第27話 国が炎をあげ燃えさかり

 グライドとスラストは、煙の立ち込める首都を疾走していた。

 己の仕える国が炎をあげ燃えさかり、しかもそれを行ったのが、同じ国に暮らしていた貴族たちなのだ。怒りよりも悔しさが強い。

「くそっ、よほど周到に準備されていたのだろうな。だが王と王族の方々は逃がせた。何とかなるだろう。後は……」

「急げグライド! 手勢は残しておいたが、姉さんとフウカちゃんが危ない!」

「分かっている!!」

 しかしグライドとスラストが辿り着いた屋敷は、既に火に巻かれていた。

 辺りには護衛に残した部下たちが倒れ伏し、僅かに残った者たちが敵兵と交戦中。遙かに多い敵に圧され、それでも懸命に抗っている。

 グライドとスラストは同時に飛び出し、剣を振るって敵の全てを蹴散らした。

「御当主様、義弟様。お二人とも、ご無事でしたか!」

「無事だ! それよりシアとフウカは!?」

「申し訳ありません……まだ館の中です。お救いに行く暇もなく……」

「分かった! お前たちは逃げろ!」

 グライドは咆えるように言った。もちろん助けに行く、たとえ火の中であろうとも。二人は最愛の存在なのだから。目を合わせたスラストも頷いている。まったく同じ気持ちという事は分かっている。

 部下の制止の声を後に残し、二人は燃えさかる屋敷の中に飛び込む。

 激しい熱気に、むせ返るような空気。視界は炎と煙に遮られているが、長年暮らした場所だけに、目を閉じていても間取りは分かっている。身を屈め口元を覆いながら、素早く駆け抜ける。

「この時間なら、きっと奥の一室じゃないのか」

「恐らくそうだ。これは赤ん坊の……フウカの泣き声がする」

「急ごう、グライド!」

 焼けて崩れた床を飛び越え、倒れて燃える調度品を蹴散らし、ただ前へと進む。倒れ伏し炎の中で動かぬ姿や、壮絶な斬り合いの結末と分かる姿もある。いずれも、懸命にここを守ろうとした者たちだ。

 そして、炎が少し収まった通路の先に。敵兵と相打ちになった部下の姿を見つけた。フウカの泣き声は、その先から聞こえる。部下たちに心の中で感謝と侘びを告げ、その上を飛び越え進む。


 そして見つけた。

 崩れた壁に半ば下敷きになった、最愛の女性リーデルシアの姿を。それでも彼女は、何より大切な我が子を両腕に抱え、降り注ぐ火の粉から庇っていた。

「シア!」

「姉さん!」

 駆け付けたグライドとスラストの声に、リーデルシアは顔を上げ安堵の表情を浮かべた。だが、その顔色は明らかに悪く、そして生気に欠けている。

「待っていろ、今すぐに助ける!」

「無理ね。ほら、これを見て」

 リーデルシアは自分の腹部を指し示した。そこには真っ赤な血だまりが出来ている。崩れた壁に挟まれた際に、何かが貫通したのだろう。皮肉なことに、壁と床に挟まれた事で、それ以上の出血が抑えられ命を長らえていただけだ。

 しかし腰の上まで挟まれた状態。助けるには重たい壁を何人かで持ち上げ、即座に腕の良い治癒術士による回復か、最高級回復薬を使うしかない。

 しかし今は、その全てがない。

 勿論時間もだ。火の手は強まり熱気が押し寄せてくる。

「フウカを連れて逃げてください」

「シアを置いて行くことはできない。俺もここで……」

「駄目よ。私は貴方を諦めさせてあげないわ!」

 強く声をあげた影響か、リーデルシアは微かに顔をしかめた。だが、それでも強い眼差しは少しも陰らない。真正面からグライドを見つめて放さない。

「グライド、あなたは生きて。そしてフウカを守ってあげて」

「俺は、俺は……」

「もうここも炎の中になるわ。だからお願い、短剣を一本貸してくれるかしら」

「……っ!」

 リーデルシアの考えは明らかで、グライドはまるで脳天を殴られたように狼狽えた。一瞬の間に様々な感情と思いでが去来。両手を強く握りしめ、何度も堪えるように唾を呑み。震える声で、ようやくグライドは告げた。

「それであれば……それであれば、俺がやろう。痛みもなく終わらせよう」

「ありがとう、実は自信がなかったのよ。いつも貴方には助けられてばかりね、私。ほんっと、最期まで情けないわよね」

「そんな事はない。君は立派だよ。娘だって守り通した、世界で一番立派な人だ」

「ありがとう、嬉しいわ。でも、ごめんなさい。嫌な事をさせてしまって」

「いいんだ」

 グライドは震える手で短剣を抜き放った。よく研がれて鋭利なもので、グライドの腕前と合わせれば、これで斬られた者は痛みすら感じないだろう。

「やめろ、やめてくれ。グライド! やめてくれ!」

 スラストは泣きながら床を何度も殴りつけた。

 その姿にリーデルシアは微笑みを向けるが、聞き分けのない子を宥めるような、穏やかな眼差しだ。

「スラスト、あなたは優しい子。きっと幸せになりなさい。そして、できればフウカの事も気にかけて守ってあげてね。お願いよ」

「嫌だ、嫌だよ。そんな事を言うな、言わないでくれよ姉さん。やめろ、やめてくれグライド。やめろおおおっ! うあああああっ!!」

 返り血を浴びたグライドの姿に、スラストは頭を抱え苦悩の叫びをあげた。


 ふらふらとした足取りの二人は、どちらも何も喋らず、辛うじて燃えさかる屋敷から外に出た。そこに居た部下たちは全員倒れ伏し、敵兵に足蹴にされていた。グライドの命じた言葉に背き、寡兵を承知で押し寄せる敵と戦い、この場を最期まで守り続けていたのだ。

 血刀を手にした敵兵たちは、炎の中から出て来たグライドとスラストの姿に驚きの様子を見せた。だが、直ぐに我に返った。

「いたぞ、王に従う奴らだ。仕留めろ!」

「残りは少しだ!」

「王に従う連中を皆殺しにしろ! 焼きつくせ! 殺しつくせ!」

 その声に、グライドとスラストは心の底から憎悪に包まれた。

 ゆっくりと顔をあげ、襲い来る兵たちを見やる。表情の抜け落ちた顔がどす黒く赤くなって、背後で燃えさかる炎のように激情が滾った。

 押し寄せる兵は圧倒的な剣技の前に倒れ、応援に呼ばれた兵も溶けるように倒れていく。そのまま歩きだす二人は、赤子のフウカを抱いたまま軍勢へと突っ込んだ。

 たった二人の怒れる男によって、首都を襲った貴族たちは大混乱となった。

 陥落寸前であった王は窮地を脱し、体制を立て直すなり反撃に移り、郊外に逃げた敵対勢力へと突撃。これを打ち破る事に成功。惨劇に見舞われた首都は安寧を取り戻し、復興に向け動きだした。

 全ての戦いで圧倒的な働きをみせたグライドとスラストであったが、その戦いが終わると同時に、今度は互いに剣を交え死闘を繰り広げる。これに辛うじて勝利したグライドは、幼い娘を連れ姿を消し――十数年の時を経て、ついにスラストと邂逅したのだった。


◆◆◆


「そんなの、おかしいじゃない。お父さんは悪くないわ」

 フウカは一部始終を聞かされ、それを語ったスラストに、何とも言えない眼差しを向けた。自分の母の辿った運命と父の悲しみ、これまで教えられていなかった不満、それを教えられてしまった怒り、その全部が全部入り交じっている。

 スラストは僅かに視線を逸らし頷いた。

「ああ、悪くないな」

「だったら――」

 言葉を遮って、スラストは頭を横に振った。

「あいつは悪くない、そんな事は分かっている。分かっていても、それでも許せない。自分でも理不尽だと思う。だが、どうしても許せないんだ」

「どうして? そんなのおかしいわよ」

「その通り、俺はおかしい。姉さんを失って、俺の心は壊れてしまった。どうしても受け入れられない。この張り裂けそうな気持ちに耐えられない。だから、あいつを憎む事で自分を保ってきた。たとえそれが理不尽だと分かっていても、憎むことを止められない」

「私には分からないわ」

「それでいい。こんな気持ちを分かる必要など無い」

 スラストは辛そうに告げ、哀しそうなフウカの視線から逃げるように、早足で部屋を出て施錠した。予想が正しければ、そろそろグライドの来る頃合いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る