エピローグ アイリスは悪い御嬢様

 王都東のガルド区画にある学園。

 その敷地にある大きな建物は、今まさに歓声に包まれている。広々とした空間が多数の人で一杯であるのは、今まさに毎年恒例の武闘大会が行われているためだ。

 幾つかの試合が繰り広げられ、勝敗が決まる度に拍手と歓声が沸き起こる。アイリスも呼ばれて試合を行うのだが、危なげなく勝ちを収めていく。

 そうやって試合が進むにつれ、会場の熱気はいや増していった。

「これより! 第26回武闘大会、決勝戦を開始する! 出場者、オブロンのカルルス」

 大きな歓声の中を、爽やかな顔立ちの青年が、落ち着いた足取りで会場中央へ進み出た。精緻な装飾の施された白銀の鎧に、携えているのは一振りの剣。周りに軽く手を振ってみせれば、女性たちから甲高い声援がわきたつ。

「出場者、トリトニアのアイリス」

 アイリスも呼ばれて進み出る。

 普段と大差ない動きやすさを重視した服装に、手にしているのはハルバード。周りの歓声を気にする様子もなく、平然と歩いて行くのだが、ふいに僅かに首を巡らせる。

 しかし歓声に応えての行動ではない。

 目的の人物を見つけると、少しだけ微笑み小さく手を振ってみせる。そちらで歓声が爆発するが、肝心要の相手は腕組みしたまま無反応。むしろ厳しい顔を返されてしまって、そっと首をすくめたアイリスは試合に集中する事にした。

 辺りが静まり返ると判者が合図をして、二人を招き寄せた。頭上の照明はマギの用意した光だったが、外の日射しと変わらない明るさだった。アイリスとカルルスを互いに一礼し武器を構えると、ゆっくり後退して距離を空ける。

 この試合は、事前に多くの者が予想していた通りの組合せだ。

 光り輝く陽光のようなカルルスは、僅かに斜めに剣を構え、覇気に満ちて闘志満々。

 対するアイリスは、物静かな月光のようにハルバードを下に向け、冷厳な眼差しを軽く伏せている。どこまでも静謐な佇まいで佇む。

 果たしてどちらが勝利を収めるのか、皆の感心と興奮は高まるばかりだ。


「さあ、去年の決着を着けましょう!」

 気合いを入れ、朗らかに告げるカルルス。力強い眼差しでアイリスを見据えたまま、静かに右へと足を動かし、ゆっくりと位置を変えている。軽く剣を上げたのは、ハルバードの動きを誘っての事だろう。

 しかしアイリスは動かず反応をしなかった。

 どこまでも静かに、美しい彫像のように立っているばかり。

「そらああっ!」

 一気に接近するカルルスだが、そこから急に飛び退いてみせた。これもやはりハルバードの動きを誘っての行動だった。ここでの攻撃を回避し、その隙をついて再度攻めるつもりだったのだろうが、やはりアイリスは少しも動かない。

 カルルスの顔に僅かに、焦れた様子が見え隠れした。

 しかし、それは一瞬の事で、カルルスは戦いに集中する。何度か同じ動作が繰り返され、いずれの時もアイリスは動かず、さらにカルルスが前に出て――今度は強く床を踏んで前に出た。

 剣を一直線に伸ばした鋭い突きを放つ。

 素晴らしい思いきりの良さと鋭敏な動きとで、一瞬にしてハルバードでは攻撃の出来ない距離へと迫っている。見ていた殆どの者は、これで勝敗が決まったと思った。

 銀色をした髪がふわりと流れる。

 アイリスが優雅に跳んで、回転したのだ。鋭く突き出された剣とカルルスの横をすり抜け、そのまま振るわれたハルバードは、着地すると同時に、カルルスの肩に触れて止まっていた。

「そこまで! 勝者! トリトニアのアイリス!」

 観客たちは呆気にとられるなか、判者が手旗を挙げ宣言をした。

 アイリスが会釈をし、会場の端に引き上げていく頃に、ようやく歓声と称賛の声がわき上がる。それは会場を揺らさんがばかりの大きさだ。

 驚きさめやらぬ騒々しい中を、アイリスは会場の端に戻ってハルバードを置き、服装を整えた。後は参加した全員が勢揃いし、学園長から称賛の言葉を受け、記念のメダルを受けることになる。

 その様子を会場内で護衛をするグライドは、周囲に目を配りつつ、見守っていた。


◆ ◆ ◆


「アイリスは優勝しました。どうぞ褒めて下さい」

 綺麗に刈り込まれた低木や芝の緑が目につく公園で、日傘をさしたアイリスは可憐に微笑んだ。公園の敷地に佇む姿は、つい先程までハルバードを振り回していたとは思えず、まさしく絵に描いたような貴族の御令嬢である。

「そうだな――」

「はいはーい、買って来たわよ! 優勝祝いの特盛りクレープ!」

 グライドが返事をしかけたところに、フウカが元気に走って来た。

 手にしているのは、たっぷりのクリームと果物と色とりどりのトッピングのまぶされた、特盛りクレープとやらである。甘すぎる匂いに眉を寄せたグライドだが、その数が二つだと確認して安堵した。

 アイリスは日傘をグライドに押し付け、軽く両手を叩いて喜んで、フウカと並んで特盛りクレープとやらを口に運んでいる。

 並んで歩く二人の後ろを、グライドは従者よろしく続く。

「レンダーの件は、あれで良かったのか?」

「もちろんなのです。真実が知れたとしても、誰も嬉しくはありません。そしてアイリスは、それを望みません」

 前を向くアイリスは、道端に咲く赤い花を見ている様子だ。

 レンダーは王都の害悪とされるスラムを一掃しようとして、兵を連れて赴き、そこに居を構える悪徳傭兵団と戦いになって相打ちとなった。オブロン家に集まる優秀な人材の中で、焦って功を求めたせいだと人は噂している。

 そうなるよう根回しをしたトリトニア家に、オブロン家がのった結果だった。実際には裏で様々な駆け引きが行われたのだろうが、グライドは知る気もないし知る必要もない。

「それに、あまり余計な事をしてはバートンの件にも関わってしまうのです」

「……それもそうか」

 バートンは仕事先で急病に倒れ、そのまま亡くなった事になった。家老が主家の令嬢の命を狙ったなど醜聞中の醜聞。レンダーの件が賑やかしくなれば、そちらの話にも波及しかねないのである。

 もちろんトリトニア公爵には、フウカの回収した帳簿と共に、全ての真実が報告してあった。その上で、バートンのしでかした事を隠蔽すると公爵が決めたのだから、これに異論を挟める筈もない。

 通常を考えれば、ありえない対応だ。そこからするとバートンの件の隠蔽は、トリトニア家の為と言うよりは、バートンの家族のために行われたように思える。なんにせよ、公爵の度量の広さにグライドは感心していた。なかなか出来る事ではない。


「スラスト叔父さんも帰っちゃったし。これで一件落着ね」

「あいつ、また来そうな気がするぞ」

「今度、お土産も持って来てくれるって言ってたわ。その時に、お父さんと勝負するんだって。ちゃんと勝ってね」

「普通に来られんのか、あいつは……」

 ぼやくグライドの声の中に、冗談めかしたものがあって、アイリスとフウカは顔を見あわせ声を出さずに笑っている。二人ともすっかり仲が良く、見た目は違えど姉妹のような様子があった。

「やれやれ、これで運命の流れというものは終わったか」

「はい、今回の問題は終わったのです」

「そうすると、護衛の依頼はここで完了という事だな」

 実際には明確な区切りはなかったが、もともと武闘大会までに襲われる、といった話から始まった護衛だった。そうなると武闘大会が終わったので、依頼完了と言えるだろう。

 この言葉に、アイリスは虚を突かれた様子で眼を見張ったが、それ以上に慌てたのはフウカだった。食べかけのクレープに顔をぶつけてしまい、頬にクリームをつけたまま声を張りあげる。

「そんなっ! これで終わりなんて嫌よ。アイリスも嫌よね?」

「はい、アイリスとしては引き続きお願いしたいのです」

「だってさ。聞いたよね、お父さん! これはもうやるよね、引き受けるしかないわよね。ちゃんと働いて、お金を稼いでくれるよね」

 すっかりアイリスに懐いたフウカの推しは強い。

 だがグライドは悩む。定期で雇われるのは、かつて国に仕えた時の思い出で、あまり好ましくはないのだ。しかし、しかし――二人が揃って顔を上げて、少し睨むようにして、じっと見つめてくるではないか。

 グライドはアイリスから預かった日傘を手に、深く息を吐いた。

「分かった、分かった。しばらくの間、また雇って貰うとしよう」

 フウカは跳びはねると、残りのクレープに齧りついた。

 そしてアイリスは、少女らしい仕草で手を合わせ、穏やかに喜んでいる。

「よかったのです。なぜなら、これからもイベント盛りだくさんですので」

「なんだと……!?」

「アイリスの周りでは、まだまだこれから、大変な事が起きるはずなのです。どうぞこれからも、末永くお願いします」

 どうやら、まだ大きな厄介があるらしい。

 しかしグライドの中で、今更止めるという選択肢は不思議と思い浮かんで来なかった。なんとはなしに、この不思議な少女を気に入っているのだ。

「まるで悪い女に引っかかった気分だな」

「それはそうかもしれないのです。なぜならアイリスは悪い令嬢、いいえ――」

 アイリスは自分の肩に手をやって、明るい日射しの中で、銀色をした長い髪をふわりと払って微笑んだ。

「アイリスは悪いお嬢様なのですから」

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