第26話 今すぐではなくても必ず来てくれる

「さっきは、よくもやってくれたな」

 怒りの口調でやって来たのは浅黒い顔の男だ。アイリスと共に襲われた時に、鉄串を投げつけた覚えがある。そうと思い出したところで、男は手を振り上げ振り下ろし、平手打ちをしてきた。

 叩かれ倒れたものの、フウカは声も上げなかった。こうした相手は下手に悲鳴をあげれば、余計に凶暴になると知っているのだ。

「さあ次はどうしてやろう。同じように刺してやろうか、それとも斬ってやろうか」

 フウカは恐怖に目を強く閉じた。

 必ず助けが来ると信じている。今すぐではなくても必ず来てくれる。それまで耐えればいいのだ――しかし短い悲鳴が響いた。驚く間もなく、何かが倒れ物の壊れる音がして、辺りで怒声が入り乱れる。

 もう助けが来たのかと、目を開いたフウカの前に、人の腕が転がっていた。ぎょっとするが、それでも悲鳴はあげず、辺りの様子を窺う。スラストが血刀を手に、苦痛と恐怖に喘ぐ浅黒い顔の男を冷徹な目で見ているではないか。

「スラスト! お前、何のつもりだ!?」

「まさか俺たちを裏切るつもりか?」

 血相を変えた連中が武器に手をかけるが、しかしスラストが一瞥しただけで、全員が怯んで止まった。それ以上は誰も動かずにいる。

 腕を斬られた男は、床の上でのたうち苦しみながら、恨みを込めた声をあげた。

「てめぇ、なんのつもりで……」

「この娘に乱暴なことをするなと、俺は確かに言ったはずだ。それを無視したのだから当然だ。それに文句があるのか」

「だからって斬るのか。俺の腕を斬りやがって……」

「泣き言を言う余裕があるのなら、早いところ腕を合わせて回復薬でも飲んだらどうだ。運が良ければ繋がるかもしれんぞ」

「ちくしょう、覚えてやがれ! くそっ!」

 浅黒い顔の男は顔を歪め罵ると、よろよろと自分の腕を掴み這って動きだした。仲間の手を借りながら、仲間に向け大声で回復薬を用意してくれと頼んでいる。ようやくそれで、周りの男たちも治療のために動きだした。


 これを興味なく見つめていたいたスラストだが、ふいにフウカに視線を向けた。

「二階に部屋の用意が出来た、そちらに行こう。ここは血生臭い」

 穏やかに言って促す態度には優しささえあるぐらいだ。

 戸惑うフウカだったが、この場所に居るよりはと、スラストと一緒に歩きだした。周りの男たちの何人かは、鉄串で同じように酷い目に遭っている。回復薬で傷は癒えても、痛みの記憶と怨みは消えていないのだ。

 だからフウカは、そそくさとスラストの後に続いて階段を上がった。

 あまり広くない部屋に案内され、勧められるまま、椅子の一つに座った。木の机と椅子に棚がある程度だが、一階の薄汚れた状態と違って綺麗で床には埃すらない。もしかするとスラストが姿を見せていなかったのは、ここを掃除していのかもしれない。そんな気がした。

 そして、細身のスラストの様子を戸惑いながら見つめる。

「あの、ありがとう。助けてくれて」

「痛かっただろう。少し口の端を切っているな、回復薬を飲んでおくといい」

「ありがとう」

「気にする必要はない」

 そう言ってスラストは、優しく微笑んでみせた。

「身内として当然のことだ」

「身内ってどういうこと?」

「ああ、お前の母は俺の姉だ」

「えっ?」

 予想外の言葉にフウカは目を大きく見開いた。

 目の前の相手が、しかも父親と激しく戦った相手が叔父とは到底思えなかった。

「お前は姉さんの昔に、とてもよく似ている」

「えっと……それじゃあ、どうしてお父さんと戦ったりするのよ!?」

 スラストの顔が、突然に歪んだ。拳を固く握り締め腕を震わせた。そして拳を開くと、小さく息を吐いた。心の中の憤怒を、何とか抑えた様子だ。

「それは俺の姉であり、お前の母であるリーデルシアを、グライドが殺したからだ」

 室内に沈黙が訪れた。


◆◆◆


 グライドは背筋を伸ばし前を見て、迷いのない足取りで進む。

 娘を取り戻すため、今回の件を片付けるため、運命という大きな流れのため。目指すのは、スラムにあるブラックマスターシュの拠点だ。

 空には雲が重く垂れ込めていた。時々、思い出したように風が吹き、家々の戸や窓を揺らす。揺らされた木々の葉が舞い落ち、そのまま道の上を転がるように飛んで行く。隣を歩くアイリスは短い紐を口に咥え手を後ろにやり、風に翻弄される自分の髪を捕まえようとして上手くいかず、四苦八苦している。

 そちらを見やりグライドは足を止めた。

「紐を貸すといい。こう見えて器用なんだ」

 その言葉に、アイリスは極微かな迷いをみせた。

 貴族のマナーで言えば、男が女の髪に触れることは、余程信頼した相手か家族か夫となる者しか許されない。公爵家の娘にしては自由気儘なアイリスだが、そうした知識がないわけではない。むしろ、しっかりと身に付けている。

 だが、アイリスは紐を渡した。

「お願いするのです」

「少し前までフウカの髪を結んでやっていたのでな、こういうのは慣れっこだ。しかしフウカも最近は自分でやるとか言って、寂しいのだがな」

 すっと後ろに回り込み、グライドは風に翻弄される銀色の髪を優しく掴んで、そして手早くまとめて紐で縛ってしまう。言ったよりは丁寧で結びの形も綺麗だった。その時のアイリスは、何か穏やかな安堵した種の笑みを浮かべていた。だが、その笑みもグライドの言葉を聞いて直ぐに引き締まる。


「護衛の依頼を受けている間、貴方の命は俺の命より重い」

「…………」

「だがスラストが出てくれば、俺はそちらに専念するしかないだろう。その時は貴方が狙われる事になる。それでも、構わないのか?」

「はい、アイリスに任せて欲しいのです」

「スラストとは、ここで決着をつけねばならんのだ。あいつは絶対に引かない。もう、ここで終わらせる必要がある」

「なぜそんな事に?」

「……よし、これでいい」

 問いには答えず、グライドは一歩下がって、出来栄えを確認した。頷いてみせると、また元のように歩きだす。アイリスの方を見ないまま、曇天を目をやりつつ、遙か遠くに思いを馳せる顔をした。

「あいつとは子供の頃からの付き合いで、一緒に剣を学んだ仲だ。しかし今は、あいつは俺を憎んでいる。あいつの姉であり、フウカの母であって、俺の妻だった人を殺したのは……俺だ」

 そのまま語るグライドは、心の中の澱みを吐き出すような口調だった。普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、重く苦しい顔が見え隠れする。

 グライドは遠い目をして、独り言のように過去を口にする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る