第16話 学びの門を叩く者は数多い

 王都の東のガルド区画に存在する『学園』は、フェイスタ王国に住まう者たちを教育する機関を示す言葉であり、そしてその教育施設を示す意味もある。

 そこでは身分の上下や年齢の高低、性別を問わず、学ぶ意志と素質のある者を受け入れ、幾ばくかの謝金と引き替えに適切な教育を授けてくれる。ただし定期的な試験で実績や才を示さねばならず、これが示せねば学びの機会は失われ、容赦なく学園から放り出されてしまう。

 学びの門を叩く者は数多いが、これは何も知識を求めるためばかりではない。

 この『学園』で一定期間を学んだ者は各所で優遇され、公的機関に職を求める事や、貴族に召し抱えられる事さえある。こうした立身出世が得られる事が、学園での学びを求める者を増やす理由にもなっていた。

 ただし貴族にとっては少し別の意味になる。

 貴族にとって学園に通う事は名誉であり、一種の通過儀礼ともなっているのだ。しかし貴族という血統は、元からして才ある者であるという認識があるため、その点が試験においても十分に考慮される。だから大半の貴族にとっては、学園に通う事だけが大事になっているのが実態だ。

 もちろん真面目に学ぶ貴族も存在しているが、トリトニア公爵家のアイリスも、その一人として目されていた。

 そしてアイリスは学園の中で目立った存在だ。

 なぜなら公爵令嬢としては奇異な事に、従者の一人も伴わないばかりか、てくてく一人で歩いて学園にやって来て、何でも一人でこなしていくのだ。他の貴族が多数の従者や一族を引き連れ行動する中で、これは実に奇異で物珍しいため目立っていたのだ。

 だからアイリスが、たった一人とはいえ、従者を伴い現れると大いに注目を集めていた。


「おやおや、ここは随分と騒がしい。いつもこんな様子なのか?」

「いつもより騒がしいのです」

 グライドの言葉にアイリスは小首を傾げ、長すぎる髪がさらりと揺れる。黒いワンピースのスカートは膝丈で、これに丈の短い白い上着を羽織った、いつもと変わらぬ格好だ。学園に居る者の大半は動きやすい服装をしているが、その中でも一番動きやすそうに見える。

「そうなのか」

 やや物珍しい気分で、グライドは辺りを見回した。

 木の柱と石壁を組み合わせた建物は、この辺りでは滅多に見ないような三階建てになっており、堂々とした威容を放っている。さらに目立つのが尖塔で、見上げる程に高くそびえ立って立派なものだった。

 広々とした敷地は緑の芝に覆われ、そこを赤煉瓦敷の道が貫き、樹形の綺麗な木々があちこちに点在していた。その木陰の下には座れる場所があって、何人かが寛いでいる。花の咲いた腰高の低木の向こうに人の姿が見えて、平和そうに歩く様子の向こう、小屋のある丘の辺りは林になっていた。

 のどかさのある景色を眺めながら、グライドは護衛という立場で辺りに目を配っていた。

 流石にこの場所で何かあるとは思えないが、長い髪を揺らし前を歩くアイリスのため、しっかりと護衛の役割を果たさねばならない。

 いつもより落ち着かない気分になるのは、娘のフウカが一緒でないからだろう。フウカは普段世話になっている商家――主にツケ払いなどで――で、急遽応援の人手が必要になって義理もあって、そちらの手伝いに行っている。

 そのため、今日はグライド一人で護衛だった。

「講義は出なくていいのかな?」

「問題ありません、そちらの内容は全て把握してます。後は試験を通ればいいのです」

「それは優秀なことで」

 グライドが肩を竦めてみせるのは、自分とアイリスの向学心を比べての事だ。

 学園の生徒は辺りに何人も居るのだが、しかし誰もアイリスには話しかけない。少し遠巻きにして見ているだけだ。トリトニア公爵家の令嬢という地位への遠慮もあるのだろうが、それとは別にアイリスの異質さも影響しているように思えた。

 我関せず、または我が道を行く。

 そんな態度で過ごすアイリスは、どこか孤高の存在だった。

「それなら、ここに来た理由は何だ?」

「トレーニングなのです」

 アイリスは手を伸ばし、目の前の大きな建物を指し示した。周りには簡易な武器防具を身に着けた者たちが彷徨いている。


 広々とした空間の建物の中で、何人かが武器を振るって鍛錬をしていた。

 こうした場所で汗を流す物好きな貴族に付きあって、年若い従者が主と共に鍛錬をしている。だが鍛錬をする気のない従者などは、グライドのように、大人しく建物の隅に控えて暇そうにしていた。

 足元は木張りの床で、その上を何体かのデコイがぎこちない動きで移動していた。デコイとは簡素な造りの木製人形で、魔法によって動くゴーレムの一種になる。

 決められた一定の動きをするだけのものだが、ここでは、それを訓練の標的として使っていた。戦闘能力は殆どないが耐久性はそこそこあるようで、トレーニングの相手にはうってつけなのかもしれない。

 ただし、こうしたデコイは高額なもので、そう簡単に用意できるものではない。貴族が多く通う学園だからこそ、こうして数多く用意されているのだろう。

 デコイを相手に木剣などを振るってトレーニングをする生徒たち。

 一生懸命さは感じられるのだが、グライドの目から見て、それは正にトレーニングでしかない。動きは綺麗すぎて上品なもので、貴族同士の優雅な決闘ならともかく、戦場に放り込まれて生き残れるものではなかった。

 そんな中でアイリスだけが異質だった。

 トレーニング用に用意されたハルバードを構え、魔法で操られるデコイ人形に対峙するのだが、いきなり飛びだし迫った。マギの力で身体強化しているため素早い。あっという間に接近すると、ぶん回したハルバードの一撃でデコイを行動不能にした。

 辺りは歓声に沸いている。

 そんな時でも警護のため辺りを見回したグライドは、一つの仏頂面を見つけた。あの日あの時に、アイリスを痛めつけるようにと話を持ちかけてきた、オブロン家の筆頭家令レンダーだ。どうやらこの生徒たちの中に、誰かは分からぬが、オブロン家の者がいるのだろう。

 目が合うとレンダーは軽く驚いた様子を見せ、人垣を少し迂回しながらやって来た。

「お前、どうしてここに? まさか依頼を受ける気になったのか……だが、私はもう……」

「別件だよ。それより、ここでの面倒は避けた方が良いと思うな。お互いの為に」

「ぐっ」

 グライドは前を見たまま、言葉に詰まったレンダーの反応を探った。

 どうやら、グライドがアイリスに雇われた事は把握していないらしい。考えてみれば当たり前の事で、依頼主は基本的に依頼をするだけだ。後は依頼を受けた側が、依頼を遂行した後に報告をして報酬を貰う。

 だから、途中経過で誰がどう関わっているかなど知る筈もない。

「ここに居るのは、トリトニア家のアイリス殿に雇われたからだよ」

「なにっ!?」

「ああ、安心して良いぞ。この件についてアイリス殿は、他には伝える気はないそうだから。もちろん父親であるトリトニア公にさえも」

 ちらりと見れば、レンダーの眼をまん丸に見開いた。ぽかんと口を開け、凝視するように見つめてくる。グライドの言葉が真実かどうか探っているらしい。

「そんな顔をしていると、あらぬ憶測を呼びそうだと思わないか?」

「………」

 我に返ったレンダーは、ふらふらとした足取り去って行った。

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