第22話 白と黄の花がちらほら咲く芝生の上

 明るい昼日中の公園で、グライドは暗い顔をしていた。大柄で頑丈さを感じる男がそんな顔をしていれば険呑さしかなく、間違っても近づく者はいないだろう。しかしアイリスは気にした様子もなく、不思議そうな顔で見つめてくる。

「散歩はなしだ。今日からは、館の中で大人しく過ごすように」

 アイリスは眼を見開いた。本当に驚いた事が顔に表れている。

「なぜなのですか?」

「構っている余裕がなくなってしまった。悠長に付き添って、相手の動きを待っていられんという事だ。早急に対処する」

「でしたら、アイリスも一緒に――」

「それは駄目だ。館の中で過ごすように。フウカを付けるので、よろしく」

 いきなり一方的な言葉に、フウカは不満な顔をするが、肩を竦め言われた事に従うつもりだ。それに比べてアイリスは、足元を強く一回踏み締めてみせた。

「アイリスは不満なのです。不満を訴えます」

 淡い紫色の瞳に睨まれてしまうが構わず、グライドは大きく息を吸って短く吐いた。肩の傷が微かに痛む。家にあったなけなしの回復薬を使用したが、まだ完全に癒やされてはいない。しかし、少なくとも動きには何の問題もない。

「さあ、送って行こう」

 いつもの公園のいつものベンチから立ち上がり、白と黄の花がちらほら咲く芝生の上を歩きだす。流石にトリトニア公爵家に行って呼び出すわけにもいかず、いつものようにここで合流をしたのだが、あまりここには居たくなかった。

 辺りにはまばらとはいえ人の姿があるため、そうそう襲われるとは思えないが、用心をしておくにこした事はない。

「お父さん、もしかして戦うの? 危なくないの?」

 フウカの問いに、グライドは安心させるように頷く。

「そのつもりだが。まあ、準備を含めても三日もあれば終わるかな」

「でも、昨日みたいに……」

「大丈夫、何も心配する必要はないぞ。はっはっは」

 何の根拠もない言葉を、グライドは自信たっぷりに言ってみせた。それは全て娘を安心させるためだったが、そのフウカの様子を見れば、成功したとは言い難かった。


 アイリスが口を挟んだ。

「これはアイリスの問題なのです。だからアイリスも戦わねばならないのです」

「その必要は無い。もう、問題はこちらに移っている」

「何があったのです?」

 グライドは浅く笑った。

「過去が追いかけてきたのさ」

「分からないのです」

「ずっと昔から恨まれていた相手が、ブラックマスターシュに雇われた。そいつは、こちらを殺したい。そしてブラックマスターシュも目的の為に、邪魔な護衛を取り除きたい。だから狙うべき相手の優先度が変わったのだな。まあ護衛としては都合がいいのだが」

 言って、グライドは大きな通りを見回した。通り過ぎる馬車にも油断せず確認をしている。流石に道端で談笑する女性に鋭い目は向けないが、そちらにさえ警戒をしているぐらいだ。

「フウカを付けたのは、護衛のためでもあるが。そちらに置いて貰った方が、安全だからでもある。貴族の屋敷の中であれば、傭兵如きでは手も出せまい」

「グライドの側の方が安全なのです」

「言った通りに。相手は本当に危険で、庇いながら勝てる相手ではない」

「むぅ、アイリスは強いのです」

「頼もしい言葉ではあるが、駄目なものは駄目だな」

 主張を一蹴したグライドを睨んで、アイリスはふて腐れた。それでもフウカが出した手と手を繋いでいる。まるで、姉妹といった雰囲気だ。しかし、これでグライドは安心して戦いに取りかかる事ができるようになった。

「さっき言ったように、トリトニア家の中に居た方が安全だ。三日だ、三日で問題を全て解決しておく。だから、くれぐれも外出をしないように」

 石畳みの舗装は僅かにふぞろいで、完全な平らではないが歩きやすい。広大な敷地を囲った柵と植え込みの横を進んで――いつもアイリスが潜り込む場所も通り過ぎ――兵士の立つ門へと向かった。もう、ここまでくれば問題はない。

「では、後は頼む」

 それぞれに対し様々な意味を込めて伝えると、グライドは踵を返して肩越しに手をひらひら振って、一人で大通りを戻りだす。既に思考は切り替え、どうやって戦い有利に事を運ぶか考えだしている。

 目立つ場所を歩いていくのは、もちろん自分が狙われるためであった。


◆◆◆


 アイリスの部屋は、柱も壁も天井でさえも優しい色が施され、煌びやかで高価な調度品類があちこちに飾られてあった。いかにも上流階級世界といった華やかさの中で、しかしフウカは居心地の悪さに辟易としていた。

 御嬢様であるアイリスの客人という事で、扱いは丁重であるし何不自由もなく、待遇には何の不満も問題もないのだが。この何不自由ない状態こそが曲者。何もさせて貰えず何も出来ないこと、それ自体が不満なのだ。

 かてて加えて、父親のことが心配でもあった。

 なぜなら、ここに招かれて二日が過ぎている。

「暇すぎるわ……」

「でも、働かずに食べる食事は美味しいでしょぉ?」

 言ったのは、本来が主が使うべきテーブルセットでお茶を楽しむメイドだ。

 その言葉は聞いただけでは嫌味を言っているように思えるが、このフリージアというメイドは、何の含みもなく本心で言っている。なぜならば、ろくに働かない本人が言っているのだから。

「そんなの美味しくないに決まっているわ。だからね、私は何かしたいの」

「だから昨日なんかは床の雑巾掛けしたわけですか」

「でも、すぐ止められちゃったわ……」

「当たり前ですね。御嬢様が招いた客人に、そんな事をされてしまったら、当家の名誉に関わります。分かったら、大人しくしていて下さい。そうすれば私は貴女を口実に、ここでダラダラ過ごせるのですから」

「はぁ、こんなメイドさんがいるなんてビックリだわ。世の中って広いわね」

「当たり前です。限られた狭い知見だけで、全てを知った気になるのは愚か者です」

 意外に辛辣な事を言うフリージアに、フウカは溜息を吐いた。

 会って二日で仲良くなれるほど器用ではなく、アイリスを経由して繋がりのあるだけの関係性だ。しかもメイドとは言っても、トリトニア公爵家の普代の一族出身のため、下手をすると弱小貴族よりも身分が高い。

 悪い人ではないが、どうしても気兼ねしてしまう。

 つまりフリージアの存在も、フウカが感じる居心地の悪さの一要因なのであった。

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