そこは貴族の住まう区画だ。
石畳の大きな通りは、馬車が車輪の音を響かせ通り過ぎる。日傘を差した婦人たちが笑いさざめきながら歩き、良家の子息が肩で風をきるように進み、それぞれの後ろに荷物を抱えた従者が続く。道を掃き清める係員や、巡回する衛士の姿もある。
王都の上流貴族たちが暮らす区画の景色は広々としていた。
空は薄曇りで、時々日射しがちらつく。
グライドはアイリスに連れられ、石畳みの道を歩いていた。娘のフウカも一緒で、護衛と言うよりは子供の引率をしているように思えて、心の中で笑いの感情が動いた。
ずっと昔は東の国で剣聖のジョブを得て、それなりの地位についていたものが、ひとつの事件を切っ掛けに国を離れ諸国をさすらって、今はこうして貴族の御嬢様の護衛をしている。人生とは何が起きて、どうなるか分からないという実例だろう。
トリトニア公爵家の敷地についた。
王都の貴族街の一番中央にあって、王城に向かうには必ずその近くを通らねばならない位置になる。そこから分かるように、貴族の中で最も王に信頼された一族であり、そして権勢を誇っている。
通りに沿って柵が続き、その向こうに茂った低木が緑の壁になっている。
ここまではグライドとフウカもよく来ている。なぜなら、この辺りにアイリスが通路代わりにしている隙間があるからだ。しかし今日は、そこを通り過ぎて門に向かう。門に行くと、顔なじみの兵士が軽く目を見張って驚きの顔をした。その驚きがアイリスに向けられたものか、グライドとフウカに向けられたものかは分からない。
グライドは苦笑込みの目配せをして、絢爛な紋章が掲げられた大きな門から入った。
建物に向かって石で舗装された道が続き、四角い池に沿って左右に分かれ、また向こうで合流。その池と道を中心として緑の芝が広がり、小さな植え込みが等間隔に並んで、濃緑や濃赤をした草が植えられている。向こうには庭園があって、赤や青など様々な色の花が鮮やかに咲いていた。
「ふむ……」
グライドは感心して唸った。一緒のフウカは以前にも見ているはずだが、それでも軽く口を開け辺りを見回している。変わらないのはアイリスだけで、平らに敷かれた石の道をすたすた進んでいく。
「素晴らしい庭だな。これだけのものは、見た事が無い」
「無駄に広いだけなのです。ですが、これを手入れしてくれる者たちがいるので、褒めて貰えると嬉しくはあります」
言ってアイリスは、ちょうど近くで作業をしていた奉公人に向け、軽く目礼をしてみせた。それに気付いた奉公人も軽く手を挙げ返事をしてみせて、トリトニア家の中の雰囲気がなんとなく感じられた。
屋敷は白壁の三階建てで、窓も多くあって柱類の彫刻は精緻で見事。
「あちらが練兵場なのです」
微かに聞こえた気合い声にグライドが反応すると、アイリスが屋敷の斜め向こうを指して言った。樹木があって見えないが、そんな施設もあるらしい。本当に広大な敷地だ。
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