第24話 辿り着いたのは運河のほとりの乗船場

 それでも相手の数は、まだ多い。しかも仲間をやられ、もはや怒りに火がついていた。口々に罵声や唸りや叫びをあげ武器を構え直している。

「こうなったら、仕方ないわね」

 フウカは懐に手を差し入れ、何かを掴み出した。周囲に目を配りつつ斜めに移動、アイリスに剣を向け近づく相手へと、右手を鋭く振った。その手中から細長い物が飛んで、相手の身体に突き刺さる。しかも手を振る度に、同様の物が飛んで行く。

 これがフウカが得意とする投擲技で、投げている物は先を尖らせた短い鉄の棒。父親のグライドに指導され、幾つかの戦闘技術を授けられているが、その中で一番得意としているものだった。

 その鋭い鉄串が間合いの外から次々投げられ、さらにハルバードが斬りかかってくる。どちらもためらいなく急所を狙っており、襲った側の荒くれ者どもが、容赦ないと戦慄するの無理なからぬものだった。

 男たちは怪我人を引きずり、または這うがごとく動き、間合いを取って壁や板の陰に隠れる。その隙に逃げようとするフウカとアイリスであったが、ゆったりと歩いて来た男が道を塞ぐように立ち止まった。誰あろうスラストであった。

「気を付けて、この人はお父さんと互角に戦える人なのよ!」

「アイリスは把握しました。援護を要請します」

「分かったけれど、戦う気なの!?」

「逃がしてはくれないのです」

 言ってアイリスはスラストに対峙し、ハルバードを振り下ろした。

 まだ戦いになるような位置でないため、刃は空を斬り裂いただけ。フウカは戸惑い、スラストも僅かに訝しがる。途端、アイリスは振り下ろしたハルバードに勢いをつけ、旋回させながら一足飛びで地を蹴り突撃。鋭く斬り付ける。

「やあっ!」


 しかし、この奇襲をスラストは身を捻って回避した。

 重たげなハルバードが唸りをあげ目の前を通過し、巻き起こされた風を間近に浴びながら、しかしスラストは笑っている。それどころか前に出て、体勢の崩れたアイリスに斬り付けている。

 辛うじてハルバードの柄で防御するが、両者の技量の差は明らかだ。

「援護するから!」

 フウカが鉄串を投擲するが、スラストは素早く反応。剣の一振りによって、全ての鉄串を叩き落としてしまう。しかも、それをアイリスの反撃を相手にしながらだ。実戦を何度となく生き抜いたスラストの強さは、アイリスとフウカの二人がかりでの攻撃を、全く寄せ付けない。

「なかなかの強さではある。しかし力に溺れて技がない」

 口の端を歪めたスラストは、アイリスの斬り付ける一撃を、余裕すら持ちつつ、剣で弾いて軌道を逸らしておき、鋭く身体を捻って、剣の腹で叩き伏せ――寸前、フウカが両手を握って叫んだ。

「ダメよ!!」

 その声に驚かされたのか、スラストの動きが僅かに躊躇う。その隙にアイリスは、思いきり身を捩ることで、辛うじて攻撃を回避。しかし、その結果としてバランスを崩してしまって転倒する。

「アイリスから離れなさい!」

 フウカは残った殆どの鉄串を投擲。その全てを回避してみせるスラストだったが、流石にこの猛攻には辟易として、大きく飛び退き距離を空ける。

 全力で突進したフウカは、アイリスに駆け寄って手を掴み、そのまま引っ張りあげながら走りだした。これ以上は不利になるばかりで、逃げの一手を選んだのだ。もちろん逃げられるとは限らない。

「助かったのです」

「まだ助かってないから! こっち、走るわよ!」

「はいなのです」

「もうちょっとだから、行くよ!」

 二人は手を繋いだまま飛び出した。


 道を塞ぐ男たちに鉄串を投擲――ただし全てを投擲しているので、もう一本も残っていない。投擲するフリをした完全なブラフだが、そんな事が判る筈もない相手は、大慌てに飛び退いて回避した。

 開いた道を二人の少女は駆け抜けた。

 石畳みの道を足を止めぬまま走り抜いて、走り突き辿り着いたのは運河のほとりの乗船場。水上に逃れる事さえできれば、まずは一つ安心だろう。

「このまま行くよ!」

「はい……」

 アイリスは全力疾走に、息も絶え絶え苦しげだ。いくら鍛えていると言っても貴族としての範疇であるし、長く重たいハルバードも背負っている。元から小柄で持久力に欠ける上に、何より戦闘の直後だ。なんとか走っているといった具合だった。

 乗船場に駆け込む。

 驚き制止しようとする係員の横をすり抜け、短い階段を跳ぶように下って、今しも岸を離れようとする小舟に突進。疲れきったアイリスを先に押し込むように乗せ、続いてフウカが乗り込もうとして――腕を掴まれる。

 追いつかれたかと驚くが、それは乗船場の係員だった。

「ちょっと急いでるのよ。手を放して!」

「なんて子だ、乗るには順番を守らないとだめだろう。先に待ってた連中がいるんだ」

「分かってるわよ。でも、今は緊急事態なんだから」

「そんなもん知ったこっちゃない」

「ああもうっ! ああっ来ちゃった――」

 短い階段をブラックマスターシュの連中が次々飛び降りて来た。見るからに柄の悪い連中がなだれ込む様子に、順番待ちをしていた人々は蜘蛛の子を散らすようにして、素早く逃げ出していた。しかし、フウカの腕を掴む係員は呆然として固まったままだ。

「行って! お父さんに知らせて!」

 フウカは叫んで船縁を足で蹴り押した。


 まさに間一髪、辿り着いた男の一人が船縁を掴み損ね水路に落水。トラブルを恐れた船頭は大急ぎで櫓を操り、運河の水路に小舟を走らせ遠ざかっていく。船縁を掴んで顔をあげたアイリスだが、荒い息を繰り返し、疲れきって動くどころか声すら出せなかった。

「逃がすな!」

「他の船を押さえろ!」

 叫んで後を追おうと他の船に向かう男たちであったが、危険を察した他の小舟は次々と岸を離れていくところであった。乗船場に残るのは、肩を掴まれたフウカと、腕を掴んだ係員、そして怒りの顔をする男たちだけになる。

 フウカは素早く辺りに目をやって逃げる算段をする。しかし、どう見ても無理だ。水路に飛び込んだところで、すぐに捕まるだけだ。なにより係員が腕を掴んだまま離してくれない。しかもいい加減に痛くなってきた。

「ちょっと、腕を放しなさい」

「あっ、ああ……」

「痛いの! もう逃げられないから放してよ」

「まっ、待って。俺は関係ないんで、なんでもないんで」

 係員は情けなく騒ぐばかりで動けない。見るからに野蛮で気が荒く、人の命など何とも思っていない連中に囲まれ、完全にパニック状態だ。情けないかもしれないが、普通の人の反応としては妥当なのかもしれない。

「くそっ! 逃げられた!」

「走れ。先回りして追い詰めろ」

「バカ言うな、水路のどこを通るか分からんだろうが」

「折角のチャンスだぞ。ゼルマンさんが激怒したら……」

 騒ぐ男たちの間を割って、スラストが現れた。

「問題ない。この子さえいれば、向こうからやって来るだろう。ああ、言っておくが丁重に扱えよ。手荒なまねをしてみろ、俺が許さん」

 にぃっと笑ってフウカを招くスラストであったが、しかしフウカの腕を掴んだままの係員に気付くと、途端に顔をしかめる。係員は拳の一撃で叩きのめされ、フウカは自由になったものの、スラストの一分の隙もない身のこなしに、全く逃げられる様子はなかった。

「さあ、一緒に行こうか」

 スラストは極めて上機嫌に言った。

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