第33話 運命の流れであれば、勝てるはず

「もう、止めなさーい!」

 グライドは目を見張って息を呑み、身体を捻らせ無理矢理に剣を逸らす。やはりスラストも同じ事をして、二人揃って体勢を崩すと、もんどり打って地面に倒れ込んだ。そこから見上げれば、そこにリーデルシアの姿があった。

「!!」

 息を呑んで見つめ、少しあって気付くのは、それは青天を背景に立つフウカだという事だった。しかし、その姿は母であるリーデルシアの幼い頃を想起させるものだ。

 かつての記憶が呼び覚まされる。

 それはずっと昔の、今のフウカと同じぐらいの歳だった時のこと。グライドとスラストが大喧嘩をして殴り合って、二人揃ってぶっ倒れたところに、泣いて怒るリーデルシアが乱入してきた遠い日の懐かしい記憶だ。

 グライドは我知らず涙を零し剣を手放していた。苦労して地面に手をつき身を起こそうとするが、いつの間にか駆け寄って来ていたアイリスの手を借りねば、それは少々難しかった。

「これをどうぞです」

 差し出された回復薬を口に運び、グライドはスラストを見た。向こうでもフウカの手を借り身体を起こし、同じように回復薬を飲んでいるのだが、目に宿っていた怒りといったものが消え去っている。昔のように澄んだ目で見つめてくる様子からすると、どうやら同じく昔を思いだしたのだろう。

「二人ともいい加減にしなさい!」

 フウカに強く言われる。両手を腰に当て睨まれてしまう。

「許せないだの何だのって、そんな事は、お母さんだって望んでないはずよ! ううん、そうじゃない! 私が、それを望まないの! 分かった!? 分かったら、私のために喧嘩なんて止めなさい!」

「「…………」」

「二人とも、お返事は!」

 グライドは微笑し、スラストも微笑した。かつての大喧嘩の時に言われた言葉も、全くこんな感じだったのだ。その記憶とフウカの言葉は、心の中で抜け落ちていた何かを埋めてくれた気がする。

 視線を向けた先でスラストが肩をすくめ、これにグライドも同じ仕草をしてみせた。

「グライド、勝負は預ける。しかし決着は、いずれつける」

「付き合ってやってもいいが、その時は木剣でだな」

「なんだ偉そうに言いやがって」

「仕方なかろう、なにせ怒られてしまうだろ」

「それもそうだな。よし、木剣にしておいてやるか」

 昔のように言い合って立ち上がる。回復薬の効果はゆっくりとだが出ている。そのおかげで、アイリスの手を借りずとも一人で何とか立ち上がれる。

「随分とやられてしまった」

 グライドは、そのまま傷口を確認してみる。右腰に手をやれば、深く斬られたと感じた事に間違いなく、確認しようとした指先が傷の間に入り込み、痺れるような痛みが脳天を貫いた。他の傷も同じようなもので、あちこちの傷が痛みを訴えるので、今はどこが痛いかも分からない。とにかく心臓の動きに合わせ、全身に痛みが響くぐらいだ。

 顔をしかめたグライドの様子に、スラストは溜飲を下げたように笑った。

「またいずれ――」

 すとんっと矢が突き立った。

 胸に矢を受け、ものも言わず仰向けに倒れたスラストに、グライドは大きく目を見張るしかない。もちろんそれは、フウカとアイリスも同様であった。


 グライドは喉の奥で短く唸って、素早く振り向く。

 崩れかけた家屋の間から、十人を超える男たちが、伸び放題の草を踏み越え現れた。統制のとれた動きと、身に付ける統一された上質な装備。明らかに正規の訓練を受けた兵だと分かる。

 兵たちはやや緊張した様子だと見て取れるが、いずれも戦意の高い様相をしているようだ。その中に次の矢を構えた弓兵もいて、ぴたりとグライドを狙っていた。

 抜剣した兵の間から見覚えのある相手が現れた。

「ようやく見つけた」

 オブロン家の筆頭家令レンダーだった。

 なぜここにと思う一方で、来ても当然との思いも頭をよぎる。

 あの日あの時に、アイリスを痛めつけるよう依頼をしてきたレンダーは、間違いなくブラックマスターシュとは無関係だったかもしれない。しかし、バートンとは別口でアイリスを狙っている事に変わりなかったという事だ。

 もしかするとグライドに断られ、一度はアイリスを狙うことを諦めていたかもしれない。しかし学園でグライドに再会して言葉を交わし、さらにアイリスが悪戯心で手を振った事が契機となって、再度襲撃を決意したと考えられる。

 レンダーの企みについて、グライド一人が何を言おうと誰も信じはしない。しかしトリトニア家の令嬢が一緒であれば、その発言は真実味を帯びてくる。するとオブロン家の筆頭家老の策謀は、糾弾されるべき事件へと転じてしまい、レンダーだけの問題ではなくオブロン家が窮地に立たされてしまう。

 功績を焦るレンダーにとっては最悪の展開だ。

 もしアイリスにそのつもりがあったのなら、既に全ては手遅れなのだが。恐怖と不安に怯えるレンダーには、もはや正常な判断が出来なくなっているのかもしれない。

「ここに来たと聞いてね、こうして兵を用意させて貰った」

 レンダーは告げるが、十人を超える兵士は、サムライやナイトやファイターのジョブに認定された者たちばかりだ。これに対しグライドは満身創痍、アイリスは全ての魔力を使い果たし、フウカでは荷が重すぎる。この状態では戦う事も、逃げる事も厳しい。

 辺りに目を配りながら、グライドは会話を続ける。

「こんな事をして、なんのつもりだ?」

「我がオブロン家の為に、お前たちを討たせて貰う」

「家の為と言いながら、所詮は保身のためなのであろう。素直に自分の保身の為だと開き直ってみたらどうだ。その方が、まだマシだと思うぞ」

「保身だと? 私は保身保身ほしほしほしん、など、考えて考えて考えかんかんかんかかかか……私はせねばならない、せねばならない、せねばならないのだ!」

 レンダーは何かに操られるように身体を揺らし、目付きをおかしくさせ、虚ろな目で同じ言葉を呟き続ける。以前に似た状態をアイリスが見せたが、まさにその時と同じだ。

 そっと問うような視線を向ければ、小さな頷きが返ってきた。

「こちらが運命の流れ、だったようです」

「どうやら、そうらしいな」

「運命の流れであれば、勝てるはずなのですが……」

「何か不安でも?」

「あまりに変則的過ぎなのです。だからアイリスには自信がありません」

「なるほど、そうか」

 回復薬の効果によって、身体の傷も多少は癒えた。しかし瀕死が、やや瀕死になった程度でしかない。この状態で十を超える数を、しかも相手には弓持ちもいる。かなり厳しい。変則的過ぎという言葉を抜きにしても、不安しかなかった。

 だが、グライドは優しく頼もしく笑ってみせた。

「運命など打ち破ってみせよう、それを教えてやる」

 とたんにアイリスは、虚を突かれた様子で目を見張った。まるで長い長い冬の果てに、暖かな春の日射しを急に浴びたような顔だ。見る間に淡い紫をした瞳の目に涙が盛り上がり、小さく頷いた仕草によって、それは静かに零れ頬をつたった。

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