第31話 諦めさせてなんてあげない
どうやら、この部屋は事務処理仕事をする部屋だったらしい。
何も見つけられなかったが、ブラックマスターシュという集団が、意外にも帳簿をしっかりつけて、資産管理をしていると分かった。仲間への報酬の分配から依頼人の名前まで、しっかりと書類に書き込んでいる。
ちょっと意外だが、傭兵団として活動していれば、そうした管理があって当然だ。誰がやっていたのか、興味のわくところだが、今はそれを確認する暇はない。
「うーん。入り口は鍵がかかってる、他に出口はないと。困ったわね」
言いながら窓を見る。
他に出口がないと言いながら、そこにある窓を見つめる。ちょっと前に、窓を使って外に出たばかり。だから困ったという言葉の意味は、そこを使うしかないという意味が込められていた。
フウカは軽く肩を――それは父親そっくりの仕草で――竦めると、窓に近寄った。そのタイミングで外で炎が閃き、窓が細かく振動した。驚いて一歩下がってしまう。
「きゃっ!」
どうやら魔法による炎だったらしく、直ぐに消えた。
窓は硝子を使った高価なもので、木枠にしっかりと填め込まれ、開く構造ではない。しかし、使われている硝子というものが脆い事を、フウカは知っている。
にっこりと笑った。
「硝子を壊すのは、ごめんなさいだけど。でも、仕方ないよね。だって早くここを出て、お父さんたちを仲良くさせなきゃダメだもの……あれ?」
よいしょと言って、重たげな椅子を持ち上げたフウカの目に留まったのは、ページの開いた書類だった。記されている内容に見覚えのある名があって、思わず椅子を持ったまま読んでしまう。それは襲撃を依頼するもので、標的としてアイリスの名がある。さらに依頼金額と依頼主の名もあった。
「え!?」
フウカは大きく目を見張った。
思わず椅子を投げだし、書類を手に取ってしまったぐらいだ。なぜなら、そこに記されていた事実は、自分の思っていた事と全く違っていたのだ。
外から誰かの苦痛の悲鳴が聞こえてくる。
「これっ……どうしよう」
書類を手に取ったフウカは動揺して考え込んでしまう。良く分からない、分からないがきっと後で必要になると思えた。少なくとも、父であれば何とかしてくれるだろう。
やはり誰かの恐怖の叫びが聞こえた。
何か大きく事態が動いているようで、もうのんびりとしていられない。
フウカは大急ぎで服の中へ、書類をしっかり仕舞い込んだ。それから椅子を手に取ると、苦労して持ち上げ、ふらふら歩いて、大きく振りかぶって硝子の窓へと投げつけた。
◆◆◆
「私は許しを請うことも、理解を求める事もいたしませんよ。この罪を胸にしたまま生きて、そして終生をかけトリトニア家に尽くして参ります」
バートンは恭しく告げると、ゼルマンが取り落としたまま転がっていた剣を拾い上げた。その姿は無防備なもので、今なら反撃する事も出来なくはない。けれどアイリスの身体には苦痛が響き、何より諦めが支配し、気持ちが動く事を拒否していた。
向こうでグライドが戦う様子が見えた。
一瞬だけ向けられた視線が驚きに満ち、焦りを宿してくれた様子が妙に嬉しくて、グライドとフウカに出会えた事だけが救いだったと――。
頭上で、激しく物の壊れる音が響く。
直後、辺りに硝子の破片が降り注ぎ、バートンが短く驚きの声をあげ頭を庇った。さらに大きな何かが降ってきて、地面の上で壊れながら跳ねて転がり、砕けて壊れて散らばる。驚いて見つめると、それは椅子だった。
「諦めさせてなんてあげない!」
見上げると、二階の窓から身を乗り出したフウカが、軽やかに飛びおりるところだった。その活き活きとした姿に、何故だか分からないが、アイリスの心は励まされた。気力と生きる力が身体の中に広がっていく。
軽い着地の音、心配をする声。どちらもアイリスの心に暖かく響いてくる。
「大丈夫!?」
「フウカ、気を付けるのです。バートンは……」
「知ってるのよ。アイリスを襲うようにって依頼した紙、見たから」
「そうなのですか」
分かっている事を告げられただけだが、それでもアイリスは哀しかった。
フウカは座り込んだアイリスに駆け寄ると、手を差し出し立たせようとして、そこで腹部に刺さった短剣に気付く。軽く息を呑んで目を大きく見開いた。
「大変……うん、抜いちゃうから。抜いたら直ぐ、回復薬飲んでね」
「えっ、待って欲しいのです。心の準備が」
「だめ待たないわ」
フウカは回復薬の一つを押し付けると、そのまま手を伸ばし、ひと息に短剣を引き抜いてしまった。痛みに目を見開いたアイリスは、それでも声をあげる事を堪え、震える手で回復薬を口元に運び飲み干した。
とたんに傷の辺りが熱くなる。
しかし嫌な熱さではなく、じわじわ傷が癒えていく熱さだ。直ぐには治らないが、少なくとも命に影響する状態からは脱せられる。抜かれる時の痛みはあったが、短剣が刺さったままよりは、遙かにマシな状態だ。
アイリスが回復薬を飲み、ハルバードを手に立ち上がる。
それを見たバートンは、小さく息を吐いた。こうなると、もうどうしようもない。非力な自分は不意打ちでもなければ、氷の戦乙女とも呼ばれる御嬢様に、勝てるはずもないのだから。
ブラックマスターシュの生き残りを見れば、周囲を囲んで見つめたまま動く様子はなかった。所詮は金で雇い雇われただけの関係でしかない。むしろ今も残っている理由は、金が目的だけなのだろう。ひょっとすると死んだゼルマンも、事が上手く行った後は、金を強請りに来るつもりだったかもしれない。何となく、そんな気がする。
最初から失敗していたのだ。
小さく息を吐いて、鼻で笑って自嘲するしかない。
自分の行動は間違っていたかもしれないが、自分に出来る精一杯をした。それであれば、最期まで堂々として潔くあるべきだ。それが誇りというものである。
「こうなりますと、些か残念ではありますが。御嬢様に敵わぬ非力な私としましては、大人しく諦め命を差し出すとしましょう」
「アイリスは、それを望みません」
「それはいけません、私は御嬢様を手に掛けようとしました。この不始末の責任を取らねばなりません。トリトニア家の権威について、お小言を言わせて頂きましたが、楽しそうな御嬢様の姿を見るのは嬉しくもありました」
「…………」
「この状況下に、御嬢様を置いて行くのは、些か無責任ではありますが仕方ありません。どうぞトリトニア公爵家を、お頼みいたします」
バートンは恭しい仕草をする。
胸の前に片手をやって頭を下げ、そのまま動こうとはしない。しかし、その手は微かに震えている。どれだけ覚悟を持とうと、恐怖して当然だった。
アイリスはハルバードを手に取った。
これ以上の時間をかけてはいけないのだと理解していた。残りの魔力を全身へと行き渡らせ、さらに涙を堪え震えそうな声を必死に抑え込む。
「ごきげんよう、バートン」
重量あるハルバードは恐ろしい勢いで振るわれ、人ひとりを通過したとは思えない鋭さで、深々と地面にまで斬り込んだ。
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