第32話 二度とは戻らぬ懐かしい日々

 滑るようにスラストが接近したかと思うと、鋭い剣が肩を狙い降って来た。グライドは避けきれず胸元を僅かに斬られた。息をつく間もなく、下から剣先が跳ね上がって来る。これは剣を叩き付ける事で防いだ。

 スラストの猛攻の度に、グライドの傷は徐々に増えていった。

 息が喉に引っかかり、ぜいぜいとうるさい。辛うじて構えを崩さず防ぎ続けてはいたが、戦いの先は先の見えている。苦しみと緊張の度合いは強まるばかりで、もう全てを投げ出したい誘惑が強く込み上げていた。

「おい、どうした。グライド? お前はそんなものか!?」

 声を掛けて来るスラストの顔には、微かな憤りがある。ただし隙はない。端正な顔は赤らみ汗をかき、息を乱しているが目は強く鋭い。そろそろ決着に移ろうとしている事は明らかだ。しかしグライドには、それを受け入れる気がどこかにあった。

 それは剣に追い立てられるからではない。

 あの日あの時に、リーデルシアの命が失われ、スラストの心から何かが抜け落ちてしまったように。やはりグライドの心からも、何かが抜け落ちている。だから地位も名誉も財産も全てを投げ捨て、娘を連れて諸国を彷徨い、世を捨てたような生活しか出来なかった。

 愛する者の命を奪った報いが、いつか必ず訪れるのではないか。

 漠然とした想いが心の根底に存在し、いつも落ち着かなかった。そしていま、実際にそれは訪れている。それであるならば、スラストの剣に倒れても当然の結末なのではないか。

 そう思った時だった。

「諦めさせてなんてあげない!」

 鋭い声が、グライドの耳朶を打った。

 何があろうと聞き間違えるはずもない声と同時に、脳裏に娘の姿が鮮やかに蘇る。途端に、グライドの意識は全てが切り替わって、はっと我に返る。


 もしここで自分が倒れては、娘はどうなるのか。

 かつて自分が味わった家族との別れ。胸の奥に空洞があるような、薄ら寂しく辛く重い気持ちを、娘に味わせて良いのだろうか。まだ悲しみに耐えきれるような歳でもない娘に、それを感じさせてよいのだろうか。

 答は否、断じて否。

 娘の笑顔が消えるような事は、断じてさせはしない。

 挫けかけていた心に火が灯る。

 ――まだ死ねない! 娘の為に!!

 決意と共に全身に力が漲れば、勇気と決意がむくむくと起き上がる。今までの自分の不甲斐なさを叱咤するように足を踏み締め、気合いを入れ、したたり落ちる血をそのままに、襲って来た刃に向けて剣を振るう。

 ぎんっと金属と金属が噛み合う音が響き渡り、欠けた金属が火花となって散った。

 そのまま、剣と剣が合わさったまま押し合う。対峙するスラストは一瞬だけ目を見張り、しかし直後に咆えて力を込め押し込んでくる。グライドの口からも、凄まじい気合いがほとばしりでて、辺りの空気を揺らす。

「「おおおおおおおぉぉぉぉっ!!」」

 二人は同時に跳んで離れて向かい合い、再び同時に斬り込み、ぶつけ合った剣を間に挟んで顔と顔を突き合わせる。

「グライド、俺はお前が憎いんだ!」

 叫んでスラストは押しのけるようにして、グライドの剣を弾いた。

 グライドは身体を沈め回避するが、浅く頭の横を斬られている。しかし動揺は少しも無い。むしろ感情を爆発させたスラストの方が、冷静さを欠き、動きが荒くなっている。

「俺たちは剣聖と呼ばれていた。なのに大切な人を守れなかった愚か者だ」

「守れなかっただと?」

 グライドに怒気が宿り力が漲る。

 強く力を湛えた眼差しは、まさしく戦いを統べる剣聖に相応しいものだ。

「バカを言うな! 俺たちはリーデルシアと共に守ったぞ。俺たちの一番大切な存在を! お前はリーデルシアの頑張りを否定するのか!」

「うるさい! 俺は姉さんが世界で一番大切だったんだ! たった一人の家族を目の前で失った悲しみが! 悔しさが! お前には分からんのか!」

「だったらどうすべきだった!? そして今さら過去には戻れない!」

「分からない!! だから俺はこの憎しみを、お前にぶつけるしかない!」

 生きていれば、自分でもバカだと思うような事を、どうしても止められない時はある。一つの感情に支配されてしまって、後戻りする事の出来ない時もある。常に正しい事を選択して、無駄なく生きられるほど、人は器用ではない。


 スラストの動きは力強く一撃が重い。斬り付けては退き、また即座に斬り付け、相手に防御以上の動きを許さない。それはスラストが昔から得意としてきた戦い方だ。これに対しグライドは殆ど動かず受けて流し、弾き返し、または躱して全てを防いでいた。恐ろしい勢いで剣がぶつかり、飛び散る火花が辺りに幾つも閃く。

 命を懸け剣と剣を打ち合わせる最中、ふと奇妙な感覚に襲われる。

 かつて同じ場で鍛錬を積み、技を競い合い、力をぶつけ合い、楽しみ笑いながら剣を交えた遠く輝くような日々。二度とは戻らぬ懐かしい日々の光景が無性に思い出される。

 素早くスラストが後退した。

 その動きで、決着をつける気なのだと感じた。恐らくスラストも、昔の記憶を蘇らせたに違いない。だから、それを振り払う為にも全力を込める気なのだ。

 ――来る。

 グライドも数歩下がる。圧されての後退ではない。剣先を左の後ろに向け右足をやや前に、腰は軽く落として前傾姿勢で前を見て、右半身を無防備にさらけ出す。

 これに対しスラストは僅かに戸惑う様子を見せる。しかし、直ぐに滑らかに右足を踏み出し、直後に飛び出すようにして鋭く斬り込む。

 グライドの左足が前に出て、上体が弾け起きる。渾身の力で迫るスラストの剣に、全身全霊を込めた一撃を叩き付け、これを弾き返した。そのまま剣を旋回させ高々と振り上げ、右足を踏み込み渾身の力で振り下ろす。

 激しい一撃が、スラストの肩へと叩き込まれた。

「がっ!」

 スラストの口から短く声が零れ、身体が音をたて前にのめり込んで倒れていく。手応えが重かった。服の下の胴には心得として、チェインメイルを身に付けていたようだ。しかし衝撃までは止められるものではなく、骨が折れ大きなダメージは確実だ。

 それでもスラストは蹌踉めきながら立ち上がってきた。

「まだだ、まだ終わらないぞ。グライド、俺はお前を許せない」

「黙れ。俺だって、俺だって……苦しかった。お前だけが、苦しかったとか。そんなわけがあるものか」

「俺はお前を憎まねば生きられない」

「俺は生きねばならない」

 立つだけで精一杯のスラストだったが、しかしグライドも似たようなものだ。今の一撃に全力を込めすぎ、そして傷を受け血を流しすぎて足元が覚束ない。

 今にも倒れそうな両者は構えを取ると、期せずして剣を肩に担ぐような同じ構えとなる。足をもつれさせながら運び、互いに近寄り同時に振り下ろす。

 その時であった、二人の剣の下に小さな姿が飛び込んできたのは。

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