第1話 小柄で華奢な姿は端然と空を眺め

「あのね、お店に茸が出始める頃だって、スリッケンさんが言ってたの。茸だよ、茸。とっても楽しみね」

 フウカはスプーンを振り上げ、弾んだ声で言った。茶色をした髪に混じる一房は白色で、元気良さげな明るい顔立ちのとおりに元気が良い。今も翠玉のような瞳を、楽しげに輝かせている。茸の話だけで幸せ一杯といった感じだ。

 ただし、食事時にしては少々行儀が悪い。

 スプーンで指し示さないよう注意すべきだろうかと、グライドは少し迷った。しかし十二歳の娘は、あまりにも嬉しそうな顔をしている。だから注意はまたの機会にしようと決め、以前より具がしっかり入るようになったスープを口にした。

「茸か。あれは高いからな」

「でもね、大豊作で安い時もあるって言ってたわ」

「十年に一度とかで、そういう滅多にない具合らしいがな」

「それ今年かもしれないよね。とっても楽しみ!」

 各地を放浪していた頃に、どこかの町で口にした茸の味が忘れられないらしい。フウカは軽く上を向いてうっとりとしている。ただしグライドは、あまり覚えていなかった。大人になると色々な事を経験してしまって、感動の度合いが子供とは違うのだ。

 美味い茸は山間部で採れるため、この王都では高級品。仮に大豊作であっても、どこまで安くなるかは分からない。ここ最近の暮らしは、定期的な収入があって楽になっていたが、とても手が出せるとは思えなかった。

 グライドはそれには言及せず、静かにスープを飲み干した。野菜とベーコンを煮込み、塩と胡椒で味を調えた旨味のあるスープだ。もしこれに茸が入れば、更に美味しくなるに違いない。ちらっと思っているとフウカが何かに気付いた顔で声を張りあげた。少し慌てた感じだ。

「いっけない、今日は護衛のある日なのよ。早く準備しなきゃ」

「おっとそうだった。遅れるのは拙いな、なにせ貴重な収入源だからな」

 グライドはスプーンを置いた。

 雇われでの護衛をしているが、その仕事に遅れるわけにはいかない。もちろん雇い主は遅れたところで、少しも気にもしない性格だ。しかし、そういった事に甘え気を抜くわけにはいかない。一番の問題は――。

「放っておくと、ふらふら勝手に彷徨きそうだからな」

「ほんと、そうね。私、洗濯物を外の方に出しておくから。お父さんは洗い物お願いね」

 フウカは言って、ぱたぱたと家の外に走り出てしまう。

 焦っているのではなく慌てているようだ。フウカにとって、この護衛の仕事は収入ではない。すっかり仲良くなった護衛対象とは友達状態で、だから会う楽しみの方が強いのだ。物心ついた頃から旅を続け、ここで暮らしだしてからも、遊び相手もいなかったのだから当然というものだった。

 そうした暮らしをさせてしまった引け目があるため、グライドも父親として言うべき事は言うが、しかしあまり強くは出られないのだった。テーブルの上の食器を重ねて手に持つ。皿数が少なく片付けが楽であるのは、こういった時にありがたいと言うべきだろう。


 雇い主は既に来ていた。

 緑鮮やかな芝生に幾本かの樹木。広々とした公園のベンチに座った姿は、遠目でも直ぐに彼女だと分かる。静かな公園は他に人は居なかったが、仮に誰かがいたとすれば、もの静かに佇む姿に見とれたかもしれない。

 グライドも歩きながら、少女から目が放せなかったぐらいだ。

 小柄で華奢な姿は端然と空を眺めたまま動かず、美しく描かれた絵のようにも見えてくる。整った顔立ちと、銀色をした長い髪の見事さがそう感じさせるのだろう。十代半ばの清らかさが強く現れていた。

 近づいたグライドとフウカに気付いたらしい。

 アイリスの淡く薄い紫色をした瞳が向けられ、その顔が笑みに彩られると、美しいという印象が可愛らしいへと変化した。しかし、立ち上がってすたすた近づいて来た顔には、若干拗ねたようなものが見え隠れするようになっていた。

 以前と違って誰かに襲われる恐れはないため、ハルバードは背負っていない。しかし動きやすい服装は替わらずで、黒のワンピースに丈の短な白い上着を羽織っている。どうやら、お気に入りらしい。

「アイリスは怒っています。何故だか分かりますか」

 目の前で立ち止まって見上げ、軽く頬を膨らませ、腰に手を当てている。

「ははぁ、遅れたからかな? いやいや、これは申し訳ない」

 グライドは、さっぱり理由が分からぬため、適当に見当を付けて謝ったところ、余計に不興をかってしまったらしい。ぺちぺち上品に叩かれ折檻されてしまった。

 しかしそうなると、他に思い当たる理由はない。

「アイリスはグライドの家に行きたかったのです。ですがお父様は、アイリスに行ってはいけないと、行くよりむしろ連れて来るように言うのです。だから怒っています」

「あー、こちらに非は少しもないと思うのだが。それは俺だけなのか?」

「いいえ、アイリスもそう思います。つまりアイリスが怒っているのは、八つ当たりなのです。分かりましたか」

「…………」

 何とも調子を狂わせられてしまう雇い主の言葉であった。


 グライドの大きな身体の後ろから、フウカが跳ねるように飛び出せば、アイリスの注意はそちらに向いてしまう。そして嬉しげだ。

 フウカはフウカで、アイリスに子犬のように纏わり付いて笑い声をあげる。後ろで軽く縛った茶色の髪が、まるで尻尾のように揺れている。仲の良い友人に会えて嬉しいという感情が、仕草や表情に表れていた。

「そうそう、そういうの分かるわ。私もお父さんに、あれするな、これするなって言われると腹がたっちゃうもの。そういう時って八つ当たりしたいよね」

「ええ、そうなのです。そしてグライドは大きいので、八つ当たりに丁度いいのです」

 言ってアイリスは、そのグライドの頑丈な身体を、ぺちぺち触るように叩いた。雇われるグライドは雇い主の暴挙に黙って耐えていると、アイリスはいつもの散歩を始めるのだが、しかし方向がいつもと違う。

 いつもであれば運河へと向かうところを、そうではなくて、居住地の方へと歩きだしたのだ。猫のように気紛れな動きをするアイリスだが、これだけ違う事は珍しい。まるで散歩の終わりに、公爵家の館まで送っていくようなルートだ。

 そんな疑問を察したようにアイリスは言った。

「これから向かうのは、アイリスの暮らす屋敷なのです」

「ほう」

「お父様が、グライドを連れてこいと言いました。だからアイリスは、うるさい事を言われないためにも、一度グライドをお父様の前に連れて行く事にしました。面倒なことは早く終わらせるに限るのです」

「それなら、早めに言って欲しいな。もう少し良い服を着てきたのだが」

 グライドは自分の着ている服を見おろした。

 いつもフウカが丁寧洗って、ほつれた部分も繕ってくれてもいる。だから清潔な状態にあるのは間違いない。しかし流石に年数を経て色褪せ古びた事は隠せなかった。今の暮らしそのものを現したような格好で、公爵と面会するのに相応しい服とは言えない。

「家に戻って、一張羅にでも着替えた方が良くないか?」

「問題ないのです。そのままで構いません、早く行って、早く終わらせます」

「我が儘な御嬢様だなぁ」

「当然なのです。だってアイリスは、悪い御嬢様なのですから」

 にっこり笑っている。

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