第3話 儂、公爵ぞ。けっこう偉いの
こうした貴族の屋敷の場合は、取り次ぎなどで足止めをくらい長々と待たされるのが普通であるが、今はアイリスというフリーパスが存在する。誰もその歩みを止められない。グライドとフウカは後ろに付いていくだけだ。
するとアイリスは二人を屋敷の、一部屋に案内した。
そこでは恰幅の良い銀髪の男が書き物をしていたが、顔をあげ驚き入ってきた者たちを見つめた。歳をとっているが整った顔立ちをしている。その眼が何度か瞬いてから、男は顔をほころばせて立ち上がった。
テーブルを回り込んで、やって来る。
「アイリスや、来てくれるのは嬉しいが。先に知らせてくれると嬉しいのだが」
「はい、お父様」
ちくりと言われた言葉をアイリスは気にもしないが、言った方の男もそれで気を悪くした様子もない。この人物がトリトニア家の当主たるトリトニア公爵だった。背は低いが体はがっしりとして手指も太い。人の良い丸顔に、ちょっぴり威厳を出そうとしてか口髭を生やしている。
グライドが挨拶を口にする前に、フウカが笑って手を挙げた。しかも、随分親しげに。
「おじさん、お久しぶりー」
「儂、公爵ぞ。けっこう偉いの、フウカ君はそこ分かっとる? あと、おじさんなどと呼ばれる歳ではないのだよ」
「そんな事ないわ、おじさんと呼ばれる歳だと思うの。そういうの認めないとダメよ」
「ううむ、最近の若い子は手厳しいの」
まるで近所の相手と、それこそおじさんと呼ばれるような相手と、雑談でもする様な口ぶりだった。フウカはこの屋敷に数日ほど滞在した事があるので、きっとその時に知り合っているのだろうが、それにしても公爵相手にあまりにも気安い態度だ。
親としてグライドは頭を下げた。
「娘が失礼をした。俺はフウカの父親のグライド。後でしっかり叱っておくので、どうぞお許し頂ければと」
「いやいやいや、その様な事は不要不要。うむ、挨拶が遅れたが、儂がアイリスの父であるモントブレアだ」
「お目にかかれて光栄です」
「それは、こちらの言葉になるぞ。かの有名な、剣聖将軍に会えたのだからな」
しれっと言ったモントブレアだったが、その素性は盗賊ギルドでさえ掴んでいない事だった。ブラックマスターシュとの戦いでは、グライドが剣聖であると知れたが、それを聞いた相手は殆ど死んだ。知っているのは――ちらりと視線を向けた先のアイリスは、しかし首を横に振った。どうやら、独自に調べていたらしい。
「グライドという素晴らしく強い者の話を聞き、儂ピンッと来た。アイリスから聞いた様子も、儂がかつて東の国で見た姿と同じ! これは間違いなく剣聖グライドだと、前からずっと会いたいと思っておった!」
食い入るようにグライドを見つめる顔は赤らんでいる。しかも鼻息も荒く、グライドの手を取って両手で包んで擦ってくるぐらいだ。どうやら、独自に調べていた疑惑は消えた。これはもっと別の何かだ。
「しかも、もう一人の剣聖将軍スラストまで来ていたそうではないか。ダブル剣聖! 技のグライドに、力のスラスト。六剣聖の中でも二強と呼ばれる両雄! ああ、並び立ったところを見たかった! スラストは帰国したらしいが、グライドはこの国に暮らしているのだろう。どう? 我が家に仕えてみない? いいや、是非にも仕えて欲しい! 是非是非!」
モントブレアは妙に早口になって、ぐいぐいと迫って来る。どうやらアイリスに対しグライドを連れてくるよう命じた理由は、純粋に会いたかったかららしい。
呆気にとられたグライドが引き気味に困っていると、アイリスが容赦ない手つきで引き剥がしてくれた。さらに爪先で蹴って追いやったぐらいだ。どうやら公爵と言えども、娘には少しも敵わないらしい。
それはグライドも同じだった。
「お父さんが将軍だったなんて、初耳なんだけど」
少し眉を寄せたフウカに睨まれて、思わず怯んでしまった。父親の素性を聞かされておらず、それが面白くないという娘に対し言い訳がましく語っている。
「昔の話だよ、そう呼ばれていた時もあるというだけの。剣聖将軍などと呼ばれても、今はただの雇われでしかないな」
「でもね、そういうのって言っておくべきだって思うわ」
「しかし考えてみて欲しいな。この生活をしながら、お父さんは将軍だったんだぞー、などと言って信じるか? 信じないどころか、情けなくしか思えないであろうが」
「うーん、それもそうね。でも、私に内緒事するのはダメなのよ」
「分かった分かった」
頭を掻いたグライドは、脛を押さえていたモントブレアと目が合った。そして二人の父親は心通ずるものがある。手を握り合いそうになるが、先程の手つきを思いだして引っ込めた。モントブレアは差し出した手を所在なげにしている。
「ところで、うちに仕える話どう? お給金の他に、土地も付けるよ」
「残念ながら宮仕えは懲りて、今の気楽な生活も、やってみると良いものであるわけで」
「むう、そうかそれは残念。あまりしつこくは言うまい。しかしアイリスに雇われているのであれば、トリトニアに雇われているのと同義ではあるか。よろしい、これからは客将という身分で歓待するゆえ、いつでも気軽に来て貰って構わんよ」
モントブレアは気さくな様子で頷いた。そうと言われても遠慮するのが大人の礼儀なのだが、しかしフウカには関係ない。さっそく目を輝かせ身を乗り出している。
「それならご飯に困ったら来ても良い?」
「もちろんだとも、このモントブレアが手ずから歓待して差し上げよう」
「えっ、嫌よ。だって、おじさんよりアイリスとご飯食べたいもの」
「ううむ、最近の子は手厳しいのう。ぬはははっ」
まるっきり気の良いおじさんと言った様子でモントブレアは笑って、グライドとしては恥ずかしいやら申し訳ないやらで身を小さくするしかなかった。
モントブレアは気さく過ぎるぐらいに話しかける。
「あっ、それはそれとして。うちの配下と手合わせしてくれない? 最近どうも訓練に行き詰まった感じがあって、気が弛んでおってな。剣聖というのは伏せておくから、一発どかんと気合いを入れて欲しい」
「承知した」
娘の失礼を補うべく、グライドは引き受けるしかなかった。
「ところで、どれぐらいの本気で戦えばよいのか」
「怪我しなければ、いんでないかな。さあ、これで剣聖グライドの戦いを見られるぞ! もはや仕事なんぞしておられんわ。誰ぞあるか、誰ぞあるか!」
モントブレアの呼び声でドアが開いて、小太りの男が表れた。いかにも物事に慣れていないような緊張した様子で、しかも気合いが入りすぎて空回りしているような様子だ。
「おお、パンタリウスか。すまんが練兵場まで、ひとっ走りしておくれ。これから試合を行う、もちろん儂も見ると告げるのだ」
「はいっ!!」
頷いた男が部屋を飛びだしていくと、モントブレアはグライドを見て軽く笑った。
「見たかね、今のがバートンの息子のパンタリウスだよ」
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