第11話 話し合いですませたいと思っている
「それじゃあ、あんたは愚か者って奴だな。俺たち傭兵は信用第一なんだよ。一度受けた仕事を、お話し合いで辞めましたってなれば次から依頼が来なくなっちまう」
「なるほど詰んでるな」
「お前がな」
ゼルマンは短剣を手にテーブルを回り込み、
その他の連中は暴力に期待し、にやにやと笑って、それぞれの武器を手に――その時であった、白髭の老人がグライドの顔に目を止めたのは。
「ぅっ!」
老人は悲鳴寸前の音で息を吸った。そしてグライドを食い入るように見つめ、書物を放り出し跳ね上がるように立ち上がる。倒れた椅子が大きな音をさせ、皆の注目が集まった事にも気付かず、老人は顔を青ざめさせ、声にならない嗄れた声を呻くように漏らした。
「あっ、ああぁ、そんな馬鹿な……儂は、儂は……用事を思いだした」
目は極限にまで見開かれ、幾粒もの汗を額に浮かべ尻込みするように後退る。それでいて視線はグライドから片時も離さず、あちこちにぶつかっていく。ようやく裏口のドアに辿り着けば、飛びつくように開け、恥も外聞もない姿で転げ出た。体当たりするように閉められたドアは向こうから施錠されてしまう。
「…………」
残された傭兵団は唖然とした。
かつて東の国であった激戦さえ生き抜いた歴戦の傭兵が、こうまで恐れる理由はなんなのか誰にも分からなかった。分からないからこそ、得体の知れない薄気味悪さに顔を見合わせている。
「話し合いですませたいと思っている」
グライドは何事もなかったように、静かに告げた。
外で待つフウカは道端の大きめの石に腰掛けている。座れそうな木の板もあったが、表面は苔にまみれていたので、綺麗そうな場所を探しての結果だ。
物陰からの嫌な視線には気付いているが、警戒こそすれ怯えはしていない。グライドやアイリスとは比べられないが、年齢に似合わぬ戦闘能力はあるし、そこそこの修羅場だって切り抜けてきた自信があるのだ。
「心配ね」
父親であるグライドが建物に入って、そこそこの時間が経っている。心配する必要はない事はよく知っているが、それでもずっと親子二人で生きてきたのだ。その父が居ないという状況が不安で堪らない。それを我慢しながらフウカは待っている。
動きがあった。
「んっ?」
建物の向こう側から白髭の老人が飛びだしたのだ。
まるで何か恐ろしいものにでも遭遇したように、滑稽なぐらいの仕草で、転がるように走り去っていく。何が起きたかは分からないが、直感として原因は理解した。
それではと立ち上がれば、予想通りにドアが開いて父親が姿を現し、フウカは跳ねるように出迎えた。最後に大きく跳んで、両足を揃えて着地。手を後ろで握って見上げる。
「お帰りなさい、お疲れ様。どうだった?」
「検討してくれる事になったぞ」
グライドは、いつもどおりの、気楽な様子で言って笑った。
「あれっ、それだけなの?」
来た道を戻りながら、フウカはグライドに纏わり付いた。それまでの不安と寂しさを消すために、いつも以上に引っ付いている。
「相手も都合があるので、直ぐには方針は決められないって事だな」
「それもそうね。大人の人は調整とか、いっぱい面倒があるのよね」
「これで顔合わせは済ませたぞ。はっはっは、ひと仕事完了」
「後はどう反応するかよねー」
いつ来るか分からない相手に、これで揺さぶりをかけたのだ。どんな反応をするかは分からないが、ただ待つよりはずっと良いだろう。
「でも、その前に。これから大変よね」
「どうしてだ?」
「だって、アイリスに説明しなきゃだから」
「うっ……待て待て、それはフウカから説明してはどうかな」
「嫌よ。だって、そういうのはお父さんの役目だもの」
「おおぅ……」
グライドは想像して言葉に詰まった。きっと、あの御嬢様はふて腐れた顔をして、華奢な手で触るように叩いて文句を言うに違いない。確かに大変そうだ。
◆◆◆
「アイリスは怒っています。何故だか分かりますか」
翌日、護衛を開始した際に傭兵たちとの対話について報告をすると、予想通りの結果になった。アイリスはふて腐れた顔をして淡い紫色をした瞳で睨み、前にも聞いたことのあるような言葉を告げて、華奢な手でペチペチ叩いて折檻してきた。
曇りがちの空から投げかけられる日の光は、時に強まり時に弱まり、どうにも安定しない。今日は一日、そんな天気が続くのだろう。仕方なく洗濯をしたフウカは、今は大忙しで家の裏で洗い物を干している最中だ。
おかげで、文句を言うアイリスの相手を、グライドだけでせねばならない。
「アイリスも相手の根城に行きたかったのです。ですがグライドは何も言わず勝手に行ってしまいました。だから怒っています」
「待て待て待て! 狙われた本人が、相手の根城に飛び込むのは、どうかと思うが!」
「それはさておきなのです。アイリスが一番怒っているのは、そこではないのです。アイリスを仲間外れにした事に、とっても怒っているのです。分かりましたか」
面倒くさいと思った感情は顔に出さなかったはずだが、アイリスは頬を膨らませ、ぺちぺちと更なる折檻をしてきた。どうやら、御嬢様は洞察力も鋭いらしい。
「いいですか、次からはアイリスも呼んで下さい」
「次などなかろうに」
呆れたグライドは、この雇い主である令嬢に対し、あしらうような口をきいた。
もちろん最初からそれほど丁寧な口調ではなかったが、今はもう遠慮をする気もない。アイリスは気にしないどころか、むしろ嬉しそうであるし、グライドもそちらの方がしっくりしていた。何となく娘が――やはり手のかかる娘が――もう一人増えたような気さえしている。
「いいえ、次はあるのです。次は相手を殲滅しに行くときなのです」
「物騒な御嬢様だな。どうして殲滅なんだ?」
「前の失敗で依頼は終わっているかもしれない、とグライドは言いました。さらに、そこを確認してからでも遅くはないだろ、とも言いました。これで相手の依頼が終わっていない事が確認されたのならば、これはもう決戦しかないのです」
「手を引くかどうか、検討してくれているのだが」
「相手は絶対に手を引きません。なぜなら、それは運命だからです」
「運命、運命か」
断固とした口調に、グライドはムッとした。
「はい運命です。避けようのない、定められた運命の流れなのです」
アイリスの言葉にグライドの表情は、さらに陰り険しさが加わる。普段の悠々とした穏やかさは消えてしまい、怒気に近いものが見え隠れした。滅多に見ない父親の様子にフウカは首を竦める。アイリスも軽く目を見張っている。
「皆が言う。辛い出来事の後には、運命だから諦めろとな。だが運命とはなんだ。心が張り裂けそうな辛い事も、全て運命として諦めねばならないのか? 運命という名で全てが決められているのであれば……人の生きる意味とはなんなのだ」
ふと我に返ったグライドは、最後におどけた様子で肩を竦めてみせた。
アイリスは視線を空に彷徨わせ、ややあって頷いた。
「それを答える前に、まずは一つ、やるべき事があります」
長い髪を揺らし、アイリスは鋭い目付きでグライドを見つめた。そこには、以前に感じた得体の知れない迫力が、少しだけ存在していた。
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