第12話 世界を漂う大きな運命の流れ
グライドの住まう場所は、不便な立地であるし、近隣では幽鬼の出没する場所として知られている。ただし幽鬼はグライドが定期的に斬って消滅させているので、それほど恐ろしい場所ではないのが実際だ。
だが、普通の人はそんな事情は知らないので滅多に近づかない。周囲を林に囲まれているため、外からは中の様子は容易には見て取れない。だから何をしても目立たないという利点があった。
「では」
グライドは剣を手に、中央の空き地に進み出た。いつも稽古を行っている場所なので、その辺りは草の一つも生えておらず、踏み固められた土が露出している。
続けてアイリスもハルバードを手に足を進め、頃合いの距離を取って向かい合う。
アイリスのやるべき事とは、この立ち会いであった。
何故とは問わなかった。挑まれれば、それに応えるだけだ。うなずいた後に、剣を持って来て、対決する事にしたのである。
見つめ合う二人の目は対照的で、気合いの入ったアイリスに対し、グライドは普段とあまり変わらない。やって来たフウカが、若干呆れながらの見つめる前で、両者は動きを止め向かい合う。
強めの風が木立を揺らし――合図の代わりとなった。
「やぁっ!」
アイリスが気合いの声を発し、己の間合いでハルバードを振り下ろした。
その速度は恐ろしく、空を裂く勢いは鋭い。驚くべきはその後で、飛び退いて躱したグライドに向け、重たげな穂先は地面すれすれを掠めるように旋回し再度襲いかかる。勢いのついたハルバードを、ここまで見事に操るには並の膂力では出来ない事だ。しかも体勢が少しも崩れていない。
「えいっ、やぁ!」
掛け声は可愛らしいが、次々と繰り出されるハルバードの勢いは迫力があった。しかも手加減や躊躇というものがなく、本気で攻撃しているようだ。グライドであれば全力で攻撃しても構わないと思っているらしい。
グライドは瞬間の隙をつき、前に跳んでアイリスの横をすり抜けた。
この時にグライドは攻撃もせず、ただ通り抜けたのみと、完全に余裕をみせている。
むっとしたアイリスは銀の髪をなびかせ、背後にいるグライドへと、回し斬りで斬り付けていく。斧刃が空を裂く音が長く鋭く響いた。
これも予測していたように問題なく、グライドは飛び退いて回避。
アイリスは長い髪を靡かせ立ち位置を変え、右左に前後に動き、ハルバードの間合いを維持しながら、上から下からと次々と攻撃を繰り出す。どれも小柄な体格とは思えない力強さだ。
これに対しグライドは、払って、躱して、弾いて、全ての攻撃を無効化した。
既にアイリスは肩で息をしている。
ハルバードの扱いには自信があったのだろう、この有り様には苛立った様子だ。振り下ろしたままのハルバードを握る手に力を込め、渾身の力で次なる攻撃に移ろうとした――まさに、その瞬間。
グライドは前に出て、ハルバードの柄を蹴りつけるようにして、鋭く踏みつけた。
「っ!」
予想外の衝撃にアイリスの手から、ハルバードが勢い良く落ちた。驚愕に目を開いた少女は首根っこを掴まれ、そのまま放り投げられてしまう。
長い髪をなびかせる身体が落ちた場所は、柔らかな草の上。しかも落ちる姿勢にまで気が遣われ、お尻から落ちた衝撃はあっても、ダメージはないといった具合だ。
相手にもならず、あしらわれている。
草の上に座り込む形となったアイリスは、上半身を起こすと、呆然としながら足の間に手を突いた。そして信じられない顔で見上げてくる。
「アイリスは負けました」
「稽古や試合ばかりの者にありがちな具合だな。全体的に勢いはあっても、攻めすぎで駆け引きがない。それから、マギの力で身体を強化をしているようだが、それで体重が増えるわけでもない。相手が覚悟して突っ込めば、押し負けてしまうだろう。つまり能力に頼り過ぎで工夫が足りないって事だ」
「その通りなのです。アイリスが強いのはチートだからです」
「聞いた事のないジョブだが……?」
「チートはチートでジョブではないのです。チートは即わちちちちち……」
呆気にとられたグライドとフウカの前で、アイリスは目付きをおかしくさせ呟き続け、身体を小刻みに揺らせば長い髪もうごめくように揺れる。以前に感じた得体のしれない迫力が消えては現れてを繰り返している。
その動きが止まる。
「……運命の話をするのです」
呟いたアイリスは、どこか
「人一人の運命はあってなきが如し。世界を漂う大きな運命の流れの中に人の命は、運河を流れる小さな葉っぱのように翻弄されるのです」
穏やかな風が林を揺らし、葉擦れのざわめきの中に、鈴を転がすような声が広がる。
空に靡く雲が日射しを陰らせた。
「アイリスは運命という言葉が嫌いですが、世界を漂う大きな運命の流れは、確かに存在するのです。そしてアイリスは、その大きな流れが少しだけ見えています。なぜなら、そこに組み込まれているからなのです。これが悪い令嬢たる、アイリスの知っている世界の真理の欠片」
「どういう事なんだ……?」
「アイリスは運命という言葉を、軽々しく口にしません。だから怒らないで欲しいのです」
「何を知っていると?」
「今は何も言えません。ですが、いつか話せる時が来ると良いのです」
子供の戯れ言と一笑に付しても良かった。
だが、口角を僅かに上げ微笑するアイリスの姿に、グライドは気付くものがあった。これは単なる微笑ではなく、心の内にある不安や恐怖を隠すものだと。心の底から信じて欲しいと願って、否定される事を恐れている。そこには、今にも泣き出しそうな幼子の雰囲気が存在していた。
とても嘘を言っているとは思えなかった。
仮に嘘だったとしても構わないとさえ思える。この瞬間にグライドの心は、自分の娘に対するように、このアイリスという少女を受け入れてしまったのだ。
「いつか話せると思えたら、それを話してくれればいい」
その言葉にアイリスは驚いたように顔を上げた。
グライドの手が、白さを含んだ銀髪に触れる。
「その時には必ず信じるとしよう」
とたんにアイリスの微笑が崩れ、下唇を噛んで必死に耐え、堪えきれずに泣きだした。優しい腕の袖を掴んで放さず、ぽろぽろと涙を落としている。
「私も信じるわよ!」
そっと歩み寄ったフウカが、アイリスを背中から抱きしめた。その温かさを感じ、さらに嗚咽は強くなる。これまで堪えた涙を全部流すように、アイリスは泣き続けていた。
雲の合間から差し込む光が辺りを優しく照らしだす。
穏やかな風が心地よい。
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