第17話 木剣を肩に担いで引き上げていく
「たあああっ! はあっ!」
腹に響く掛け声が聞こえた。
いつの間にかトレーニングの人員は入れ替わったらしい。金髪碧眼の絵に描いたような好青年が木剣を振り回し、飛んだり跳ねたりしながらデコイに打ちかかっている。見応えのある戦いに、生徒たちは歓声をあげた。どうやら人気があるらしい。気がつけば、観戦席に人の姿が増えていた。
「知り合いが居たのですか?」
アイリスがやって来た。
身体を動かした直後のため、少し顔が赤らみ汗ばんでいる。しかし表情は普段と少しも変わらず平素なもので、口角を少しあげた穏やかな笑みを浮かべていた。
どうやらデコイを相手にしながら、グライドの様子を見ていたらしい。なかなか油断のならない少女である。だが、相手が誰かまでは分からなかったようだ。
「知り合いと言えば知り合いだな。あれがオブロン家のレンダーだよ」
「ああ、あのレンダーなのですか」
顔を上げたアイリスの視線の先で、レンダーが警戒心と怯えの混ざった顔をする。襲撃犯の黒幕なのだから当然だろう。
アイリスは悪戯心を起こしたらしい。
にっこり笑って、レンダーに向け軽く手を振ってみせた。流石は、悪い令嬢を自称するだけの事はある。おかげでレンダーの顔色は蒼白になり、ついには引っ繰り返ってしまう。そちらが騒がしくなると、アイリスは小首を傾げてしまった。どうやら思ったような反応では無かったらしい。
急病人の搬送という、ひと騒動はあったがトレーニングは続けられ、少年少女やその従者がデコイ相手に武器を振るう。グライドは護衛として辺りに気を配っているが、のんびりしたこの場所に危険はないと判断していた。
欠伸をかみ殺していると、アイリスに見咎められる。
「グライドは暇ですか?」
「暇と言えば暇だな」
「では、少し剣を振るってどうぞ」
押し付けられるようにして木剣を渡された。さらに華奢な手でぐいぐいと押されてしまう。折しもトレーニングが一段落したところで、場は空いている。
「それは面倒なんだが。どうしても、やれと言うのか?」
「どうぞ、なのです」
「へいへい、御嬢様には逆らいませんよ。ただし別料金を請求してやる」
「考えておくのです」
アイリスは確約はせず、軽く頭を傾け楽しそうに言った。これにグライドは溜息を吐いて、ちょっとだけ面白くない気分になりながら、木剣を手に前へと出た。
「…………」
グライドは木剣を構えた。すると周りで賑やかしかった者たちが、急に黙って静かになった。どうやらアイリスの連れてきた供の腕前に興味津々らしい。どの程度の強さなのか見てやろうと、そういった視線をひしひしと感じる。
新しいデコイが用意され、開始の合図が響く。
しかしグライドは、誰にも分からない程度に眉をひそめた。
デコイの動きが妙に滑らかだったからだ。先程まで見ていた練習用デコイの動きではない。明らかにもっと別のものだ。何故かは分からないが、実戦用のデコイが起動しているのだ。
気付いた誰かが悲鳴のような声をあげ危険を告げたが、グライドは気にもせず、ゆっくりとデコイを正面に据えながら身体を回している。
デコイが予兆もなく木剣を振り上げ、襲いかかってきた。
恐ろしい速度だが、しかしグライドはするりと躱す。間髪入れず、デコイは次の一撃を放ってきた。練習に使われるデコイの域を超える凄まじい攻撃だったが、これに対しグライドは木剣を鋭く真横に振った。
会場が響めく。
デコイの首が木剣で断ち斬られたからだ。それをしたグライドは、平然として余裕すらある態度だ。これで終わりと言わんばかりに背を向け、木剣を肩に担いで引き上げていく。
ゴトンッと鈍い衝撃音。破壊されたデコイが転がり、それきり動かなくなる。
見物の者たちは唖然呆然として口を半開きにしている。さらにデコイに駆け付けた教員は驚きを隠せなかった。用意されたデコイが学園に一台しか置かれていない軍用モデルで、並のファイターでは相手にもならない性能だったからだ。下手な者が相手をしていれば大怪我ではすまなかっただろう。
何故このデコイが用意されたのか、責任追及と確認で教員は大わらわだ。
「これでいいか」
戻ったグライドは手にした木剣を、その辺りに置いた。
◆◆◆
学園には食堂がある。
幾つか数があって、それぞれ特徴があるが、誰でも自由に利用する事ができる。しかし長い年月の中で自然と利用者が分かれ、貴族などの上流階級、低位の貴族や従者や裕福な庶民、一般階級の庶民と、おおよその棲み分けがされていた。
そこには慣習もあるが、利用料金の影響も大きいだろう。学びを求める者に身分の差はないとされるが、やはり現実として、お金の差はあるという事だ。
「ずいぶんと広い場所だな」
「そうなのですか? いえ、そうなのでしょう」
テーブルの向かい側でアイリスは、果物を搾った飲物を飲みながら微笑んだ。グライドは、なるほどと頷き陶器のカップを口元に運び水を口にした。単なる水のはずだが、まろやかな口当たりで、しかも良く冷えて飲みやすい。
辺りは広々として、天上も床も白で統一され清潔感がある。そんな空間に点々とテーブルセットが置かれ、間には目隠しの植え込みが用意されていた。しかも専用の楽師が静かで落ち着いた曲を奏でている。他ではありえない空間だった。
「では、いつもの通りに」
アイリスの言葉に、食堂を担当する係員の女性が、一礼して去って行く。利用者が利用者なだけに、礼儀作法をしっかりと身に付けた者の動きだった。
係員が去ると、アイリスは薄紫色の瞳で、真正面からグライドを見つめた。
「アイリスが勝手に頼みましたが、グライドは他が良かったですか?」
「奢りで食べられるのであれば、どんな料理だって構わないな。はっはっは」
冗談めかして言うグライドだったが、それは本音だ。
実を言えば入り口で、ちらりと見た利用料金は、思わず回れ右して戻ろうとしたぐらいだった。アイリスに引っ張られ、連れて来られねば、絶対に足を踏み入れなかっただろう。
辺りを見れば、そもそも席自体が少ないが、利用している姿はまばらだ。
いずれも明らかに貴族の子女で、従者の類の姿もない。
おかげでグライドの存在が際立っていた。特に小柄なアイリスが相手であるため、その対比によって、なお目立つ。横を見れば物珍しげな視線、前を見ればアイリスの笑顔。どこに視線を向けても落ち着かない。
グライドは肩を竦めた。
「ここは、よく利用するのか」
「はい。アイリスは、いつもここに座ります。目の前に誰かがいるのは嬉しいです。屋敷での食事も一人なのですから」
「ああ、この国の貴族だとそうであった。すると、こんな者でもいれば嬉しいか」
「グライドなら大歓迎なのです。お話をどうぞ」
「話題がないが……」
困って肩を竦めるグライドの前で、アイリスは頷いた。
「では、アイリスが話すのです。木剣でどうやって斬ったのです?」
「別に難しくはない。適度な速度とタイミングと、あとは気合いだ」
「気合いですか」
「気合いです」
そんな会話をしていると、すぐに食事が運ばれてきた。なぜかアイリスの前に置かれたのは、グライドの前に置かれた量の倍であった。
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